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『アーカイブズが社会を変える』 [仕事の小ネタ]

アーカイブズが社会を変える-公文書管理法と情報革命 (平凡社新書)

アーカイブズが社会を変える-公文書管理法と情報革命 (平凡社新書)

  • 作者: 松岡 資明
  • 出版社/メーカー: 平凡社
  • 発売日: 2011/04/16
  • メディア: 新書
内容(「BOOK」データベースより)
2011年4月、公文書管理法が施行される。国民の利害に関係する公文書を適切に管理し、利用者=国民の要求があれば閲覧を認めるという、民主主義の根幹に関わるきわめて重要な法律だ。日本はこれまで記録保存に関して「後れた国」だったが、この法律で何がどう変わるのか。公文書の世界で起きている地殻変動を伝え、知られざるアーカイブズの宇宙に誘う。
最近、現実逃避のために小説ばかり読んでいたが、5月から6月にかけてはテーマを決めて真面目な本を読んでいこうかとも思っている。「アーカイブズ」というテーマを考えた時点では本決まりではなかったけれど、「組織の記憶を第三者が参照できるような記録にまとめる」という取組みの世界普及をテーマにした会議に、6月下旬に出ることになった。しかもモデレーターをやれというご下命が下っている。モデレーターの件は余分だったけれども、この会議に出席することはかなり前から予想はしていたので、そのための第一歩ともいえる、「記録を残しておく」という行為について、少し勉強しておきたいと考えたのだ。

本の紹介からさらに外れるけれど、僕は異動で今の職場に移ってくる以前、「組織の記憶を記録に残す」という行為に直接的に関わっていた。昔の事業関係者にインタビューしたり、短いエッセイを書いてもらったりして、各々の頭の中にある暗黙知を文章や音声・映像情報といった形式知として残す取組みを進めていた。それを本にしたり、デジタルアーカイブにしたりする作業はある程度は進めることができたと思う。自分にできる範囲でということにはなるけれど。だが、その部署に3年在籍して、どうしても着手できなかった取組みが1つ残っている。

それは、その事業の実施にあたって生成された様々な文書のうち、我が社の文書管理規程にある文書保存期限を越えても利用価値があると思われる文書を抽出して、それだけでも別途半永久的に保管していくという制度作りである。上司からは、我が社が実施したすべての事業でこの取組みを進めることは不可能に近いので、せめて書籍にまとめる際に蒐集した資料ぐらいはファイリングして目録を作って図書室に保管しておこうといわれていた。が、実際にそこまでできたと思えるのは、僕自身が本の執筆を手がけた1件のみである。

最大の問題は、保存期限切れの膨大な文書ファイルの中から、残しておきたい文書だけを抜き出す作業は人海戦術でないとできないが、そんなマンパワーが配置されていたかったことと、さらに言えば、そうして抜き出した文書だけをファイルして、保管する際の書庫のようなものが未整備であったということだ。要すれば、制度自体が出来上がっていない時に、それを現行の制度枠組みの中でやろうとすれば、人も必要だしカネもかかる、ついでに言えば、そうやって、規程も存在しない保存期限切れの「史料」に光を当てようという意識自体が、全社的に浸透していないということもある。歴史が好きで、こうした史料から当時の組織や人が何を考えどう行動したのかを考察することに面白さを見出している僕としては、寂しい限りだ。

でも、これはどうも我が社に限った話でもないらしい。本書によれば、公文書館を持っている自治体は、全て合わせても全国で50を少し越える程度しかないという。また、国立公文書館の職員数でも、米国の国立公文書管理局で1500名強、英国600名、フランス500名、オーストラリア400名、韓国500名などと軒並み3ケタ台の職員数であるのに対し、日本はわずか50名程度らしい(p.16)。そもそも国立公文書館の職員数が2ケタ台という国は他にない。中国やインドよりも少ないのである。僕がインド駐在させてもらっていた時、官庁街の近くに「National Archives」と書かれた国立公文書館の堂々たる建物が立地していたが、植民地統治下にあったインドの歴史も踏まえると、重要な文書をしっかり保存・管理しておくことが、我々がどこから来たのかを正しく理解する第一歩なのだろうと思う。

このブログで日中関係や日韓関係について書くことは滅多にないけれども、隣国から日本の歴史認識を問われることが多い昨今、その認識を裏付けるようなエビデンスを、過去の公文書の山のなかから探し出せるようにしておくことは極めて重要な筈だ。でも、かなり重要度が高い公文書でも、30年経てば廃棄処分の対象になってしまい、それを越えて重要文書を保存する枠組みがないこの国で、その歴史認識を実証することはかなり難しい。2011年に公文書管理法が制定されはしたものの、そのための人員配置は当面の間各自治体の状況に応じて延期にすることも可能といったような例外規定が附則で述べられており、実質骨抜きになっているとの批判もあるらしい。

 歴史とは、「人類社会の過去における変遷・興亡のありさま。また、その記録」(『広辞苑』)という。言い換えれば、事実(と思われることを含めて)を示す何らかの「証拠」を組み合わせ、推論を交えてつくりあげた一種の「物語」という言い方も可能だ。その証拠となるものが「記録資料」にほかならない。
 とすれば、記録資料を粗雑に扱い、廃棄してきた日本という国はいったい何なのだろう。記録資料を適正に保存・管理し、公開することは、歴史をつくる基礎なのである。そうでなければ、政府の思惑によって歴史そのものがねじ曲げられかねない。
 それだからこそ、証拠となる記録資料が大事なのである。証拠に基づく科学的な分析を行い、検証が可能な道をつけておく。自然科学に限らず人文科学の世界でも、そうした発想を持たなければならない。(p.141)

  翻って記録を保存する意味を考えてみると、それはつまり記録に対して責任を持つということに等しい。それなのに国は、個人が生きた証を「時間ですから」と機械的に廃棄する。そこに国家というものの本質が表れているように思える。突き詰めて言おう。アーカイブズ(記録資料)の本質は、「公開」を前提として自己の行跡に責任を持つことである。それは国でも企業でも個人でも変わらない。(p.217)

なお、本書では、僕もよく知っている我が社の取組みがグッドプラクティスとして紹介されいている箇所がある。著者の取材に応対した関係者の1人に聞いて、誰がその取組みを始めたのか尋ねたところ、その事業に専任で関わったうちの関係者だったらしい。そして、その事業アーカイブズが、後に僕が関わる書籍刊行事業にも繋がっていったのらしい。でも、その取組みは直接的には第二弾が行われておらず、単に一個人のイニシアチブにとどまり、持続可能性が確保されていないようである。

アーカイブ化は、我が社にとってもまだまだ先の長い大きな課題である。

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