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『エルサルバドルを知るための55章』 [仕事の小ネタ]

僕たち50代に手が届きそうなオヤジ世代にとって、「エルサルバドル」と言われたら2つほど連想できることがある。1つは、1970年代後半に起こった現地日系企業の社長の誘拐殺害事件。1970年の大阪万博で世界の広さ、世界に目を向けることの楽しさを知った僕らの世代が、世界は面白いことばかりではないと現実を突きつけられた事件のひとつだ。この「インシンカ社社長誘拐事件」で僕らは「エルサルバドル」という国があることも知った。

そして2つ目は、1980年代後半に劇場公開されて話題になったオリバー・ストーン監督の『サルバドール』である。米国レーガン政権を揺さぶったスキャンダル「イラン・コントラ事件」で、ニカラグアのサンディニスタ民族解放戦線が有名になってしまった感があるが、当時のレーガン政権は中米の隣国エルサルバドルの死守を命題に掲げていて、同国のファラブンド・マルティ民族解放戦線(FMLN)との戦いを繰り広げていた。オリバー・ストーン監督といえばベトナム戦争を舞台にした『プラトーン』が有名だが、その前作が『サルバトール』で、エルサルバドル内戦を取材するジャーナリストが主人公だった。劇場では見てないけど、その後ケーブルTVでは何度か視聴する機会があるが、戦闘の様子がリアルに伝わってきて、恐怖を感じさせる映像だった。

そんなわけで、僕らが思い描く「エルサルバドル」は、ギャングだの内戦だの、とにかく治安がよろしくない国だということになってしまう。隣国グアテマラやホンジュラスの治安の悪さもなかなかのものだが、とりわけ「エルサルバドル」という国名は、それを聞いただけで腰が引けてしまうところがある。

内戦終結後のエルサルバドルを知る日本人にとっては、忸怩たるものがあったのだろう。2004年に『エルサルバドル・ホンジュラス・ニカラグアを知るための45章』が刊行されたのもそうした問題意識に基づくものだと思われるが、さらに2010年になり、今度は同じ出版社のエリアスタディーズのシリーズから、エルサルバドルだけを取り上げた本が出版された。

エルサルバドルを知るための55章 (エリア・スタディーズ80)

エルサルバドルを知るための55章 (エリア・スタディーズ80)

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 明石書店
  • 発売日: 2010/05/11
  • メディア: 単行本
内容紹介
人口密度が高く、天然資源に乏しく、かつ地震や火山による災害が多いことから「中米の日本」を自称する大の親日国・エルサルバドル。92年の内戦終結以降、民主主義国家建設へと向かう現状を、様々な分野でエルサルバドルに関わってきた執筆陣が紹介する。


編者は、元々『エルサルバドル・ホンジュラス・ニカラグア~』をまとめられた田中高氏に、在エルサルバドル日本大使を務められた細野昭雄氏が加わり、各章の執筆協力者も大幅に活用されている。田中氏が前著の中でも採りあげておられた「内戦の一部始終」、「コーヒー共和国」、「1932年の大虐殺事件」、「エルサルバドルの人と自然」、「『星の王子様』の故郷」などの章はそのまま本書に引き継がれており、エルサルバドル自体に関心のある人なら、最初から本書を手に取ることをお薦めする。

誘拐が多くて内戦もやってて危ない国だという先入観を打ち破りたい、実際のエルサルバドルは中米随一の親日国で、日本との関係はこれだけ深いのだというのを読者に訴えたい、そんな編者の強い思いがひしひしと伝わってくる構成だ。たいていの人は、エルサルバドルに行く機会でもないと本書を手にとることはない。僕だってそうだ。でも、本書を読んでいると、むしろもっと広い読者層に訴えたいのではないかという気もする。

だから、特に1987年の和平合意以降の同国の目覚ましい復興自体を描くとともに、その復興に果たした日本の官民の貢献について、相当に深く突っ込んで詳述されているのが印象的だ。いわば、この復興プロセス自体を1つのプロジェクトとして捉え、その基盤ともなったエルサルバドルの人々の社会文化や内戦前からの日本の官民の関与(企業進出や青年海外協力隊)と、和平合意後の人々の取組みと政治の変遷、経済発展とそれを支えた日本の経済・文化協力等が取り上げられている。群像劇のようなイメージもないことはない。

肝腎のエルサルバドル人(「サルバドル人」というらしい)にも、発展・復興の立役者とも言えるキーパーソンが何人もいるが、中でも最も頻繁に登場するのが、ワルテル・ベネケという、1960年代から70年代にかけてエルサルバドル大使として日本に在勤した人だ。その後教育大臣も務め、日本のNHK教育テレビにならって、国営教育文化テレビ「カナル10」を開設した。エルサルバドル版の『プロジェクトX』を制作・放送したテレビ局である。ベネケ氏は駐日大使時代に知り合った日本の若者にも便宜を図り、エルサルバドル留学を仲介した。そうしてエルサルバドルに渡った日本人の中には、後にUCCコーヒーのジャマイカ直営農園の開発を任された川島良彰氏も含まれる。

ベネケ氏は、その後自宅襲撃に遭って1980年にお亡くなりになる。享年50、今の僕とほぼ同じ年齢だ。同年齢にして既に駐日大使、教育大臣を経験されているというのは凄いな。それに比べてオイラは…(苦笑)

ただ、ちょっと盛り込み過ぎかも。シャーガス病の話など、エルサルバドルのストーリーというより、中米共通の課題なので、書かれている内容も、エルサルだけの話というわけにはいかないし、所々で二度目、三度目という記述も登場する。複数の執筆者が協力しているので編集が大変だったんだろうと想像はする。まあ、それだけ何度も同じ話が出てこれば、記憶には残るわな。

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