『虚けの舞』 [伊東潤]
内容(「BOOK」データベースより)
本能寺の変から十年。天下人となった秀吉は朝鮮出兵の大号令を発した。その前線、肥前名護屋陣にいた二人―秀吉からすべてを奪われた信長の息子・信雄と、秀吉に滅ぼされた北条家の生き残り氏規。この苛烈な時代を二人はいかに生き抜こうとしたのか。絢爛たる桃山文化を背景に描かれる落魄者たちの戦国絵巻。
先月、伊東潤の戦国・安土桃山期を描いた作品を立て続けに読んでブログで紹介したことがあったが、本日はその続きである。中心として描かれるのは、三谷幸喜『清須会議』等では手の付けられない大うつけとして描かれていた織田信雄。そして、秀吉の小田原攻めで開城を余儀なくされた相模・北条氏の中でも、先代当主で名将の誉が高かった北条氏康の四男で、伊豆の韮山城の守将を務めた北条氏規である。信雄については良からぬエピソードばかりが流布しており、多くの人が「おバカな御曹司」として理解されていると思うが、やたらと「氏」が付けられる北条氏一族の場合、誰が誰だか混乱してわかりにくくなっており、氏規なる人物がいたということ自体、恥ずかしながら僕自身もこの本を読んで初めて知ったという次第。
こういうアングルからの歴史の勉強はしたことがないのでとても新鮮だった。信雄はうつけを装っていて実際はうつけではなかった父信長と違い、正真正銘のうつけ、しかも自分が無能だという自覚もない大うつけとして描かれることが多いキャラだが、その前提となっていた「自分が無能だという自覚がなかった」という仮説を棄却して、逆に自分は無能で天下人の器にはないという自覚を持っていたと考えた場合に、どのように彼の行動を描けるのかを考えてみると、こんな作品になっていくのだろう。自分が無能であることを自覚していたこと、信長の血を受け継いでいるにも関わらずその無能さが故に味わった孤独感も格別のものであったであろうことが窺える。
信雄はそうした自身の孤独感に負けて、一度は自死を決意するものの、血筋を途絶えさせないためだけに生きながらえる覚悟を決めているという氏規の言葉に、自身の生き抜く価値を見出す。とはいえ、人としての力量はまったく評価されないのに、その体の中に流れる父信長の遺伝子を子子孫孫に伝えるためだけに生き続ける決心をするというところには、人生の寂しさも禁じ得ない。信雄は、父信長の威光を継ぐ者として秀吉にさんざん利用され、しまいぼろ布のようになりながらも、それでも秀吉は手放すことまではしなかった。信雄にはそれがわかってたから、耐えられないところもあったに違いない。
そうしたストーリーから言っても、作品の主人公は信雄の方で、氏規の方はその信雄の生き方に影響を与えた脇役という位置づけだ。
面白かったのは現在進行中のNHK大河ドラマとの違い。本書では、黒田官兵衛は小牧・長久手の合戦の頃には既に「如水」を名乗っている。大河ドラマでは、黒田如水と名乗るようになったのは一度目の朝鮮出兵(文禄の役)の際に官兵衛が無断で帰国して秀吉から蟄居を命じられた時だったとなっていた。時期がかなり違う気がする。
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