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『アーカイブ・ボランティア』 [仕事の小ネタ]

アーカイブ・ボランティア-国内の被災地で、そして海外の難民資料を (阪大リーブル048)

アーカイブ・ボランティア-国内の被災地で、そして海外の難民資料を (阪大リーブル048)

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 大阪大学出版会
  • 発売日: 2014/06/18
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

内容(「BOOK」データベースより)
シニアがはじめた活動に若者も参加し、海外オフィスを体験。迫害を逃れた難民の資料をフォルダに入れてアーカイブは残る。

読了してから少し日数が経過してしまったが、公文書管理に関する本をもう1冊読んだのがあるので、ご紹介しておく。

人は、何らかの行動をした後に必ず記録を残す。個人のレベルでいっても、日記や報告書のような形で意識的に残す場合もあるし、記録を残すという意識をしていなくても、メールやツイッターのようなものは無意識に記録を残していることになる。この積み上げられた記録のうち、後に残す必要があると考えられるものを保存し、他者であっても後に参照できる形で残されたものがアーカイブだという。平時であれば、このシステムが、国や公的機関、会社や団体にはちゃんと整備されており、記録の生成から保管まである程度自動的になされるようになっている。個人のレベルで言えば、フェースブックやブログはそうした個人アーカイブだと言える。(開設から間もなく10年を迎える我が『サンチャイ☆ブログ』も、ここまで来ると立派な個人アーカイブだ。)

ところが、そうした記録を残すプロセスが、突然断絶するようなことが起きたりする。それは例えば地域全体をのみ込んでしまうような自然災害であるとか、戦争や内戦といったものであることもあり得る。企業だったら社屋の火事なんてのも該当するかもしれない。そうした場合、既存資料の復旧によるアーカイブの再構築や、災害を機とする地域の記憶の新たな掘り起しによるアーカイブの拡充といった取組みが必要となり得る。それは、公務員の業務としてやられるべきものもあるにはあるが、なにせ流出したりダメージを受けたりした資料は膨大で、短期的な復旧作業は特に、公務員だけでは何ともならない。被災直後はそれ以上に喫緊のニーズが被災地域にはあるため、公的機関の活動はそれらに取られてしまうのは当たり前のことだ。

従って、緊急性は低いかもしれないが重要性は高く、かつ作業量も膨大だというものについては、ボランティアの参加もあり得る。本書は、そうしたボランティアの役割に光を当て、実際に東日本大震災や紀伊半島集中豪雨、福島原発事故等の際に、保存資料のレスキューがどのような人々によって、どのように行われていたのかを紹介する。加えて、第2部として、海外に残る戦争の記録や難民の記録を扱った、赤十字国際委員会、国連、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)等の活動と、そこでのボランティアの関わり方について紹介している。

冒頭の緒言で述べられているように、日本の地域社会は、今を生きている人たちだけでなく、死者や自然とともに成立しているという考え方がある。本書の根源的な問いは、「死者の臨在する社会を大切にしていくために、我々はどうすればいいのか?」である。そして、これに対する答えが、「市民がボランティアとして協力し合って、人々が生きたことの証を集積し、アーカイブとして保存し、活用していく」ことなのだと本書は主張する。

災害発生後には、国や企業、団体、研究者や専門家等であれば保存の対象とも見ていなかったものが行き場を失う。「瓦礫」としてひとくくりにされてしまうような被災地の様々な物品は、人々の生きた証であるのに、そこに光が当たらない状況がある。本書では被災した公文書の復旧への取組もさることながら、こうした人々の生活物品――特に、写真やアルバム、文集、日記等の類――の蒐集と整理、保存等にも言及する。そこには、市民の視点が必要不可欠だとするのも本書の重要な論点だと言える。

文書を残すことの重要性を改めて痛感させられる。記録文書を保存する作業におけるボランティアの活動に焦点を当てたという点では確かにユニークで、実は本書を読むまで、こうしたボランティアのニーズが被災地にはあるというのを殆ど知らなかった。

では、僕のようにアーカイブに多少関心を持ち始めているけれどもまだまだど素人な人間が気安く参加できるボランティアなのかというと、そこは本書は自信を与えてくれない。本書で登場するボランティアのほとんどが文書学、図書館学、情報学といった専門の方々で、僕達のような知見のない者が気軽に参加していいものかどうかという点では、必ずしも不安の解消には応えてくれていないように思う。「知識が豊富で分別がありパワフルで、しかも時間があり賃金はなくてもそこそこお仕事のできるシニア世代の方々は、うってつけのアーカイブ・ボランティア候補者」だと執筆協力者が述べているが、そこまでの確証は本書を読むだけでは得られなかった。

それと、本書は現存する公的資料の復旧と保存・整理に重点を置いており、離散してしまった個人資料の蒐集におけるボランティアの活用にはあまり触れられていないのが残念だった。瓦礫の中から資料を見つけ出し、これを復旧するところでボランティア活動の大きな役割があったとは報道などでよく聞いているが、ではそれを地域の記憶として整理したり、或いはそこに暮らしていた人々のライフヒストリーを新たに聞き取りして、発災時のレスポンスに関する教訓等を得ようというところにつなげる試みについては、あまり光が当たっていないような気がした。

最後に、もう1つ本書のユニークな点を挙げるとすれば、それは海外の、迫害などにより国境を越えて避難した人々の記録にもスポットを当てていることだ。難民の人々は、最小限の家財道具だけを携行して難を逃れてきているため、前に住んでいた地域での生きた証がほとんど手元に残っていない。これをきちんと整理して、まず避難した人々自身が見られるように、そして後にはその歴史が辿れるように、手間ひまかけてアーカイブが残されなければならないと編集責任者は述べている。

数年前、僕は参加した研究会で、南アフリカのアパルトヘイト政策について、その地域における黒人迫害の歴史を語る写真や文書などを記録に残す博物館が、その後の地域の民族間融和に貢献しているという事例について発表した研究者がいて、博物館と民族融和が頭の中でつながらなくて、発表された論文の内容を理解するのに苦戦を強いられるという経験をした。今になって振り返ってみると、博物館というよりも、アーカイブ自体が、自らの犯した歴史上の過ちを直視するという国の姿勢を示すものなのかもと改めて思える。当時はまったく手も足も出なかったあの論文、今読み直してみたら、感じることもあるかもしれない。

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