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寸評:今週読んだ本(2013年9月前半) [読書日記]

9月も既に前半の2週間が終了しました。この間も幾つかの本をブログでご紹介してきましたが、取りあえず読み終えているけれども紹介しそびれている本が何冊かあります。その多くが、小説です。詳述するとネタばらしになってしまいますし・・・。

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浮雲 (新潮文庫)

浮雲 (新潮文庫)

  • 作者: 林 芙美子
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1953/04/07
  • メディア: 文庫
内容紹介
第二次大戦下、義弟との不倫な関係を逃れ仏印に渡ったゆき子は、農林研究所員富岡と出会う。一見冷酷な富岡は女を引きつける男だった。本国の戦況をよそに豊かな南国で共有した時間は、二人にとって生涯忘れえぬ蜜の味であった。そして終戦。焦土と化した東京の非情な現実に弄ばれ、ボロ布のように疲れ果てた男と女は、ついに雨の屋久島に行き着く。放浪の作家林芙美子の代表作。
TBSラジオの早朝4時の番組『ラジオパープル』であらすじが紹介されていたので読んでみることにしたが、それにしてもねぇ…。富岡のモテモテぶりや自分を棚に上げて万事うまくいかないのを他人のせいにする態度とかにはイラッとくるし、そんな富岡を未練がましく追いかけるゆき子にも違和感を感じっ放しだった。この2人、なんで別れずにダラダラと関係を続けているのだろうか。

ラジオ放送を聴いて結末を知った上で読み進めたので、かなりの速読だった。なのに、読了した時にはドッと疲れが出た。それは、全体の1/3ぐらい読んだ時点でもうドロドロの関係がある程度固定化されてしまい、あとの展開がとにかくダラダラしていたからだ。富岡もゆき子も仏領インドシナでの日々へのノスタルジーがあって、所々に仏印での出来事を回想するシーンが出てくる。多少でも仏印の予備知識でもあったら回想シーンあいいアクセントになっていたかもしれないが、僕にとっては鬱陶しいだけだった。

それが、屋久島に2人で渡るために列車を乗り継いで鹿児島に到着するやいなや、いきなりゆき子が咳き込みはじめ、そこから坂を転がり落ちるように健康状態を悪化させていくのは、逆に唐突でもあった。

当時の日本って、こんなムードだったのだろうか。戦後の様子が作品の所々で垣間見れたのは救いではあった。今ならメールやLINEですぐに連絡が取れる相手とのコミュニケーションも、昔は手紙や電報がものすごく頻繁に使われていたのがわかるし、結核で亡くなる人がかなり多かったことや、もう当時は人工妊娠中絶が当たり前のように行なわれるようになっていたのもこの作品から窺い知ることができた。そして、当たり前のことだけど、屋久島といったら当時の日本の最果ての地の1つで、電気はまだ来ていなかったし、その先の沖縄諸島は米国領だった。

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青い麦 (新潮文庫)

青い麦 (新潮文庫)

  • 作者: コレット
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1967/06
  • メディア: 文庫
内容(「BOOK」データベースより)
「九月の太陽が若々しく澄んだ、黄色い光をそそぐ」ブルターニュの海岸。今年も、幼なじみのフィルとヴァンカは夏休みを過ごしにやって来た。そんな二人の前に魅惑的な中年女性が現れる。ヴァンカに恋しながらも、年上の女性に心ひかれるフィル。男と女の愛を追い求めたフランスの女流作家コレットが、性に目覚めた少年と少女の心の揺れを、情感豊かに描く青春小説。
これも、TBSラジオの早朝番組『ラジオパープル』で紹介された作品。

こういう、思春期の少年が身近なところに自分に思いを寄せてくれている少女がいるのに、その状況に安住せず、年上の20代や30代のわけあり女性に興味を示すって話、1960年代や70年代のイタリア映画でよくあったような気がする。昔はテレビ各局ともに夜の9時から映画を放映しており、特に東京12チャンネル系(現・テレビ東京)はお色気系の作品を多く選んでくれていたので、両親の目を盗んでチャンネルを回していたものだ。ラウラ・アントネッリやキャロル・ベイカーが出演していたお色気映画である。

余談になるが、僕が中学生だった1970年代の後半、我が家に2台目のテレビが来たのは画期的な出来事だった。2台目が両親の寝室に据え付けられたことで夜9時以降は親が寝室に籠ることが多くなり、お陰で僕は大手を振って居間のテレビの前に陣取り、勉強をやるポーズを見せながら、ダラダラと過ごしたのだった。親がトイレに行くのに起きてきたりすると、慌ててチャンネルを回した(笑)。

そういう映画を見ながら、欧州には夏に長期休暇を取って避暑地でバカンスをしゃれ込む習慣があるというのを知った。避暑地に別荘がある生活というのにも驚いた。働いていたわけじゃないので、そういう生活スタイルを羨ましいと思ったことはないが、避暑地で一時盛り上がるラブアフェアというのは憧れた。

それはともかくとして、この小説。僕は仏文学者の堀口大学訳の本を読んだが、さすがに翻訳が古すぎて読むのには苦労した。先ず、このヴァンカという少女があまり魅力的ではない。欧州の映画の中の、特に思春期の少年少女の間で交わされる会話では、なんだかセリフまわしが固いなあと違和感を感じることが多いが、ヴァンカのセリフは特に固くて魅力に欠ける。それに加え、フィルとヴァンカが避暑地の夏を終えるとお互い別々の町での日常生活に戻っていってなかなか会えないのはよくわかるが、なぜ幼なじみとの恋がこのチャンスを逃すと1年先まで持ち越しとなっちゃうのかよくわからなかった。自分の暮らしている町で別の恋人を作ればいいじゃないかと僕は単純に思うが。親同士がこの縁談に乗り気で、もう将来が決まっているというのなら、さっさとやることやっちゃえばいいじゃないか。

フィルを誘惑したマダムの魅力もよくわからなかった。ネタばらしになってしまうが、このブログの記事を読んで色っぽい描写が作品中にあることを期待して読んだらきっとがっかりすると思う。そういうシーンを直接的には描いておらず、その場面の描写でそうしたシーンを端折ってあっけなくフィルがマダムの部屋を出ていくシーンに繋げてしまうか、過去を回想する場面で何かがあったことを暗示させる記述を散りばめるかで、工夫が施されている。

細かく読んでいけばもといろいろわかるかもしれないが、エロおやじにそこまでの探求心は残念ながらない。

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