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『アーカイブのつくりかた』 [仕事の小ネタ]

アーカイブのつくりかた―構築と活用入門

アーカイブのつくりかた―構築と活用入門

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 勉誠出版
  • 発売日: 2012/12/11
  • メディア: 単行本
内容(「BOOK」データベースより)
企画、デザイン、ツール、法律上の問題など、アーカイブ構築の際にだれもが直面する問題を整理し、それらをクリアするための実践例を紹介。理論編である『デジタル文化資源の活用』をふまえ、デジタルアーカイブをつくり、有効に運用するための具体的な方法と課題を紹介する「実践編」。

ここ3カ月、ずっと準備してきた大きな研究会での発表が1つ終わった。山口の某大学で蒐集された膨大な近現代史の文書の保存と活用――要するにアーカイブ化に関する研究会で、中国や韓国、台湾といった東アジアの各国・地域、それに米国のアーカイブ化の状況を各国専門家の方々に話をうかがいつつ、一方で大学と並ぶ公的機関の現状ということで、発表させていただく機会を得た。

周囲には図書館学や博物館学、情報学といった学問領域の第一人者の方々がいらっしゃる中で、僕の立ち位置はいささか微妙で、場違いな発表であるような気もしたが、とはいえ僕も自分でリサーチして本を1冊書かせてもらう際にはいろいろな困難に直面したし、ましてやそこで集めた資料を整理して、一部は会社の図書室に収蔵し、一部はオンライン・アーカイブとしてウェブ公開するという段階では、社内にそうした確立されたワークフローや規程が存在するわけでもなかったので、悪戦苦闘した苦い経験がある。いっそのこと自分の体験談を話して、他の方々から問題解決のヒントをもらう、勉強させてもらうつもりで開き直って発表させていただくことにした。

それにあたって、そもそも僕が本で取り扱ったテーマでのデータや資料の蒐集はどうなっているのかと思って読んだのが「富岡製糸場と絹産業遺産群」の世界遺産登録に向けた取組みについて書かれた書籍と、そして過去1カ月ぐらいの間に度々ご紹介してきたデジタル・アーカイブ化、オープンデータ化に関する実践事例集であった。本日ご紹介の書籍は、後者のグループに属する。

本書は「座談会」、「アーカイブの意義と愉しみ方」、「アーカイブをデジタル化する」という3部構成になっている。座談会は話の展開がよく見えなくて(毎回、僕は座談会の書籍収録には泣かされる)、飛ばしてもいいと思うが、第2部以降の各章は面白い実践事例の宝庫ともいえる。松岡資明さんによる「アーカイブとは何か―その意義と現状」は、いわば本書における総説という位置付け(だから座談会は要らないとも思える)で、これに続いて落語速記本の蒐集、マンガ・アニメ・ゲームのアーカイブ、映画フィルム以外のポスターなどを指す「ノンフィルム」のアーカイブ、音のアーカイブ等が紹介されている。それに続いて、第3部では、京都府立総合資料館でのデジタル・アーカイブ化の経験、FacebookやFlickrによる個人アーカイブや簡易アーカイブ構築の実践、大学等教育機関におけるデジタル・アーカイブの活用、アーカイブづくりに関わる法律や契約等にかかる論点の整理が試みられ、最後にデジタル・アーカイブの実践事例ということで、渋沢栄一伝記資料のデジタル化、企業におけるデジタル・アーカイブ化(ホンダの原点ライブラリー、長野県小布施町立図書館の取組み、震災記憶のアーカイブ化、諸外国のデジタルアーカイブ実践事例が紹介されている。

