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『世界遺産にされて富士山は泣いている』 [読書日記]

世界遺産にされて富士山は泣いている (PHP新書)

世界遺産にされて富士山は泣いている (PHP新書)

  • 作者: 野口 健
  • 出版社/メーカー: PHP研究所
  • 発売日: 2014/06/14
  • メディア: 新書

内容(「BOOK」データベースより)
美しい「日本の象徴」でいま起こっていることは、日本社会が抱える問題そのものだ!複雑に絡まり合う利害関係をどう解きほぐし、国家の宝を後世の人々へと受け継ぐべきか。日本を代表するアルピニストが語った「ほんとうに質のよい観光」とは。

現在国連を舞台にして検討が進められている持続可能な開発目標(SDGs)は、2016年から2030年までの国際社会の取り組むべき課題を整理し、これを17の目標にまとめている。そこで懸念されているのは今の我々の生活スタイルは持続不可能で、それでも続けようとすれば、自然環境だけでなく、地球自体にも過大な負担を強いることになるというものだ。

日本は低炭素技術を用いた環境管理に関しては高い技術力を持っていると国際的にも評価されている。環境への取組みがミクロレベルになればなるほど、国際的な評判とはかけ離れた、情けない人々の行状が目立つようになる。生活ゴミをコンビニのゴミ箱に持ち込む輩があまりに多いために、コンビニはゴミ箱を屋外に置かなくなってしまったし、駅のゴミ箱も撤去されてしまい、ちょっとしたゴミでも捨てるのに困るようになってしまった。僕の自宅の周辺の歩道の植木は、誰がやるのか空き缶やアイスの包み紙が枝に挟まっているのが日常茶飯事だし、ひどい時は誰がやったかわからぬけれど、わが家の前にゴミ袋が放置されていた。こんなのはそれが文化と化している南アジアのインドやネパールと同じ光景だ。喫煙だって、自宅の室内が臭くならないよう、ベランダで一服する人が多いが、そういう人がご近所にいると、そのにおいは我々にも襲いかかってくる。自分さえ良ければ他にどんな外部不経済をもたらしていようと知ったことではないとでも思っているのだろうか。

富士山が世界遺産登録されたと報じられた時、僕が真っ先に思い出したのは、1970年代前半の小学生時代、社会科かなにかの教科書の挿入写真で見た富士スバルライン沿道の森林の写真だった。排気ガスの影響で木が枯れ始め、沿道には既にゴミが捨てられていた。「公害」という言葉が一般に用いられるようになるより以前に、既に富士山周辺では環境問題が起きていたのだ。

報道を見ていてさらに強く感じたのは、これで富士山登山客が増えて、地元の経済が潤うという、経済効果に対する期待ばかりが報じられているということだった。これは国内の事物が世界遺産登録されるたびに毎回感じることで、地元の関係者は「これで来訪者がもっと増えて地域経済活性化につながる」と必ずコメントされる。世界遺産登録すら成長戦略の一環と位置付けているふしが政府首脳のご発言にも感じられる。

そんな力技で成長テコ入れが短期的にはできたとしても、環境破壊のような外部不経済は間違いなく進む。富岡製糸場のような産業文化遺産なら地元住民はその観光資源の保全に努力もされるだろう。でも、それが自然環境である場合はどうだろうか。地元住民は、富士山とその周辺の自然環境の保全に、どれくらいの努力を傾けているのだろうか。世界中で持続可能な開発への貢献が求められている昨今、足元の国内で持続不可能な開発が行われているようでは、国際場裏で何を言っても唇寒しではないだろうか。

―――富士山の世界遺産認定のニュースを聴いた時、僕はそんなことを考えて少しシラケた気分になった。

本日ご紹介する野口健さんの著書を読んで、そんな意を改めて強くした。ふだんのしゃべり方とかをテレビで聴いているとちょっとチャラい印象もある野口さんだが、思い込んだら一直線、直情径行の行動主義の人で、構想を形にすることに秀でた人だ。しかも、その本質を直感的に見抜く力がすごい。そうやって問題の本質を見抜き、行動し、そして学ぶ。集められた情報は僕らにとっても非常に有益だ。本書を読まなければ、知らなかったことも多かった。

例えば、今回の富士山の世界遺産登録が、「自然遺産」ではなく、「文化遺産」として登録されていた点。報道では「世界遺産」としか報じられていないから見落とされがちだが、もしそれが「文化遺産」として登録されたのなら、富岡のケースと同様、富士山の保全だけでなく、富士山信仰にまつわる文化、風俗習慣といったものも併せて保全していく必要がある筈だ。富士山を信仰した人たちが、どのような気持ちで山頂を目指したのか、それを考えたら、単に「山頂行ってご来光見てきました」的なノリで、観光の延長線上で山頂を目指す人が増えるだけでいいのかという気もしてしまう。

そして、これも報じられていないが、今回の世界遺産登録には「宿題」も付いており、まさにその信仰の山としての富士山を実証できるような取組みの実践について、3年後の2016年春までにユネスコに報告しなければならない、これにしくじると、世界遺産登録自体が取り消されるのだとか。大丈夫なんだろうか。まあ、登録を取り消されて国際社会で赤っ恥をかくというのも、僕らひとり一人が自分たちの身の程を知るという意味ではいいのかもしれないが。

富士山の保全活動が進まない理由の1つが、隣接する山梨県と静岡県の考え方の違いだとか、また富士山頂付近の土地の所有権が確定していて、行政の影響が及びづらいとか、いろいろな事情があるらしい。五号目あたりで売店を開いている人の中には、地元の政治家の関係者も含まれていて、利権も絡んでいるのだとか。

なんだか、霊峰富士の周りに蠢く、見にくい人間のサガを垣間見てしまった気がする。

富士山に登ってみたいと思っている人は、実際に行動に移す前に、この本を一度読んでみるといい。登るなとは言わないが、登山にはそれなりの責任が伴うということを自覚すべきだ。そして、その環境、信仰文化を守るために、野口さんが本書で提唱されていることを支持し、実際に自分たちでできることに取り組むべきだ。

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