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『場の論理とマネジメント』 [仕事の小ネタ]

場の論理とマネジメント

場の論理とマネジメント

  • 作者: 伊丹 敬之
  • 出版社/メーカー: 東洋経済新報社
  • 発売日: 2005/12
  • メディア: 単行本
内容(「MARC」データベースより)
強い組織をつくる鍵は「場」にある。「場の論理とマネジメント」の考え方をさらに発展させ、場のマネジメントとしての包括的な説明を試み、正しい「日本的経営」の指針を提示する。
伊丹先生の著書を読むのは、僕が通学制の大学院に在籍していた25年前にまで遡らないといけない。当時、既に「日本的経営」の代表的論者で、院生時代に指導を受けた経済学部の先生のおっしゃっていた日本的な経営と米国的な経営の対比がわかりにくかったので、経営学の先生の本でもう少しちゃんと勉強しておこうと思ったのが動機だった。

それから25年も経つと、状況はかなり変わってきている。日本でも株主の短期的利益を最大化しようとする企業行動は強まってきているように思える。役員に欧米人を迎える企業は確実に増えたし、社長が外国人という企業だって多い。日本の企業経営が欧米的になってきているとしてもそれは当たり前のことだろう。株主だけでなく従業員の利益にも配慮し、顧客との短期的な関係よりも長期的な関係を重視する、元々日本的経営の特徴と言われていた特徴が日本企業の間でも希薄になってきた気がするし、逆に米国企業の間でもCSRなどという言葉で地域社会や持続可能な環境の実現に果たす企業の社会的責任が言われるようになった。

要は昔ほど「日本的経営vs. 米国的経営」の垣根ははっきりしなくなり、「日本的」かどうかという対比軸はもはやあまり意味がなくなってきているのではないかと僕には思える。本書でも、著書は米国的経営を「アメリカンフットボール」に例え、日本的経営をなんと「サッカー」に例えているが、サッカーが日本的だというのなら、日本よりはるかに強い欧州のサッカー強国の企業は日本的経営が日本企業以上に実践されているとでもいうのだろうか。そんなツッコミを入れたくなる。

ただ、断わっておくが、2005年に書かれた本書までもが、「日本的経営vs.米国的経営」の対比を試みている本だというつもりではない。

本書における著者の問題意識は、次のように示されている。 
仕事の現場で、仕事をするプロセス自体の中で、人々の間で情報が自然に交換・共有され、人々が相互に心理的に刺激を与え合うように、どのようしたらできるか。(p.23)
本書においても事例分析の対象が日本企業にあることは間違いないものの、僕はこの問題意識なら、著者がもう少し事例の捕捉の範囲を広げれば、欧米の企業であっても同じようなことはやられているのではないかと思う。

人々の間のヨコの情報的相互作用と心理的相互作用が自然にかつ密度濃く起きる結果、自己組織的に共通理解や情報蓄積、そして心理的エネルギーが生まれてくる。(p.32)

ヨコの相互作用とそこから共通理解や心理的エネルギーが生まれてくるプロセスは、決して単純に100%自然発生なのではなくて、そうしたプロセスが起きる土台あるいは土壌(枠組みあるいは舞台と言ってもいい)のかなりの部分は、経営者や管理者の働きかけの結果としてつくられる部分がかなりある。(p.34)

したがって、経営するということ、組織の経営において経営の働きかけをすることは、たんにタテの影響だけを狙っての働きかけばかりでなく、ヨコの相互作用を起こすための状況づくりを狙った働きかけも含むものなのである。(p.35)
その働きかけを、著者は「場のマネジメント」という概念で本書で語っているわけである。

僕らの職場を見渡した場合、禁煙が進んで喫煙者自体が少なくなってきた現在はそうそう言われなくなったことだが、喫煙スペースで形成される喫煙者間のインフォーマルな会話から新たなネットワークが生まれ、それが新たな社内コラボや新たなビジネスアイデアが生まれてくることがあるとポジティブに評価する意見もあったし、喫煙者が羨ましいと一瞬たりとも思ったことが僕にもあった。今で言えば、職場の中にプチカフェ的なものを設置するというのもその派生形だろう。単にコーヒーサーバーを置いておくだけではなく、そこでちょっと一息ついて、たまたま来て同じように一服している人との会話を楽しめるようなスペースを設けるケースは多い。あまり目立つところにプチカフェを置くと、仕事サボってコーヒー飲んで喋っているだけのように受け止められることもあるかもしれないが、そこから生まれてくる新しいビジネスの種、新しいアイデアは結構馬鹿にならないと思う。

でも、こうした「ちょっと一息」的な空間を設けるぐらいの手法は、元々の出どころは日本企業というよりも欧米企業なのではないかと僕は思う。プチカフェを初めて見かけたのは僕の場合は米国駐在していた頃のことで、しかも職場の入っていたビルを一歩外に出れば、スタバの類のカフェはそこらじゅうにあり、街路に置かれた丸テーブルで、スーツにネクタイ姿のビジネスマンが、ラテやエスプレッソを片手に会話をしている光景は頻繁に見た。社外の話なのでそれは別だとしても、職場の中にもそういうスペースは何ヵ所かにあったのである。

従って、このような「ヨコの相互作用」を狙った措置を経営陣がとるのは、別に日本企業に限ったことではないのではないかと僕には思える。

勿論、この「場」の重要性については、僕は著者の論点には賛同する。

場という容れものの中でこうした情報的相互作用が濃密に起きると、3つのことがいわば自然発生的にあるいは自己組織的に起きる。1つは、人々の間の共通理解が増すことである。第2は、人々がそれぞれに個人としての情報蓄積を深めることである。第3には、人々の間の心理的共振が起きることである。(pp.45-46)

場は(中略)、情報的秩序形成(つまり共通理解と情報蓄積)の場として機能するばかりでなく、共振の場として心理的エネルギーの供給の作用をも果たしうる。その二重の機能ゆえに、場は大切なのである。(p.51)
―――その通りでしょう。

これに近い論点は、以前このブログで別の著書『コミットメント経営』を紹介したカッツェンバックの近著『インフォーマル組織力』の中でも言及されているし、この10年ぐらいの間に重視されるようになった、社内横断的なネットワーク「コミュニティ・オブ・プラクティス」も、その形態はややフォーマルな度合いが高いような気はするものの、「ヨコの相互作用」を狙っている部分はあると思う。

要は、日本企業だけが特別なわけではないのではないか。

残念ながら、本書は400頁以上にわたる学術書で、第1部を読み切るのに疲れ切ってしまい、そのうちに図書館への返却期限も迫ってきて、第2部以降は飛ばし読みせざるを得なかった。言われていることは職場で日頃感じていることの延長なので感覚としてはわかっており、こうして理論的に書かれたからといって、そんなたいそうなことかなと思ってしまった。(僕は天邪鬼か?)

経営判断にはかなりのスピード感が求められる。頭の中で理屈をいろいろ考えているよりも、勘に近いところでスパっと判断して、行動に移すことが大事なところも多い。いろいろな企業が取り入れている「場のマネジメント」の実践を学術的に分析することは当然必要だが、ここで書かれたことを自分の組織で実践しようとしたら、そのフォーミュラに逐一従うよりも、直感的にパッパッと判断していくことも必要なのではないかと思う。

いずれにせよ、学術書に近いので、図書館で借りて読むよりも、手元に置いてマーカーを引いて活用したい文献であった。

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