So-net無料ブログ作成

『寂寥郊野』 [読書日記]

寂寥郊野

寂寥郊野

  • 作者: 吉目木 晴彦
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 1993/06
  • メディア: 単行本
内容(「BOOK」データベースより)
朝鮮戦争で来日したリチャードと結婚して幸恵がルイジアナ州バトンルージュに暮らしはじめて30年。その幸恵の言動崩壊が始まり症状は目に見えて進んでいく。夫は妻の欝病に心あたりがないでもない。国際結婚と老いの孤立を描く現代文学の秀作。第109回(平成5年度上半期) 芥川賞受賞作。

先月、10年ぶりに南部ルイジアナに、昔LSUに留学した際にお世話になった方を訪ねた。93歳で、多分これを逃すと一生会うチャンスがないと思ったからだ。

訪問予定日の数日前に電話を入れたところ、最初は僕の名前を言っても、「あなたなんか知らん」という反応が返ってきて会話がチグハグだった。それでもなんとかアポを取りつけ、何度も訪問予定日を強調した上で当日ご自宅を訪ねた。絶対家にいる筈なのに、玄関の呼び鈴を何度鳴らしても返事がない。仕方なく裏口へまわって、裏口で新聞を回収しようとされていたご本人と遭遇、何とか中に入れてもらうことができた。

この時も、最初は僕のことが誰だかわからなかったみたいで、強盗と間違えられたんじゃないかと僕も不安になった。会話を続けていくうちにはっきりと僕だと認識してもらえたが、訪問予定日が今日だったというのは混乱しておられた様子だった。曜日の感覚が失われているのだろう。

最初にお目にかかってから30年近くが経過すると、当時は学生だった僕も50の大台が目前に迫り、還暦を過ぎてもフェアレディZを乗り回していた恩人は90代を迎える。その奥様は既にお亡くなりになっている。こうして恩人とのコミュニケーションも難しさを増してくると、寂しさを禁じ得ない。ただ、それはご本人の方がもっと感じられることが多いに違いない。

吉目木晴彦が『寂寥郊野』で芥川賞を受賞した頃、著者と同様昔バトンルージュに住んでいた僕としては、矢も盾もたまらず本書を即購入し、すぐに読んでしまった。読了してすぐに書棚の奥に納められた。それっきりになっていた本書も、先々月来進めてきた蔵書の『断・捨・離』作業の過程で再び日の目を見た。ルイジアナ再訪を契機に、捨てる前にもう一度読んでみることにした。

話の筋としてはこんなところだ。

バトンルージュで飛行機による空からの農薬散布を請け負う航空会社を共同経営していたリチャード・グリフィスは、ミシシッピー側西岸のソリテュード・ポイント(邦訳すると『寂寥郊野』となる)で行なった農薬散布で、地域の住民に奇病が発生するという事故が起こり、その責任が散布農薬を取り違えたからだと共同経営パートナーから告発される。本当に取り違えのミスなのか、それとも告発とともに雲隠れしてしまったパートナーに嵌められたのか、真相がわからないまま会社は倒産。職を失ったばかりか、地域で孤立して、それまで住んでいた家を手放して、市内の別の地区に越して妻・幸恵と暮らしていた。

大きな社会的制裁を受けながらもバトンルージュに留まったのは、事件の真相をなんとか明らかにして、身の潔白を証明したかったからだ。

一方、戦争花嫁の幸恵は、日本人も少ない南部の保守的な土地柄の中、地域に受け入れられるよう奉仕活動にも努め、しかし息子たちが学校で差別をこうむった時には学校に乗り込むなど、気の強い一面も見せていた。

物語は、そんな幸恵に痴呆の症状が表れるところから始まり、それが徐々に進行していく過程が淡々と描かれている。引っ越した地区では往々にして夫よりも妻の方がご近所付き合いが進み、夫はなかなかうまく溶け込めないというところがある。幸恵の異変を敏感に感じ取ったのはむしろ近所の夫人たちで、「幸恵がおかしい」とリチャードに知らせてくれる。うすうす異変には気付いていたリチャードも、他人から言われるとそれをなかなか認められず、「疲れているんだろう」という理由で納得しようとする。

しかし、現実直視を避け続けるのも長くは続かない。2人の息子がクリスマス休暇で帰省してくると、幸恵の奇行が顕著になり、夫との間では使わないことになっていた日本語を口走るようになった。リチャードはショックを受け、2人の過去さえも失ってしまったのではないかと感じる。

妻さえも失い、さらに孤立感が深まることを恐れるリチャードは、「アルツハイマー」という言葉となかなか向き合うことができない。そんな彼が現実を直視し、幸恵とともに生きる覚悟を決めるまでが淡々と描かれている。

老人痴呆の問題は、この本が出た1993年頃は僕自身も現実問題としてはあまり考えたことがなかった。そのため、当時は読んでいてもあまり感じ入るところもなく読んで書棚に入れてしまったが、久し振りに読み直してみて、痴呆がどんどん進行していく過程のリアリティが半端ではないと思った。作風は淡々と登場人物の行動を書きしるしていくだけのシンプルなもので、リチャードが何を考えたか、どう感じたのかはほとんど書かれていない。単にファクトを積み上げていくだけの描き方だが、それがかえって読者の想像を掻きたてる。

バトンルージュが舞台なのに、あまり黒人が登場してこない。黒人と白人の生活空間が明確に分離されていて、交わるポイントが少ないこの町の閉鎖的な様子が窺えた。著者は1960年代に父親がLSUで教鞭をとっていた関係でバトンルージュに数年住んでおり、土地勘もあってのこの作品だろう。懐かしい地名も沢山登場するが、もう位置関係も定かでなくなってきているのが悲しい。

歳をとってから読み直してみて、あらためてこの作品の良さがわかった気がする。さすが芥川賞受賞作品だ。

因みに、本書の舞台でもある「寂寥郊野」は実在する。「Solitude Point」で地図検索すれば、ウェスト・バトンルージュ郡の一角で、ミシシッピー川がぐねぐね蛇行した内側の肥沃な土地だということがわかる。このあたりは川筋の変動から取り残された三日月湖が多く、LSUに留学していた頃、地元のホストペアレントに釣りに連れて行ってもらったことがある。

これを「寂寥郊野」と名付けたところに、著者だか編集者だかのセンスを感じる。物語全体を貫く寂寥感と、そのきっかけとなったソリテュード・ポイントでの事件が、うまく組み合わさっている。


本書にはもう1編、別の作品が収録されている。所沢の団地を舞台にした「うわさ」という作品だが、これは怖かった。ここで登場する夫のようにはならないようにしたいと思った。



nice!(12)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

nice! 12

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

トラックバック 0