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『ハンセン病を生きて』 [読書日記]

ハンセン病を生きて―きみたちに伝えたいこと (岩波ジュニア新書)

ハンセン病を生きて―きみたちに伝えたいこと (岩波ジュニア新書)

  • 作者: 伊波 敏男
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2007/08/21
  • メディア: 新書
内容(「BOOK」データベースより)
「差別や偏見は、真実を知らないことから生まれる」ハンセン病回復者として若者たちと交流を重ねる中で、著者は真実を知ることの大切さを語ります。14歳で発病、学びたい一心で療養所を逃走、根強く残る偏見や差別に揺さぶられた日々。自らの体験を通してハンセン病問題とは何か、どう生きるかをともに考える一冊。
6月から7月にかけて、ハンセン病に関する講演会にいくつか出させていただいた。最初はインド駐在時代の知人から紹介されて多磨全生園で行われた笹川保健協力財団のセミナーに出たのだが、その後日本財団、JICA地球ひろばで行われたセミナーに続けて出た。最後は7月末に東村山の国立ハンセン病資料館で行われた講演会にも出た。インドに住んでいた頃に一度ハンセン病について何冊かの本を読んで勉強した時期があったが、帰国してから3年以上経つのに次の展開を描けずにいたのがとても恥ずかしいし悔しい。国立ハンセン病資料館だって、いつか行こうと思っていて、ようやく実現したのはこの6月のことだ。

セミナーや講演会に出させてもらって、勉強もできたので、次は学んだことを一度自分なりに整理して、どこかでアウトプットできないかと思い、職場で自主勉強会を主宰している同僚に相談してみたところ、9月のブラウンバッグ・ランチ(昼食をとりながらの勉強会)で、発表させてもらえることになった。実はもう1ヵ月もない。

僕がこれまで出させてもらったセミナーや講演会で、最も印象に残ったことは、回復者の方が病院受診する際、初診で問診票に勇気を出して「ハンセン病」と記入したところ、外来受付の若い女性事務員が、待合室中に聞こえるような声で、「〇〇さん、ハンセン病はいつからですか~?」と尋ねたというエピソードだった。日本にはハンセン病に罹患した人とその家族に対する差別が根強く残っており、回復した方であっても自分がかつてハンセン病に罹っていたことは公にはしたがらない。多分この受付の女性はハンセン病について全く知らないで、善意で尋ねたに過ぎないのだろう。しかしそれは回復者の方にとって人前では触れられたくないことで、気持ち的にはその病院には二度と行けなくなったと語っておられた。

ただ単に知らないでいることが人を傷つけてしまう―――自分が学んだことを他の人にも伝えて、少しでも多くの人に知ってもらえるようにできたらと思い、先ずは職場の勉強会で話すことにした。

僕らは仕事の関係では、開発途上国の人々の人権の問題を時々話題にする。「人間の安全保障」という言葉が時々使われる。この言葉をもって途上国の人々ひとりひとりの置かれた状況にしっかり目を向けようという姿勢は勿論大事だ。でも、そうして対途上国では人を見よと言ってる割に、僕らは日本国内で人ひとりひとりを見ることができているようには思えない。日本におけるハンセン病の歴史は、国が患者、回復者、家族の人権を踏みにじり、「人間の安全保障」で言うところの「保護」すら与えてこなかったことを示している。

以下、本書にコンパクトに書かれていた日本の歴史である―――。

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 明治時代末、日清戦争、日露戦争に勝利した日本は、武力によって列強国の仲間入りを果たしましたが、先進諸国から批判を受けます。それは、ハンセン病患者になんの救護も受けさせず放置していたことでした。

 近代日本における国家のハンセン病対策は、1907(明治40)年の「癩予防ニ関スル件」から始まります。この法律の制定は全国を浮浪徘徊しているハンセン病患者を収容することが目的でした。ですから、病人救護よりどちらかというと治安対策に重点をおいたものでした。当初は経済的に苦しい病人を対象にしていましたが、1931(昭和6)年に制定された「癩予防法」(旧法)では、すべての患者が強制隔離の対象になります。

 1953(昭和28)年、「らい予防法」(新法)が制定されます。この法律改正をめぐって、療養所入所者たちは激しい反対運動を繰り広げます。その背景には特効薬プロミンの登場によって、ハンセン病は治る病気になったにもかかわらず、強制隔離を法律の中心にすえる考え方が継承されていたからです。しかしながら、多くの国民はこの闘いに無関心でした。そのため入所者たちの孤立無援の闘いは敗れ、政府が提案した法律は可決されてしまいます。

 国際的には治療薬の臨床効果が明らかになるに従い、1960年代に入ると多くの国々で隔離政策は変更されていきますが、日本はその流れに従いませんでした。

 患者たちは何度も「らい予防法」の改正を厚生省(現・厚生労働省)に要請しました。しかし、この法律は、89年間も生き延び、患者やその家族たちの人権は奪われつづけました。

 1996(平成8)年、「らい予防法」はようやく廃止されました。

 菅直人・厚生大臣(当時)は、国の誤った政策で苦しんできた人々に謝罪をします。(pp4-5)

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らい予防法が廃止されて、これで問題が解決したのかというとそうではない。その後2003年11月に熊本でアイスターホテル宿泊拒否事件が起こり、それに絡んで菊池恵楓園入所者に対して匿名の誹謗中傷が相次いだ。本書には、実際に恵楓園に寄せられた心ない投書の文言がそのまま掲載されている。匿名だから何だって言える。自分は絶対安全なところにいて、回復者を貶めるような文書を平気で書く―――日本人には、そんな心の汚さが今も残っているというのを痛感させられる。

本書はジュニア向けなので、問題の本質、歴史的経緯、そして回復者がどのような具体的な扱いを受けてきたのかがわかりやすく書かれている。アイスターホテル宿泊拒否事件に絡んだ菊池恵楓園入所者への誹謗中傷の手紙の具体例のすぐ後に、長野県の子供達の行動の話が書かれているが、実際に学校でいじめという身近な問題を抱えている子供たちの方が、ハンセン病回復者とその家族に対する差別や誹謗中傷に対する感受性も強いのではないかと感じる。読んでいて涙が出てきた。

大人よりも子供達の方がことの本質を見抜いているという点に、少しだけ明るい未来も感じた。

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