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『わかりあえないことから』 [読書日記]

わかりあえないことから──コミュニケーション能力とは何か (講談社現代新書 2177)

わかりあえないことから──コミュニケーション能力とは何か (講談社現代新書 2177)

  • 作者: 平田 オリザ
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2012/10/18
  • メディア: 新書
内容(「BOOK」データベースより)
近頃の若者に「コミュニケーション能力がない」というのは、本当なのか。「子どもの気持ちがわからない」というのは、何が問題なのか。いま、本当に必要なこと。

まとまりのない論考集である。著者が講談社のPR誌に連載していたエッセイを集めたものなので、各章間のつながりに多少欠けているのは仕方がない。同じような主張が繰り返し出てくるところもある。各章が寄せ集めなのだから、その辺は読者の方で割り引いて読み始めるべきなのだろう。

この本は、近所のコミセン図書室で新着の小説を借りる際についでのような形で借りたものだ。借りるにあたって何か問題意識があったわけではないので、読み始めるのにも時間がかかったし、読み進めるのにもかなりのエネルギーが必要だった。

まとまりの悪い論考を読んでいく中で、僕たちが普段何気なく使っている「コミュニケーション能力」なる言葉の定義の曖昧さに気付かされた。「コミュニケーション能力」という言葉で、僕らは相手に何を求めているのだろうか。コミュニケーション能力は「社会人基礎力」でも強調される要素の1つだと思うが、その意味するところは、上司や先輩に対して「報・連・相」がしっかりできるかどうかを指しているに過ぎないような気がする。

著者は劇作家であり演出家であるが、最近は教育論の論客として、度々マスコミに登場する。コミュニケーション教育に携わり、お考えになるところもあったのだろう。著者によれば、日本のコミュニケーション教育は全てに「わかりあう」ことに重点が置かれているが、むしろ人と人は「わかりあえない」ところから始め、少しだけでもわかりあえたところに喜びを感じるのでいいじゃないか、とおっしゃっている。

その上で、ここから先は最近の僕自身の体験を述べてみたいと思う。(だからと言って、僕は著者の論点に対して支持や反論を試みているわけでは必ずしもない。)

【その1】
先週末、次男の通う小学校で学芸会が開かれた。各学年で全クラスが合同で1つの劇を演じる。うちの子は「モモと時間泥棒」で時間泥棒役を演じるというので、妻と僕はビデオカメラ持参で見に出掛けたが、撮影係だった僕は学校が指定した体育館最後方の撮影ゾーンで、遠くてよく見えない我が子を探して悪戦苦闘していた。そこで気付いたのは、時間泥棒役は劇中で何度も演じる子供が入れ替わっているという実態で、僕がビデオカメラで必死に探して追いかけていた我が子が、実は別の子に交替していたということが何度かあった。(老眼で、最近のデジカメの小さな画面はよく見えないのだ(苦笑))

子供たちにとっては親に見てもらえる一世一代の晴れの舞台だ。学校側としては、全員に平等に役を割り振らないと、文句を言い出す親もいることだろう。こういう形の成果発表機会もあってもいいが、もっと短くてもいいので、最初から最後までキャストを固定して、1人の子供が役作りをする劇を創作する機会、それを見させてもらえる機会がもっとあってもいいのではないかと思った。決められた台本に基づいて定番の劇を演じるのではなく、小グループに分かれて子供たちが話し合って脚本を作り、キャストを決め、演技を工夫し、大道具小道具を製作して、作り上げていく劇があったら面白そうだし、共同作業の中で嫌が応でもコミュニケーションは求められていくだろう。

著者によれば、ここ20年ほどのうちに、国語教科書への戯曲の掲載量は激減し、現在はゼロに近い状態になっているという。その理由は、戯曲を授業で取り上げるには時間が足りないのと、教師自身の演劇経験が減って指導の仕方がわからなくなってきていることが挙げられる。著者はそうした現状に危機感を抱き、中学校の国語教科書に演劇を取り上げる教材作りに関わった。本書ではその経験が紹介されている章があるが、こんな国語の授業があったら面白そうだと思った。

【その2】
最近、外出していたうちの子供たちから、想定外の事態に出先で遭遇するたびに電話で呼び出され、どうしたらいいかと聞かれるという出来事が相次いでいる。やれ新宿駅で池袋方面行きの電車に乗るには何番線に行けばいいのか、お遣いで出かけたスーパーで言われた陳列棚にお目当ての品物がないがどうしたらいいか、そんな類のしょーもない問い合わせだ。これは別に我が子の世代に限ったことではなく、僕が以前駐在していたインドでも、現場に行かせた若手の日本人スタッフが、言われた場所に来ているけれども誰もいない、どうしましょうかと携帯電話で相談してきたことがある。そんなのその場で周囲にいる人に訊けと言うしかないのだが、ケータイの便利さもあって、安易に訊きやすい人に連絡をとろうとする傾向が強まっているように思う。

これも、著者によると、若い世代の人たちは、「初めて会った人と話したことがない」ので、初対面の人への発話がうまくいかないのだという。他者との接触機会が少ないのだろうと。家族やクラス、部活動といった枠組みで規定された中であれば相手と話すことはできるが、その枠の外にいるような他者と接する機会が、今の一人っ子・核家族世代には極端に少ないのかもしれない。

まあこれなんかは僕たちが立食式のパーティーなんかに行っても感じる違和感なので、決して若い世代だけにいえることではない。そもそもの文化の違いといったところもあると思うが、それにしても、出先で自分が窮地に陥った場面で現状を打開できるのは自分自身であることは、もっと言い続けなければいけないのかなと思う。

【その3】
会社で過去の事業から得られた教訓の有効活用策の検討が行われていて、僕も今月からその検討会に途中参加している。既に検討作業は大詰めを迎えていて、途中から入った僕が異論を唱える余地は少ない。

ただ、過去の教訓が今後の事業設計にうまく生かされないのは、単に今の事業部隊が諸先輩方に話を聞かない、先輩方の持つ形式知にアクセスする努力をしていないのが問題なのではないかと僕には思えて仕方がない。過去の教訓を活用しなければいけないというインセンティブ・メカニズムもない。それをわざわざ労力を割いて教訓を紙に書き出してデータベースにすれば皆がそれを活用するようになるとは正直あまり思えない。動機付けさえしっかりできれば、社員は自分で情報にアクセスしていくようになるのではないでしょうか。

人に聞けば済むようなことをデータベース化して、自分の席のデスクトップパソコンで調べられるようにすることがいいことなのだろうか。みすみす諸先輩方との対面コミュニケーションの機会を減らしてゆくような試みで、釈然としない。

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うしこ

【その2】については、私は最近、老親から似たような攻撃を受けておりますので、彼らがこの本を読むと、どのような感想を持つか興味があります。
ですがまずは、自分から読んでみようかしら。。
by うしこ (2013-11-28 12:59) 

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