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『デジタル文化資源の活用』 [読書日記]

このところ仕事とは全く関係のない本を読んでる時間は極端に限られ、それでもなんとか読了する書籍の1つ1つに加える感想は、書くのが読了から1週間も経った後ということもある。その間に肝心の記憶も薄れてしまい、記事をすらすら書くことが難しくなってきている。

今週はサッカー・ワールドカップでの熱戦に湧いて読書もままならないという人は多かったのではないだろうか。かく言う僕は夜中の試合中継が多かったので、深夜に及ぶ残業から帰宅すると睡眠時間確保のために先ず就寝するよう心掛けており、あまり積極的に観戦はしていない。しかも朝、家を出る時間も少し早目にしていた。出社は9時頃だが会社近くのコーヒーショップには7時30分には到着し、仕事の準備のために資料を読み込んだりして過ごすことが多かった。読書自体は電車の中で行い、しかも帰りの電車の30分程度ということになる。だから、読み始めから読了までも相当に間延びしてしまい、それも記事を書くのを難しくしている。

本日ご紹介する本は、元々借りたのは先月20日頃のことで、読み始めるまでに2週間以上かかり、そこから読み終わるまでにさらに2週間かかった。同時に借りたもう1冊も読み切った上で今週の韓国出張に臨みたかったのだが、とにかくここに至るまでの仕事の忙しさは異常で、読む時間を捻出すること自体がひと苦労だった。(小説は読んでるじゃないかというツッコミは勘弁して下さい。あれはストレス・マネジメント目的なので。)

デジタル文化資源の活用  地域の記憶とアーカイブ

デジタル文化資源の活用 地域の記憶とアーカイブ

  • 作者: NPO知的資源イニシアティブ 編
  • 出版社/メーカー: 勉誠出版
  • 発売日: 2011/07/11
  • メディア: 単行本
内容紹介
未曽有の東日本大震災から3ヶ月―。 この震災で起きたことをしっかりと記録し、アーカイブ化して残していかなければならない。それが地域の記憶となり、本当の意味での復興につながっていく…。 「文化遺産」や「文化財」にとどまらず、あらゆる人間活動=「文化資源」を保存し活用していくには、もはやデジタル技術は欠かせない。 その具体例を紹介するとともに、求められる人材養成・財源・知的財産のありかたに対する政策を緊急提言する。

共同研究参加者による論文集である。各々の論文は参加者の興味に基づくもので、中にはあまりに事例が具体的過ぎて参考にもならないものもあるので、部分的には飛ばし読みしてもいいだろう。

博物館(M)と図書館(L)、公文書館(A)の間でのMLA連携の推進が全体を通じたテーマだったように思う。今は縦割りになっている各々の人材育成のはざまで、貴重な資料が埋もれてしまうことも起こり得ると指摘し、三者間での連携のとれた人材の育成、制度構築等が主張されている。例えば、ある地域で古民家から屋根裏や蔵に眠っていた貴重な資料の提供を受けたとする。それが博物館なら、提供されたうち、ビジュアル性の高いものを中心に資料展のような企画は考えるかもしれないが、それ以外の時は倉庫にすべて眠らせておく。図書館は蔵書として書架に置けそうなものは早々に対応してくれるかもしれないが、古い写真とか手紙とかいったものは書架にはそのまま置けないから、これまた書庫の片隅に段ボール箱に入れられたままで放置されるかもしれない。そして、公文書館はこうした文書を整理して管理してくれるかもしれないが、農機具や民具、家財道具のようなものは保管してくれなさそう。

MLAはそれぞれに良いところもあるけれど、地域の資料を総合的に管理するには一長一短があり、それを相互補完するためにもMLA三者の連携が必要なのだということだろう。

目からウロコだったのは、公文書の整理のために、市民から有志を募ってボランティアとして働いてもらうという発想。実は、膨大な資料の山の中から、どれが重要でどれが重要でないかを峻別し、重要なものをきちんと保管できるよう目録を整備するのは大変な作業だ。古文書は文言が解読できないとその軽重が判断できないだろうし、古い写真は、いつ頃、だれの手で撮られたのかが特定できなければ、展示に付すこともままならない。こうした作業は相当な手間がかかる。

僕は以前いた職場で、まさにこの作業をやろうとして手がつけられず、道半ばで断念した。もしその作業に関心のありそうな人々をボランティアとして動員かけられたとしたら、もっといい仕事ができたに違いない。

あとは、東日本震災復興をめぐる、国内MLA3トップ―――国立西洋美術館、国立公文書館、国立国会図書館館長の鼎談が良かった。いみじくもこの鼎談を司会した東大の先生がこんなことを言っているのが印象的だ。

アメリカの公文書館では、大統領図書館として歴代の大統領のすべての文書がそこに行くので、そうそう悪いことはできない。要するにどんな大統領であれ、そのすべての文書が記録され、いずれ何年か時間がたてば公開されるということが、権力の公共性を担保しているという。これはとても大切なことですよね。
 国立国会図書館ができたときにも、アメリカの議会図書館や大統領図書館、公文書館のその思想を受け継いでつくられたというか、戦後発展した部分がありますよね。だから社会がそういう公共の記憶を持っているということが、その社会そのものが劣化しない、あるいは陰に隠れて変なことができないことになっている、最大の担保なんですよね。それを警察とか検察とかに任せてしまうと、今度は警察や検察が悪いことをし出すと、社会はどうにもならなくなってしまうのですがそうじゃない。ちゃんと記憶していって、後世がちゃんと判断するということができていれば、最悪の場合にでも、どこかに安全装置が社会に対して働いている。そのための公文書館であり、図書館であり、博物館であることがとても大きいように思います。(p.28)

今回の震災を通じて二万数千というとんでもない数の命が失われたわけですが、まだ魂が漂っているというか、まだ鎮魂されていない。そして、物理的にもすさまじい破壊が起こり、風景が消え、元のところには住めないということが非常に多く起こっている。こういう状況の中で、ある種の心と言いますか、人びとの思い出は記憶することができるんじゃないか。しかも非常に先端的なテクノロジーを使い、記憶する社会に日本社会が変わっていけば、その人びとの心、亡くなられた方たちの心も含めて、思いを後世に伝えていくことができるのではないか。国がやらなければいけない役割が、そこには本当にあるのではないかという気がいたします。(pp.41-42)

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