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『フィールドワークの戦後史』 [宮本常一]

フィールドワークの戦後史: 宮本常一と九学会連合

フィールドワークの戦後史: 宮本常一と九学会連合

  • 作者: 坂野 徹
  • 出版社/メーカー: 吉川弘文館
  • 発売日: 2012/11/22
  • メディア: 単行本
内容(「BOOK」データベースより)
戦後、人類学・民俗学・考古学などの学会が結成した“九学会連合”。宮本常一らの共同調査から、対馬をめぐる日韓の軋轢や、「日本人」の証明を求めた奄美の人びとの姿を辿り、フィールドワークを戦後史に位置づける。
僕は2009年6月から「読書メーター」というサイトで自分の読書を管理している。感想を詳述するにはブログに任せつつも、寸評は読書メーターにも残している。また、2009年6月以前に読んだ書籍についても、このブログで記録していた分はバックデートで読書メーターにも記録し、ブログをつけ始めた2005年2月からの通算で、何冊読んだかがわかるようにする取組みも始めた。その取組みがあと1年分ほどで完了というところまではきたところで、通算の読書数が930冊を超えていることが確認できた。そこからは、新規の読書で1000冊を目指すことにした。

―――そして迎えた通算1000冊目が、本日ご紹介する1冊である。

読んでみると博士論文のような印象だ。幾つかの章は単独でも1つの論文の体をなしているし、それを横串で刺して「戦後史」ということにはしているけれど、そのフォーカスは九学会連合による合同学術調査の中でも序盤の1950年代に行なわれた対馬、能登、奄美での調査の様子が詳述されていて、それ以後の学術調査については軽く触れられているのみである。おそらくそれの意味するところとは、日本の学術研究者が解明したいと思うような日本国内における「辺境」というのが、高度成長期を境にどんどん失われていったということではないだろうか。

以前宮本常一の関連書籍でも読んだことがあるが、昭和38年(1963年)頃を境に、佐渡や能登で民家の軒先で干されている洗濯物の構成が変わってきたと言われている。具体的には、以前なら同じ着物を何度も継ぎはぎして着古していたので、長く着用されている衣類が干されていたが、この頃を境に市販の衣類に変わり、長く使うよりも古くなったらそれは捨てて新しいものをお金を出して買おうという考え方に変わっていった。それが地方にも浸透し始めたのがこの頃なのだろう。言い換えれば、この頃は都市の消費文化が地方にも浸透し始め、都市で買えるものが地方でも入手できるようになってきた頃ということ、つまり日本国内に「辺境」というのが消滅し、どこへ行っても同じような風景が見られるようになってていったということなのだろう。そうなると、誰も知らないことを明らかにしたいという学術研究者の欲求は、日本国内でのフィールドワークでは満たせなくなる。

「戦後史」といいつつも著者が1950年代から60年代前半にフォーカスを当てた理由は、そんなところにあるのだろう。そして、くしくもそれは、民俗学研究の最大のパトロンだった渋沢敬三が1963年に死去し、民俗調査に積極的に加わってきた宮本常一が、健康上の理由もあって九学会連合調査に参加できなくなってきた時期とも符合するようだ。

九学会連合調査については、対馬や能登の調査に参加していた宮本常一の著作からその様子をうかがい知ることはできるが、それを宮本以外の目ではどう捉えられていたのかを述べた文献を読むのはこれが初めてだった。宮本は対馬でのフィールドワークの経験に基づいて書いた『忘れられた日本人』で有名になった。この本には「土佐源氏」のような高知・愛媛県境辺りに住んでいた馬喰のライフヒストリーも収録されているが、読んで最も印象に残るのは対馬で訪れた民家にあった古い史料の部外者(宮本のこと)への貸し出しを巡って開かれた地域の寄合いの様子で、村の重要な意思決定がこのようなメカニズムで行われているのだと初めて知った。

ただ、今回ご紹介の本を読んでみると、宮本の著作を見る目も少し変わるかもしれない。九学会連合が対馬で行なった学術調査は、朝鮮戦争とちょうど同じ時期だった。宮本は何かの著作の中で、朝鮮半島の砲弾の音が聞こえたと述懐しているそうだが、他に学術調査に参加した研究者の中で、そんな音を聞いたという人はいないらしい。本当に聞いたのか聞いてないのかは今となってはわからないが、宮本の著作の中にはひょっとしたら脚色が含まれているのかもと思った意外な瞬間だった。

だからといって、宮本の功績にケチをつけるつもりはない。なぜなら、九学会連合調査に参加した研究者の中で、宮本ほど調査対象地域にとっての調査隊受入れのメリットについて思いを至らしたフィールドワーカーはいなかったからである。調査する側の思惑に対して、調査を受け入れる側にもそれなりの思惑がある。調査する側が明らかにしたいと思っていることと、受け入れる側が明らかにしてほしいと思っていることも違ったりする。渋沢敬三が大きなスポンサーとなり、宮本が積極的に参加していた対馬や能登での合同調査に比して、その後の奄美大島での調査がより学術研究の色合いが強くなってしまったのは、宮本が参加できず、地域の発展という視点に欠けて研究者の興味の方がはるかに優先された結果だったということができそうだ。

著者は1961年生まれで僕と大して年齢が変わらない。そんな著者が自分が生まれる前に行なわれていた学術調査について調べるのだから大変だったとは思うが、放っておけば忘却の彼方に追いやられてしまうであろう日本の民俗学研究の一大イベントを、こうした形で記録に残されたことには敬意を表したいと思う。対馬調査と朝鮮戦争を関連付けたように、その後の能登や奄美、それ以降の調査をその時々の時代背景と繋げて捉える取組みはユニークで、新鮮でもあった。

タグ:坂野徹 対馬
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