『陽子の一日』 [南木佳士]
内容(「BOOK」データベースより)大学院での研究を続ける意欲が満々だった頃、日本の地域医療の経験についてちゃんと勉強しておこうと思い、長野県の佐久病院の取組みについて書かれた本を何冊か読んだことがある。そこからの派生で、佐久病院の精神科医だった南木佳士の小説にも出会い、長野を舞台にした彼の作品を何点かまとめて読んだ。登場人物のセリフが極端に少なく、情景描写だけで淡々と描いていくその手法は、とても新鮮だった。反面、情景描写をしっかり拾っていかないとストーリー展開についていけなくなるので、読み手としては相当な集中力を必要とする作家だとも感じた。
陽子、60歳。もう先端医療の現場からは離れた。研修医を介して彼女に送られた―過疎の村での終末期医療に疲れた元同僚、黒田の病歴要約が意味するものとは?丁寧に生きようとするひとたちを描ききる、深く静かな物語。
皮肉なことに、その大学院での研究を諦め、退学届を出した後から南木の新作を読む機会が訪れた。新聞書評などでは好意的に取り上げられている作品だが、還暦を迎えた女医の1日をただ描いているだけで大きな盛り上がりもない。登場人物が何をやったかを淡々と描いていく手法は相変わらずで、段落の切りは少ない。芥川賞を受賞するような作家はそういう傾向があるように思う。でも、この本は読みやすかった。研修医・桑原がまとめて主人公に申し送った、黒田という医師の病歴要約と、桑原自身によるその解釈がちょうどいいアクセントになっていて、集中して読むべきポイントとそうでないポイントがはっきりしていたからだと思う。
女医・陽子の1日を淡々と描いている、変化に乏しいこの作品の中で、著者が込めたメッセージは、桑原が書いた病歴要約の冒頭にある、「エビデンス(証拠)にばかり重きを置き、患者個人の成育歴や生活環境を軽んじる最近の臨床医学教育」(p.17)への批判にあると思う。要はもっと患者個々人のライフヒストリーを丁寧に追って、その中から現在の病状に対する解釈の仕方のヒントを見出せというもので、言い換えるなら、「病状や患部だけを見るのではなく、人を見よ」と言うようなメッセージかと思う。著者はもともとは精神科医なので、こういう民俗学的手法には造詣があったものと思うが、それを内科や整形外科にも適用しようとしたのが本書なのだろう。こういう心配りがあって、長野県は男性女性ともに長寿日本一になれたのではないかと考えてみたりもした。
さすが芥川賞作家だけあって、その情景描写の細かさ、丁寧さはとても勉強になる。以前僕自身が本を執筆する際に編集者から口を酸っぱくして「情景を具体的に描け」という注文をつけられたことから、僕にとっても大きな課題だと思っている。ただ、陽子の排便の描写まで丁寧に描かれていて、リアル過ぎて少し引きました(笑)。
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