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『渇きの考古学』 [仕事の小ネタ]

渇きの考古学―水をめぐる人類のものがたり

渇きの考古学―水をめぐる人類のものがたり

  • 作者: スティーヴン・ミズン
  • 出版社/メーカー: 青土社
  • 発売日: 2014/05/22
  • メディア: 単行本
内容(「BOOK」データベースより) 有史以前から人類は水との戦いを続けてきた。古代の支配者たちは自らの権勢をより強くするために潅漑システムや水管理の技術を高めようとし、一方で、水の管理に失敗した数多の文明が無残にも崩壊してきた。これからも続く水との戦いにおいて、私たちはその歴史から何を学ぶことができるだろうか。認知考古学の第一人者が綴る、人類と水とのめくるめく興亡史。

考古学って学問は、キツイと思う。調査はせねばならないが、調査費の捻出には毎回苦労しそうだし、そもそも調査地域の歴史について造詣のほとんどない人間に調査の意義を理解してもらうのだって厳しいに違いない。マスコミにでも注目されるような優れた業績でもあげれば支援者も増えるかもしれないが、そうなるのはほんのひと握りの案件に過ぎない。民間からの資金調達は難しいが歴史的には意義があるという発掘調査なら、国がもっと助成金を出すべきなのかもしれないが、財政赤字を垂れ流している今の日本政府に、発掘調査や遺跡の修復事業等に投入できる予算はあまりないだろう。納税者が納得しない。

歴史について興味のある人間としては、考古学者に同情するところもないことはない。ただ、このことは考古学者自身の問題でもあるのではないかと思う。自分の研究対象である遺跡の発掘調査や修復・維持事業には関心があっても、その地域で今起きていることに関して、何かしようということは考えないのかと耳を疑いたくなったことがある。中東の某国など古代遺跡の宝庫であるが、現在は内戦中で入国することすら危険である。そういう国で日本隊は1970年代から発掘調査をやってきた長い歴史があるらしいのだが、長年の遺跡発掘調査でその国とは太いパイプがあるのだから、一刻も早く我々に調査を再開させて欲しいと言われる。内戦終結よりも調査再開が大事だというのかと、白けてしまうようなお話だ。もうちょっと、そこに住む人たちの置かれた状況に思いを馳せてもよいのではないか。

趣味で発掘調査や遺跡修復活動をしているだけでは、考古学の意義を多くの人に知ってもらうことは難しい。我々現代人は歴史から何を学ぶかという観点でいえば、考古学界からもいろいろな示唆を本当はもっとして欲しいところだ。そもそも中東にそんなに高度な技術を持った文明が存在していたのだとしたら、何が原因で衰退したのか、そこからどんな教訓を我々は学ぶべきなのか、そんなことを教えてくれるとしたら、考古学も意義がある学問だと言えるだろう。

―――本書を読みながらそんなことを感じていた。

いみじくも本書の巻末解説で、訳者がこんなことを述べている。
 分析的に蓄積されてきた知見を、「水」をテーマに結びつけようという本ミッションの主導者は、その知見の蓄積をつくりあげてきた考古学者たちであったと言えるだろう。しかし、考古学者は現実の問題、例えば水危機や塩害あるいは洪水や土砂災害を技術的な方策でもって対症療法的に是正する専門家ではない。ゆえに、正直なところ、考古学は社会的に有用な学問とは評価されていない。財政事情が悪くなれば真っ先に予算カットの対象となる分野といってもよい。ところが、現実問題の背景を根源にさかのぼって調査することができ、それに基づいてなんらかの具体的な提言が可能な学問はと問われれば、考古学がその一翼、しかも重要な役割を担うことは確かである。
 冒頭の繰り返しになるが、「水」が今日的で地球規模の問題であることは周知である。同じように、近年、警鐘が鳴らされ続けている地球規模の環境問題がある。たとえば二酸化炭素などの温暖化ガスが原因で暖かくなっていく地球規模の気候変化である。その状況が今の勢いで進めば、豪雨や豪雪、スーパー台風や竜巻といった極端気象が常態化し、洪水や地滑り、土石流といった土砂災害や干ばつ被害が増加、拡大するだろう。安定を保ってきた自然が極端気象に耐えられなくなっているようだ。そしてその遠因が繰り返されてきた人間の営為にあることは明らかだ。(p.476)
このご意見には全く同感。これからの15年、水はさらに希少資源化が進むだろう。古代文明で都市レベルで行われていた、当時の人間の叡智を結集させて極限まで有効利用法を突き詰めて設計・実施された水資源管理の手法を、グローバルなレベルで捉えなおして、適用していく必要性が今後ますます高まっていくだろう。日本は文化遺産保護に対して国際協力を行っているところもあるが、単に遺産保護や管理技術の指導ばかりでなく、未来に向けて何が言えるのかも、発信すべきだと思う。

