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『遥かなるセントラルパーク』 [読書日記]

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遥かなるセントラルパーク〈上〉 (文春文庫)

  • 作者: トム・マクナブ
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 1986/08
  • メディア: 文庫

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遥かなるセントラルパーク〈下〉 (文春文庫)

  • 作者: トム・マクナブ
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 1986/08
  • メディア: 文庫
内容(「BOOK」データベースより)
元オリンピック選手も失業労働者も、イギリス貴族もインディアンも、さらにはバーレスクの踊り子まで、世界60カ国から2,000人が馳せ参じた大賞金ウルトラマラソン。ロス―ニューヨーク間5,000キロ、3カ月の行程にどんな冒険と人間ドラマが待つのだろう?これぞ“面白い”小説の見本と激賞された気宇壮大、爽かな感動を呼ぶ傑作。
炎熱と豪雨のモハーヴェ砂漠、酷寒のロッキー越え、シカゴではカポネの一党が待ちかまえている。アメリカはいかにも広い。サーカスを引きつれ、町々でギャンブルに応じつつ、不況をはねとばすような陽気な集団がアメリカ大陸を横断する。猥雑なほど人間的にランナーたちが日一日と心に珠を得て、いまゴールに近づいて行く。
結婚してマイホームを購入するまで、妻の実家に居候している時期が少しあった。僕が独身時代に購入していた本を棚ごと持ち込んで、妻の部屋に置かせてもらっていたが、高校卒業して地方から上がってくる甥が3月からそこに住むことになり、慌てて蔵書の整理をすることになった。

マイホームに引っ越してから約10年、読み返そうと思ったことすらなかった蔵書なので、基本的にはすべて処分するつもりでいる。ただ、いざ書棚の前で『断・捨・離』の作業をはじめてみると、中には容易に捨てるのがもったいない本も多く、作業の手を何度か休め、ページをパラパラめくって思い出にひたることもしばしばである。昔あれだけ熱中して読んだ落合信彦の著書は読まずに捨てようと思うが、故ロバート・B・パーカーの「私立探偵スペンサー」シリーズ(早川書房)や、コナン・ドイルの「シャーロック・ホームズ」のシリーズ(新潮文庫)は、シリーズで揃っているので、そもそも捨てること自体がもったいない。

その中間にあるような小説やノンフィクションの類は、1冊1冊見ながら取捨を判断する。面白ければ中古本として売りに出し、そうでなければ容赦なく捨てるつもりだ。

そういう分類をしていくと、トム・マクナブの書いたこの長編小説は、リセールバリューがかなりありそうだ。

この2分冊が文春文庫から発刊されたのは1986年だが、僕がこれを読んだのは1994年頃のことである。某市民ランナー向け月刊誌で、市民ランナー必読の好著として紹介されていた1冊だ。

当時僕は市民ランナー、どころか、ウルトラランナーだった。1994年7月に90kmを2日間で走るマラニックを岐阜で経験し、9月には1日で70km、しかも高低差が1000メートルはある登山マラソンを福島で走った。

その頃の僕らの憧れのウルトラランナーは、フォークシンガーの高石ともやさんだった。マラソン会場ではよく見かける有名人で、前夜祭でギター片手にミニライブをやっておられたのも見たことがある。その高石さんが挑戦したのが、1994年のトランスアメリカフットレース――アメリカ横断ウルトラマラソンだった。このレースは1994年に久々に開催され、高石さんは日本人選手として初めてトランスアメリカに出場した。日本の靴メーカーがスポンサーとなり、レース経過は『月刊ランナーズ』で紹介されていた。当時はインターネットは普及していなかったので、リアルタイムでレース経過を知ることはできなかったのだ。

無事ニューヨークまでレースは遂行され、高石さんもひと桁順位で完走を果たした。そんな時代背景の中で、読んだのが『遥かなるセントラルパーク』(原題:Flanagan's Run)だった。

蔵書整理・再読シリーズの第1弾としてご紹介するこの小説は、二度目の読書でもやっぱり面白い。全世界から2000人以上のランナーがロサンゼルスに集結し、ニューヨークへの道を走りはじめる。時は1931年。ウォール街の株価大暴落をきっかけに、世界経済が恐慌へと足取りを早めていた時代だ。職を失った労働者、資産価値が暴落して破産宣告を受けた土地貴族、貧困に苛まれた村から一攫千金を狙って村をあげて送り出されてきた若者など、様々な背景を持った選手が集まってくる。最初は1人1人が個人として戦っていたが、レースが進むにつれてチームを組んで走る選手も現れる。

恐慌のこの時期に、これだけのレースを運営すること自体が綱渡り的でもある。主催者にとっても日々の資金繰りは悩みの種で、レース期間中何度か資金ショートを起こしかけ、その度に賞金イベント開催やギャンブル、さらには主催者C・C・フラナガンがこれまでの経歴の中で培ってきた人的ネットワークが生きて、新たな支援者が現れたりして、なんとかレースを続ける。そのうちに選手と主催者との間にも連帯感が芽生えていく。ニューヨーク・セントラルパークにゴールする最後のレース区間など、まさにその連帯が最高潮に達する瞬間だ。

モハヴェ砂漠、ロッキー山脈越えがあった上巻は、どちらかというとランナーが主役で、グレートプレーンズに入ってからは、レースシーンよりもむしろレースとレースの合間に起こる出来事、特にフラナガンの綱渡りの資金繰りの方が中心的に描かれている。地形が変化に富む前半と比べ、グレートプレーンズ以降はコース自体がかなり単調なので、この描き方は致し方ないと思うが、そのおかげで、こうした大会は、走っているランナーだけが主役なのではなく、大会運営する側にも大きなドラマがあるのだというのを改めて実感できる。

今や市民マラソンが花ざかり、出場することすら難しいぐらい、参加者は増えているらしい。皇居周回コースなど、ランナーが増殖して歩行者の安全な通行の妨げになることもあるという。(走っている人はエライと思うが、走っている人が特別というわけではなく、他の歩行者に対するリスペクトはそれなりに必要だ。)そんな時代だけに、こういう小説はいま一度脚光を浴びせてもいいような気がする。

ウルトラとまではいかないけれど、僕自身もまた走ってみたくなった。

Flanagan's Run

Flanagan's Run

  • 作者: Tom McNab
  • 出版社/メーカー: Authorhouse
  • 発売日: 2010/06/03
  • メディア: ペーパーバック


タグ:マラソン
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