本書のシリーズの既刊として、『デジタル文化資源の活用』を先に読んでいたので、今回ご紹介する本書の方は実践的で面白く、読みやすかった。第1部の座談会収録はなくても全体の理解にあまり影響はないような気もするが、第2部以降の各章はとても面白く、「アーカイブ」というものの捉え方の幅広さ、Facebookの活用等に、とっつきやすさも感じた。僕が本を書かせてもらった時に、「渋沢アーカイブズ」には大いにお世話になった。あの時は単に1ユーザーとして重宝したということであったが、本書を読むことで、あのデジタル・アーカイブは構築されるまでに大変な関係者の努力があったのだというのがわかり、改めて感謝の気持ちが強まった。

書誌のオープンデータ化をすることにより、テキストマイニングのような新たな分析手法の適用も可能になり、新たな発見の可能性も広がる。これは、僕らの仕事にも言えることで、既にPDFファイル化して公開されているプロジェクトの資料をテキストマイニングすれば、どの時代にどのようなキーワードが頻繁に出現しているか、プロジェクト実施上どのような問題が頻発する傾向にあるかがわかり、ひょっとしたらそれらをどうやって乗り越えてきたのかもわかるかもしれない。

過去の教訓を未来に生かす――そんな意味で、アーカイブ化は未来志向の取組みでもあると思う。歴史資料を一部の歴史研究家だけのものにとどめるのではなく、若い人たちにとっても若い人たちならではの感性に基づいてアーカイブ化し、利用できる可能性があると思う。(首都大学東京のグループが製作したヒロシマ・アーカイブは、この本の時点よりもさらに話が進展しているので、本書の記述には既に少し古い部分も存在している。)

僕が今回参加した研究会の発表者の多くが、それを歴史上の重要人物の遺した文書や政府の遺した公文書の収集と保存、活用といったところに発表のフォーカスを置いており、ユーザー側の視点として主には歴史研究者の立場からの発表が多く、アーカイブの提供側の視点としても、どんな資料がどこに所蔵されているかという視点からの発表が多かった。一方で、こうした構成だと、歴史研究者が他国の重要資料をマイニングするのには有用だと思えるが、こういう取組みに若い世代の人たちがどう関わっていくのかという視点が希薄だった気がする。

それを気付かせてくれたのが、3.11東日本大震災・原発事故後に盛り上がってきている震災アーカイブ化の取組みである。震災アーカイブは、本書でも取り上げられているし、過去に読んだ何冊かの本においても、それは中心テーマでもあった。若い世代の人たちに限定して述べてしまったけれど、重要なのはむしろ住民参加の視点で、若い人だけでなく、お年寄りの持つ地域の記憶等もある。既にある歴史資料の有効活用ではなく、そもそも暗黙知としてしか存在していない人々の記憶のようなものも含めて、データ収集の部分に相当な時間とエネルギーを投入しなければならないのが、最近盛り上がってきてるアーカイブ化の論点なんじゃないだろうか。

などとダラダラ述べてきたけれど、最後に気に入った記述を幾つか引用する。後々の参考にしたいから。

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デジタルアーカイブという言葉は、1990年代の中頃、月尾嘉男東京大学名誉教授が提示した。アーカイブとデジタルという言葉が生まれたのは、この時代にICTの発展といわゆるソフト・パワーや文化資源への注目が結びつくようになったことによる。(p.227)

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アーカイブズは、(中略)「(平面的媒体に)文字で、かつ、リニアな言語で書かれた歴史的資料・資料群もしくはその資料群を長期的に保存する機能(組織)」。日本においては、アーカイブズに関する研究は、主として「古文書学」もしくは「史料学」という分野で扱われることが多かった。古文書学は、戦前に厳密に史料を読み解くことをはじめた時期からすでに起こっている学問であり、その意味において、非常に歴史のある学問である。

 しかし、「古文書学」という名の通り、主たる研究対象は、いわゆる「古文書」であり、現用文書はもちろんのこと、現用文書が非現用化してすぐのような時代の浅い文書が対象とされることは多くなかった。結果的に、日本においては「古文書」と「公文書」に関する研究はそれぞれ別の研究文脈で進められることになった。

