『新日本プロレス12人の怪人』 [読書日記]
内容紹介最近僕のブログによく「nice!」を下さるいっぷくさんが、ご自身のブログで本書のことを紹介されており(記事はこちら)、面白そうだったので僕も読んでみることにした。僕は今週末から仕事で中米に出張する予定だが、そこでお目にかかるであろう駐在員の方が、昔メキシコ駐在をされていた時にルチャ・リブレをよく観戦していて、長期遠征で日本から来ていたウルティモ・ドラゴンとお知り合いだと聞いたことがある。その駐在員の方が、僕がインドにいた頃に出張でデリーに立ち寄られ、その時に酒を飲んでプロレスの話題になった。その時に飛び出したエピソードだ。この手の本は通常なら買わないが、中米に持っていくお土産としてはちょうどいいかと思い、今回は購入して読んでみることにした。
アントニオ猪木が立ち上げた新日本プロレスは今年、40周年を迎えました。その間、数多くのレスラーたちが観客を、お茶の間を魅了してきました。元東スポ運動部長で、プロレス取材一筋50年の門馬忠雄氏が、その中でも傑出した12人にスポットを当てます。ただ技を語るのみならず、大男たちととことん酒を酌み交わし、深い交友関係を築いてきたのが門馬氏の真骨頂です。猪木をはじめ、山本小鉄、長州力、タイガーマスク、藤原喜明、前田日明、橋本真也、、タイガー・ジェット・シン、アンドレ・ザ・ジャイアントといった看板レスラーたちの強さはもちろん、リング外(酒場など)での超人ぶりも存分に描かれています。
このブログでは今まで一度も書いたことがないが、僕は1970年代後半から1980年代を通じて「過激」な新日本プロレスの大ファンであった。中学時代は「ジャイアント馬場さん」(なぜか「さん」付けで皆が呼んでいた)の全日本プロレスや、国際プロレスのラッシャー木村を話題にしていた奴もクラスにはいたが、僕にとってはプロレスといえばアントニオ猪木であったし、猪木のライバルだったタイガー・ジェット・シンやスタン・ハンセン、アンドレ・ザ・ジャイアント、ハルク・ホーガンなど、キラ星の如くものすごいレスラーがあつまってきていた。ウィレム・ルスカ、ウィリー・ウィリアムス、ローラン・ボックなど、異種格闘技系や欧州勢もいた。もちろん、モハメド・アリも。
バイプレーヤーも多士済々。ドラゴン藤波辰巳が凱旋帰国して披露したドラゴン・スープレックスは衝撃的だった。藤波のライバルとして台頭した木村健悟や長州力、タイガーマスクが登場して名勝負を繰り広げたダイナマイト・キッド、ブラックタイガー、「マスク剥ぎ」の小林邦明らもいた。
毎週金曜夜8時からテレビ朝日系列で放送されていた「ワールド・プロレスリング」は定番番組だった。1982年に大学進学のために上京してきて最初の2年間を過ごした学生寮では、毎週金曜のこの時間は先輩の部屋に寮生7~8名が集結し、「ワールド・プロレスリング」から9時台の「ハングマン」、10時台の「必殺」シリーズ、11時台後半の「タモリ倶楽部」を見るまで、時にビール、時に紅茶を飲みながら、ワイワイガヤガヤやって過ごした。部屋の広さが皆違い、その先輩の部屋は広かったし、当時テレビを持っていた寮生はその先輩ぐらいしかいなかったので、先輩の部屋に集まるのが楽しみだったのである。寮生の何人かで、全日や新日の試合を見るために、蔵前国技館や後楽園ホールに出かけたこともある。
大学の学部のボランティア企画で、夏休みを利用して地方の中学生に英語を教えるというのがあって、僕は1984年に北海道・室蘭でのプログラムに参加したが、選択授業というので、体育館のマットを利用して、「プロレス技で英語を覚えよう」というのをやったことがる。「バック・ドロップ」や「ジャーマン・スープレックス」、「ダブル・アーム・スープレックス」、「ツームストン・パイルドライバー」、「バック・ブリーカー」、「ブレーン・バスター」、「スピニング・トゥ・ホールド」、「ランニング・ネック・ブリーカー・ドロップ」、「ヘッド・バット」、「フィギュア・フォー・レッグロック」、「アックス・ボンバー」、「フィッシャーマンズ・スープレックス」、「アイアン・クロー」等、当時プロレスはテレビの人気コンテンツだったので、プロレス技で英単語を相当覚えることができる。とはいえ、ボランティアゆえのおちゃらけ企画だった。
僕は1985年8月に英検1級に合格したが、二次試験のスピーチで「私が行きたい国」という主題で、「米国ルイジアナ州」と答えた。当時猪木が手がけていたブラジルでのバイオベンチャー「アントン・ハイセル」の事業が傾き、その負債を新日本プロレスの資金から流用したことが問題となっていたことや、全日本プロレスとの間で外国人レスラーの引き抜き合戦が苛烈を極めており、新日としても未知の強豪の新規開拓に迫られていたことから、猪木は海外遠征を積極的に行なっており、米国南部を拠点とするミッド・サウス・レスリング(MSWA)が主催したニューオリンズ・スーパードーム大会にも出場している。そんなわけで、僕らがまだ知らない強豪レスラーを先取りして見たいからルイジアナに行きたいという内容でスピーチした。プロレスのお陰で英検1級にも合格したようなものだ(笑)。
このルートでその後新日マットに招聘された中にはリック・シュタイナーやスティーブ・ウィリアムスがいて、それなりに活躍してくれたのは嬉しかったけど、ミッド・サウス地区最高のスーパースター、”ハックソー”ジム・ドゥガンは、1986年1月の来日時のレスリングスタイルが日本の観客に受け入れられず、「期待はずれ」と評されたのは悲しかった。
本の紹介どころか、いつの間にか思い出ばかりを語ってしまった。
本書では、著者の交流が深かった新日本プロレスのレスラー12人との思い出話が纏められている。門馬忠雄氏といったら僕らにしてみればどちらかというと全日本プロレスのサポーターだという印象があったので、新日について氏が本を書かれるというのは意外だった。東京スポーツで記者をされていた頃のレスラーとのエピソードが最も面白いので、どうしても記述は1970年代から80年代のものが多い。その時代設定が僕らがプロレスに熱狂した時代と見事に合致している。だから、40代後半から50代の男性読者にとっては、懐かしの時代を思い出す1つの触媒となり得る内容だと思う。
ただ、12人に限定したのはもったいない気もする。例えば坂口征二や藤波辰巳、ハルク・ホーガン、マサ斎藤、佐々木健介については脇役的扱いにしかなっていないし、ミスター・ヒトのカルガリー・ルートには光も当てていない。スーパー・ストロングマシーンの数奇な運命とか、最近お嬢さんが女子プロゴルフで活躍し始めている木戸修なんてのも、UWFが出てきたことで再評価を受けたレスラーで、取り上げたらそれなりに面白かったのではないかと言う気がする。外国人レスラーでも、ディック・マードック&アドリアン・アドニスなんて面白そうなエピソードがある。何しろ、アドニスは新日マットでバリバリやっていた頃、ニューヨークのWWFではオカマキャラで売っていて、WWFのテレビ放送では「フラワーショップ」なる自分のコーナーを持っていたぐらいなのだから。
まあ、そのあたりは本書を酒の肴に読者ひとりひとりの蘊蓄に任せるべきところなのかもしれないが…。
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