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寸評:今週読んだ本(2014年3月前半) [読書日記]

3月も、あっという間に2週間が経過してしまいました。この間も幾つかの本をブログでご紹介してきましたが、取りあえず読み終えているけれども紹介しそびれている本が何冊かあります。仕事が忙しくて読みだめた本の紹介を逐一行なっている余裕を失っており、いざ書こうとすると、内容を思い出すのに時間もかかります。改めて個別に紹介するかどうかはともかく、「読書メーター」に乗せた寸評と合わせ、以下にて一挙掲載しておきたいと思います。

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ぼくらの村からポリオが消えた 中国・山東省発「科学的現場主義」の国際協力

ぼくらの村からポリオが消えた 中国・山東省発「科学的現場主義」の国際協力

  • 作者: 岡田実
  • 出版社/メーカー: 佐伯印刷
  • 発売日: 2014/02/10
  • メディア: 単行本
内容(「BOOK」データベースより)
「小児マヒ」の通称で知られるポリオ。日本においては1960年代にほぼ姿を消したものの、世界ではその後も猛威をふるい続けていた。なかでも、最も対応が急がれる国の一つだったのが、世界最大の人口と、貧しい農村地域を無数に抱えた中国だ。問題解決に乗り出した中国人と日本人の合同チームは、農村の深層に分け入り、ひたむきに真実を追究する。日中専門家の協力と国際社会からの支援によって、ポリオ撲滅の奇跡を達成した国際協力の記録。
ポリオはワクチン投与を確実に行えば撲滅できるのだけれど、それを外国人がなかなか入れない中国の農村部で1990年代に日本の国際協力で行われていたというのがすごい。都合の良いことしか上に報告しない文化、一人っ子政策によって戸籍には載っていない子供が実在していた等、中国でならではの苦労があったのだというのがよくわかる本。政治的には日中は今はうまくいっていないけれど、こうやって専門家間で培われた信頼関係は失われないで欲しいと思う。

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2030年 世界はこう変わる アメリカ情報機関が分析した「17年後の未来」

2030年 世界はこう変わる アメリカ情報機関が分析した「17年後の未来」

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2013/04/19
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
内容(「BOOK」データベースより)
アメリカ大統領も参考にする、最新の未来予測レポート。次代を生き抜く視野・ビジネスのヒントが満載。
割と簡単に読み切れる本。バックキャストと言うんだろうか、2030年のあり得る世界像を考えながら、逆算して今何をしていったらいいのかを考えてみるには良い。いずれにしてもバラ色の未来でもなさそうだというのがよくわかる。個人的に気になったのは水と食糧とエネルギーの相互連関(Nexus)。増えすぎた人口に食わせるための食糧問題を考えて農業増産に水を使えば飲料用水が不足する。増産した食糧を消費地である大都市に輸送すればエネルギーもかかる。「地産地消」とか(水をなるべく節約できる)「点滴灌漑」とか「有機農法」などに今以上に取り組んでいくことになるのだろう。でも、ウクライナを巡る米ロの対立は必ずしも予想しきれていなかった様子が窺える。

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滅亡へのカウントダウン(下): 人口大爆発とわれわれの未来

滅亡へのカウントダウン(下): 人口大爆発とわれわれの未来

  • 作者: アラン ワイズマン
  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 2013/12/19
  • メディア: 単行本
内容紹介
増え続ける人口と悪化する地球環境。人類は滅亡するしかないのか。次世代に何を託せるのか。今はまさしくターニングポイントだ。ますます過密化する世界で、人口減少に転じた日本。著者はこの国で、いかなる希望を見出したのか?
図書館で予約しておいたら、下巻の方が先に確保できたので読んでみた。元々興味あったのは下巻収録の日本とネパール・インドを取り上げたチャプターだったので、ちょうど好都合だった。

日本についてはこう書かれていた。
第13章「縮小と繁栄――日本」より。
そして、いまや適正規模にまで人口が減りつつある日本は、ある問題に関する一つの実験場になろうとしている。すなわち、人類の安全と生存のために人間の影響を減らすには、地球上の人口を減らすべきだと、われわれが(あるいは、われわれの代わりに自然 が)決断したときに直面する問題である。

人間が考え出したほぼすべての経済の尺度は、成長するか否かで定義されてきた。

だとすれば、もしも人間の数が減り、必要となる住宅と物資が減ったら、どうなるだろう? より小さな社会への移行期間中に、年々消費者が減り、非生産的で困窮した過剰な高齢者を支える社会保障費を払い込む労働者が減ったら?

そして、補給可能なペースで資源を獲得してリサイクルできる最適な人口に実際に到達し、人間を養う地球との均衡が達成できたら、どうなるだろう? そのような理想的水準を維持するということは、それ以上は決して成長しないことを意味する。

それは可能だろうか? 人間は成長なしに繁栄できるだろうか?
日本は否応なく、それを試みる最初の近代社会になる。

日本が人類初の挑戦に晒されているのはその通りだが、「希望」みたいに扱われているのには、納得がいくようないかないような。なにせ、僕は地元の国際交流協会の集まりで、老人会員の傍若無人ぶりに辟易しているからだ。すべてのお年寄りがそうだとは言わないが、人の話を聞かず言いたいことを大声を張り上げてしゃべり続ける、人の企画にはケチをつけるくせに自分で挙げる企画も実効性を伴わない(しかもそれを本人がわかっていない)、そんな人が委員として幅を利かせ、事務局は事なかれ主義で自らの口を閉ざす―――もう自分自身が我慢しているのも割に合わないと考え、僕は今季限りで委員を辞任することにしたところだ。

文庫版が出たらもう一度通読してみたい。それにしても、ネパール・インドの地名人名表記、もう少し通例に従って欲しかった気がする。

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