 これらを総体として研究すべきであるという提言をまとまった形で早くに行ったのは、安藤正人氏である。安藤氏は、古文書と近代以降の公文書などの総体を「アーカイブズ」としてとらえ、国際的な動向と日本の史料状況との接続を試みた。ただし、当初、安藤氏は、このアーカイブズをそのままの語として用いるのではなく「記録史料」という語を訳語として仮にあてることを提案していた。(p.105)

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 アーカイブズは、もともと文字記録資料であった。しかし、人々の記録・記憶をどのようにとどめるかという点から、文字記録資料を超えた多様性を確保しつつある。それは、「デジタルアーカイブ」が持たせようとした広がりと重なる部分もあるが、それすらも超え、私たちの社会の来た道を広く指し示すものになるかもしれない。アーカイブズ概念の本質からすれば、その広がりを持つことは悪いことではないだろう。今までのアーカイブズは、社会との接触、という意味では決してうまくいっているとは言えない部分があった。それは、これほどアーカイブズの必要性が叫ばれつつも、実情として環境の改善が遅々として進まないことからもうかがえるであろう。私は近年、「歴史なき歴史」への危機感の表明を行っている。それは、歴史学の基礎たる資料・文化資源が社会に接続せず、歴史が独り歩きする状況への危機感である。その社会への接続にデジタル・アーカイブを用いる戦略は重要ではないか。デジタル・アーカイブの中には、コンテンツのマッシュアップによって、その訴求力を高める手法を用いている例もある。デジタル・アーカイブの訴求力と接続することで、アーカイブズは社会の中で新たなポジションを得ることができる。そのためには「アーカイブズとはこのようなものであるべきだ」といった、狭い自己規定をすることなく、かといって本質を見失うことない視点が求められる。

 デジタル・アーカイブには、単純なギャラリーではなく、文化資源とそのあり方に基礎づけられた、新たなアーカイブの形を模索すべきであろう。基礎のない、コンテンツが浮遊しただけのものをデジタル・アーカイブと銘打つのは、「歴史学ない歴史」のデジタル版を再生産し続けるだけにすぎない。アーカイブズに土台を持ったデジタル・アーカイブの作成が必要である。情報学関係者には、文化資源に関わる人々からの積極的な「取り入れ」を求める。(pp.113-114)

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 デジタル・アーカイブには、単純なギャラリーではなく、文化資源とそのあり方に基礎づけられた、新たなアーカイブの形を模索すべきであろう。基礎のない、コンテンツが浮遊しただけのものをデジタル・アーカイブと銘打つのは、「歴史なき歴史」のデジタル版を再生産し続けるだけにすぎない。アーカイブズに土台を持ったデジタル・アーカイブの作成が必要である。情報学関係者には、文化資源に関わる人々からの積極的な「取り入れ」を求めたい。(p.114)

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東日本大震災において、被災地の救出作業やガレキ撤去作業においても、家族のアルバムや位牌など、その家族にとって心の支えになる記録の回収が優先された。正直なところ、あの震災まではデジタルアーカイブという言葉も関係者の間だけの言葉であったが、震災以降デジタルアーカイブが個人的にも地域社会にとっても重要な存在になったのである。

 まずは個人から家族へ、そこから自分が所属する学校や会社や団体、そして自分が住まう地域へと、アーカイブの対象を広げていくことで、私たちは「記録を通して記憶を共有する」という絆づくりができるのである。(中略)今まで記録されたものをデジタル化し、今デジタルで記録できるものを合わせて、今日を生きる私たちの生きる支えとなるもの。それがデジタルアーカイブの持つ本当の力なのかもしれない…と、筆者は感じている。
 デジタルアーカイブによって、血縁・地縁・職縁・好縁なコミュニティに参加するために必要な、記録を通した記憶の共有ができる。

 デジタルアーカイブによって、心の支えを持ち、打たれ強く復元力のあるレジリエンスな個人やコミュニティづくりにも貢献できるだろう。(p.141)

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