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『コミュニティデザインの時代』 [読書日記]

コミュニティデザインの時代 - 自分たちで「まち」をつくる (中公新書)

コミュニティデザインの時代 - 自分たちで「まち」をつくる (中公新書)

  • 作者: 山崎 亮
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2012/09/24
  • メディア: 新書
内容(「BOOK」データベースより)
孤立死や無縁社会という言葉が毎日口にされる現在の日本。今こそ人とのつながりを自らの手で築く必要が痛感されている。この時代の声に応え、全国で常時50以上のコミュニティづくりに携わる著者が初めて明かす、住民参加・思考型の手法と実際。「デザインしないデザイン」によって全員に参加してもらい結果を出すには?話の聴き方から服装にいたるまで、独自の理論を開陳する。ビジネスの場でも役立つ、真に実践的な書。

昨年10月、所属する学会の全国大会に出席するために訪れた広島で購入し、それから1年以上、タンスの肥やしにしてしまった本である。今年11月、出張で米国に行く際、コンパクトな新書サイズだからという理由でなんとなく携行して読みはじめ、なかなか集中できなかったけれどもなんとか読み終わった。でもそこからがさらに試練で、ブログで紹介記事を書こうと思っていたのになかなかその時間を作れず、そのうちに記憶もだんだん薄れてきて、書かれている内容を忘れていってしまった。今でもこれを紹介できるのかどうか不安ではあるが、年を越したくないので敢えてここで紹介しておく。

著者の山崎亮氏は、2012年頃から「コミュニティデザイン」と名のつく本を次々と世に出しはじめ、注目を集めはじめた時代の寵児ともいえる人だ。元々は建築デザインを大学で専攻されたようだが、時代は人口減少社会へと転じようとしていたその時期、無名のデザイナーが腕を振るえるハードの建築物の設計の機会は少なくなりつつあった。そこで新たなチャンスとばかりに見出したのが、建築物だけではなく、地域社会のあり方を地域の住民の参加も得てデザインしつつ、その中で求められる「場」としての構造物・建築物の設計をも参加型で進めるという「コミュニティデザイン」の発想だった。従って、デザイナーが自分の思い描いたデザインを形にするというのではなく、その地域に入り込んで、住民が持つニーズとリソース、そして発想などを引き出し、それらをつなぎ合わせて地域自体の設計に生かしていこうという、ファシリテーターのような役割に、建築学の専門知識がドッキングしているのがコミュニティデザイナーなのかな、僕はそう理解した。

氏が経営するデザイン会社を通じてこのコミュニティデザインを手掛ける実績を積むにつれて、国内各所において講演の依頼等が氏のところに舞い込んでくるようになった。そして、講演を行なう際に毎回同じような質問が参加者から投げかけられることに気付いた。そこで、FAQに対する整理された回答をまとめておこうということになり、この本の執筆に至ったのだという。目次の項目を見ていくと、講演会の会場でフロアからどんな質問を受けたのかが容易に想像できる。だから、最初から最後まで通して読むという読み方だけではなく、一種のレファレンスとして、必要な時に必要な箇所だけ読むという方式での読み方にも合っているかもしれない。

結果として、面白かった箇所もあったし、面白くなかった箇所もあった。節と節の間がぶつ切れになっていたり、同じケースの引用が随所に出てきたり、編集段階でもなかなか整理しきれなかったのだろうと思われる読みづらさが本書には存在する。多分それが読むのに時間がかかってしまった理由だろうし、書かれていたことを思い出すのにも難儀した理由でもあったのだろう。

ただ、幾つか自分なりには重要だと思ったポイントがあるのでここで挙げておきたい。

第1に、地方が課題先進地域であるという視点。日本が課題先進国だというのは僕らもよく用いる主張なのだが、その先進的な取組みがどこにあるかというと、超高齢化や人口減少、財政危機といった課題が最も早くから顕在化したのは地方だ。だから、地方で地域活性化を進める取組みに関わっている人々は、もっと胸を張ってそれを誇ってもいいということらしい。

第2に、著者が言っているように、コミュニティデザインには「その人と地域の特性にあったやり方がある」というのはその通りだと思うけれど、やっぱりどこの地域に行っても通用する一般化・概念化された方法論というのを提示しておかないと、日本の地方は元気にはなれないとも思う。山崎氏とそのスタッフが日本全国津津裏々までカバーされるのならともかく、実際には同様のコミュニティデザイナーがもっと沢山育ってこないと、時代の要請には応えられないのではないかという気もする。この本は地域住民のニーズに応えるというか、ニーズの掘り起こしの方をまだ狙って書かれているように思える。

第3に、そうはいっても、こうした取組みに参加してくれる地域住民というのは限られるのだなという点。ある意味、これがいちばんショックだった点でもある。本書によると、著者が関わった人口2300人の町ですらまちづくりに参加していない2000人が存在するとのことである。だいたい2割の人が参加し、残りの8割は参加していないということになる。これが一種の黄金律で仕方のないことなのか、それともやっぱり2割よりももっと増やしていく必要があるのか、著者は後者の立場を取っているように思えるが、著者自身も成功していない点であるともいえる。

ただ、発想を変えれば、山崎氏の関わるコミュニティデザインの取組みに乗る人がその程度の人数であったとしても、それはそれでいいのかもしれない。別に地域活性化の取組みを山崎氏の主宰するデザインに集約する必要もないわけで、他に別の人的ネットワークによって同様に優れた取組みでも起こっているならそれは良いことではないか。

我が街でも、人口17万人の自治体において、100人程度の住民の無作為抽出と有志の組合せにより、まちづくりの基本計画を作ったことがあったらしい。僕らはその計画が出来上がった後に転入してきているので、参加する権利自体はなかったと理解しているが、この計画策定に携わった人々は今でも強固な横のつながりがあり、それが様々な形でのまちづくりの取組みのコアとなっている様子が見受けられる。こうして様々な取組みが増殖していくこと自体は悪いことではない。でも、この強固な横のつながりは、濃密すぎて僕らのようなレイトカマーがちょっと入りづらい雰囲気も醸し出している。言い方は悪いが、「内輪で盛り上がっている」という印象もある。

まちづくりの取組みにはできれば参加したいけれど、なんとなく参加しづらい―――人をどうやって引っ張り込むか、あるいは背中を押せるか。結局のところ、コミュニティデザインがうまくいくには、そこのところをうまくやれる地元のファシリテーターが育つことが重要なのかもしれない。外部者は手を差し伸べることはできても、背中を押すようなところまで入り込むには時間もかかるのではないか。

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