そうした意味では、長年中東での学術発掘調査の経験を蓄積してきている日本の考古学界こそ、こういうタイプの啓蒙書を世に出し、「持続可能な開発」を考える上での考古学界の知見を結集させて、「こうしないと地球はこうんっちゃうぞ」という警鐘をもっと鳴らして欲しかったと思う。

では、本書において古代世界から我々が得た知識から、どのような教訓が導き出せるのだろうか。著者が挙げているのは以下の通りである。各々の項目について、本書のどこの遺跡の考古学的調査からそうしたことが言えるのかが明記されているが、それについてはこの場では詳述しない(pp.435-438)。

 「自分の水供給は自分でコントロールするように。さもなければ少なくとも
  あなたの水供給をコントロールする者たちには責任をとらせるように」


 「木を切るのなら覚悟の上で切れ」

 「都市は水に飢えたけものだ」

 「水供給と水の農耕への使用については、地元の知識を大切にすること」

 「水を無駄使いしてはいけない」

 「自然に逆らわずに、自然とともに仕事をせよ」

聞けば当たり前のことばかりだが、現代の我々には実際にそれがしっかりできていないことが多い。それに絡んでいる当事者に本当にそれを実行させることは、実際に破滅の危機に瀕しない限り難しいのかもしれない。であれば、古代世界での教訓が、その後の歴史の過程の中で、何故学ばれずに何度も同じ過ちを繰り返してきたのか、考古学者に限らず、世の歴史学者はそうした視点でもっと発言をしていくべきだと思う。(そういうのを僕が読んでいないだけかもしれないが。)

フーバーやアスワン、三峡ダムのような20世紀の巨大水プロジェクトは、ただ水力電気を生み出すために計画されたものではなく、それと同時に洪水のコントロール、航行、灌漑を含むマルチナ問題に対処するために作られたと言うのだ。そうだとすると、われわれが過去に対して持つ知識も、単に現在に関係があるだけではなく、未来に対する希望より、むしろ絶望の理由を与えるものと結論づけても、それは理不尽なことではないだろう。当然のことだが、古代の文明はそのどれもが、現代の世界まで生き残ることができなかったわけだから。シュメール人は排水が不十分なまま、過剰な灌漑を行なったことで自らの失墜を招いた。ホホカム人、マヤ人、アンデスのプレインカ文化、そしてアンコールの人々はことごとく気候変動――干ばつと洪水、あるいはその両方の衝撃が立て続けにやってきた――に屈した。(中略)このように、水管理にいくら多くの資本を投下しても、またどれほど技術が独創的なものであっても、古代の文明は最終的には維持できなかった。そしてわれわれに与えたものは暗い見通しだけである。あとえ天然痘の21世紀版がわれわれに襲いかかることがなくても、気候変動はたしかに起こりうるだろう。(pp.428-429)

 将来に対する絶望的な見通しも、歴史を通して、われわれの先人たちが環境をひどく破壊した――それはしばしば社会や経済が破綻した一因となった――事実について学ぶことからくるのかもしれない。干ばつはたしかにマヤ崩壊の原因だった。が、燃料や建築資材の調達のために森林を伐採したことが、彼らの環境を気候変動に対してとりわけ反応しやすくさせ、降雨量の上下に対応できる回復力を減じてしまう結果となった。森林伐採は、ペルーのナスカやレバントの新石器時代の文化が崩壊したおもな理由でもあったようだ。植生の喪失が水利システムの活力を変化させ、広範囲の土壌浸食を引き起こした。森林の伐採は中国北部のレス土壌を不安定にし、農業生産力を低下させた。その一方で黄河に堆積される沈泥の量はますます増加するばかりだった。政治上の指導者たちは、環境への影響に一切おかまいなく、自分の権力基盤を維持するために、以前にもまして無駄な金を使って水管理の事業を遂行しようとする。そんな状況が古代世界では広がっていた。が、それは今日でも変わらない。個人、政府、文化、国家などが抱く権力への渇望が、人類に環境維持と経済成長とのバランスを見つけ出すことを不可能にさせている。
 憂鬱な気分になるが、われわれは水危機の存在だけではなく、その深刻さに気づくべきではないだろうか。それも水危機に直面している地域は、われわれがすでに見てきたように、古代の水供給の管理において、すばらしい技術的な創意工夫と業績を示した所なのである。(pp.430-431)

少し前に顔を出した研究会で、考古学調査の実施内容について報告された研究者に、この遺跡がまだ「遺跡」ではなく現役だった当時、その周辺はどんな風景だったのかと尋ねたことがある。写真で見る限り、その地域は草が所々に生えた荒涼とした土地だったが、昔は「森林」だったのだそうだ。森林、どうなっちゃったんだろうか。

そんなことを考えると、考古学者は我々人類の未来に対して、もっと発言をしていってもいいのではないかと思う。



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