インド農業を改革する [インド]
先週、母校の大学院開設10周年記念行事で、デリーにある南アジア大学のG.K.チャダ副学長が来日された。母校では2回の海外スクーリング参加が必須となっており、僕は当時関わっていた仕事との兼ね合いでインドスクーリングには参加してみたかったのだが、それはチャダ教授が現地コーディネーターを務められるからではなく、単にインドに興味があったからである。(残念ながら、初年度は印パ緊張関係悪化の影響でインドスクーリングは中止となり、翌年は僕自身のスケジュールの関係で参加できなかった。)
10年を振り返ってみると、インドスクーリング参加者はそれほど多くない。しかし、チャダ教授のインド経済学界における立場を知るにつれ、本学がチャダ教授に無理もお願いできるような関係を構築していることは、相当大きなアドバンテージであると思えてきた。幾つかのエピソードを紹介しよう。
①チャダ教授は、インドにおける農業経済学の第一人者で、マンモハン・シン首相の経済顧問も務めておられた。
②2008年だったと思うが、世銀が「成長と開発に関する報告書(Growth Report)」を発表し、世界各地で報告書のブックローンチを行なったことがある。デリーでもローンチが行なわれたので、僕は興味本位でセミナーに出席した。発表者は2001年のノーベル経済学賞受賞者であるマイケル・スペンス教授だ。そのセミナーで、来賓席の最前列に座り、多くの来賓の方々と握手を交わしていたのがチャダ教授だった。
③これはある年のインドスクーリング参加者から訊いた情報だが、その方は日本の公用旅券を所持しており、インド入国のビザを事前取得せず、入国時に取得することを考えていたらしい。日本からインドに渡航する人にはお馴染みの話だが、インドのビザ政策は朝令暮改状態で、入国時に発給なんてことはほとんどあり得ない。その受講生は国外退去の瀬戸際に追いやられた。別室でいろいろ事情聴取を受ける中で、彼は、デリーでの連絡先として、チャダ教授の名前を口にしたらしい。すると、空港係官の応対ぶりが急変し、ビザが即発給されたという。
僕自身は、インドスクーリングを経ずに修士課程を修了したが、縁あってデリーで駐在する機会があり、2008年のインドスクーリングは、オブザーバー参加を許していただいた。スクーリングは、ネルー大学(JNU)での連続講義とフィールドワークから成り、講師の先生方やフィールドに同行して下さる先生方は全てチャダ教授から声がかかって選ばれている。2008年の時には、インド労働経済学会の当時の会長だったT.S.パポーラ教授や、少数民族関係省の諮問委員会である「多様化社会委員会(Diversity Commission)」の委員長を務めておられたアミターブ・クンドゥ教授が含まれていた。僕が当時最も感銘を受けたのはクンドゥ教授の「都市ガバナンス」に関する講義だった。驚いたことに、クンドゥ教授は、2010年に僕がインドを離任する際に開いた謝恩夕食会にお越し下さった。今年のフィールドワークには、ネパールのB.R.バッタライ現首相のJNU留学当時の論文指導教官だったアティヤ・ハビーブ・キドウェイ教授が同行されたと聞く。
そのチャダ教授から薦められて、個人的に購入したのがこの1冊である。この論文集は、教授の薫陶を受けたインド人研究者や盟友が寄稿して編集されたもので、「インド農業を改革する」という主題の後に、「チャダ教授に敬意を表して」とひとこと添えられている。ただ、何しろ600頁近くもある大部な論文集だけに、最初の1頁を開くのに相当な勇気が必要だった。
それが、勇気ではなく、やむにやまれぬ事情があって、4年も経ってからようやく読み始めた。名古屋にある母校の10周年記念行事で、チャダ教授を含めた海外招聘教授を囲む懇話会が企画され、僕がチャダ教授のテーブルの担当コーディネーターに任命されたからだ。
最初は特に考えもなく引き受けたが、これまでのOBや現役受講生の研究テーマを調べて見ると、「南アジアの農業と開発」という括りでは、参加者が少ないことが懸念された。これが、当日出席予定者60名ぐらいのリストになると、さらに惨憺たる事態が予想された。しかも、日本語で話してもいい分科会もある中で、チャダ教授との懇話は基本英語だ。敬遠する人も多いに違いない。最悪、2部制で合計3時間にもわたる懇話会を、僕1人で対話しなければならない。
それが嫌だったので、欠席予定者にも声をかけて、なるべく多くの論点を事前に拾っておいた。こういう呼びかけにちゃんと応じてくれるのは、やっぱり一度は顔を合わせて酒を酌み交わしたことがある同窓生の方々だ。でも、僕自身も論点を幾つか準備しておかなければいけない。そこで、そもそもインドの農業で何がどう問題なのかを、本書を読んで予習しておこうと考えたのである。
しかし、結局のところ、1週間前までは別の大学での講義の準備に忙殺されていたため、この読み込みに時間を充てられるようになったのは15日頃から。直前の1週間は飲み会など夜のお付き合いも多かったし、同時並行で他に2冊の本を準備代わりとして読んでいたので、本書については思ったようには読み進められず、冒頭編者によるOverviewを読み込むのでお茶を濁すのが精一杯だった。(あとの2冊は、『貧乏人の経済学』と、いずれ紹介する『Jugaad Innovation』である。)
前日23日(金)夜に名古屋入りし、最後の悪あがきで睡眠時間を削って事前準備に充てた。10周年行事は淡々と進み、問題の午後のセッションは、二部制の第1部の方は、僕とサブコーディネータをお願いしたMさんの他に、4人の参加者があり、しゃべる人もいたので、無事90分間の懇話を終了。第2部の方は、4人のうち2人が他のテーブルへと移動し、新たな参加者がいなかったので、ここでようやく自分の準備してきていた論点を持ち出して、なんとか話を持たせることができた。
僕なりの整理をすれば、チャダ教授が仰っていたのは、農村から都市への人口移動を進めるための都市インフラの整備の必要性、農村で雇用吸収力の高い工業の誘致の必要性、といったことで、これに加えて、チャダ教授の友人で、このセッションに同席されていたH教授からは、世帯トータルで見た所得の最大化を考える必要性といったことが指摘された。事前に予習しておいたことが、多少理解の促進には繋がったかなとは思うが、チャダ教授のお話についていくには、もっと勉強が必要だと痛感させられた。
とにもかくにも、無事に午後のセッションを乗り切ったので、ホッとした。この同窓会の仕事は、引き受けたことに対して僕の博論の指導教官からはあまりよい印象を持たれていなかったので、終った直後の疲労感が半端ではなかった。その日のうちに帰京したが、帰りの新幹線の車中でも意識朦朧で、それでも翌日(25日)の1日がかりのイベントに出たために、とうとう体調を崩してしまった。
余談ですが、僕の駐在していたデリーの事務所は、僕がいた頃の所長さんがインドの農業について非常に強い関心を持っておられた方だったので、チャダ教授と時々会って、助言をお願いする機会を何度か設けていた。残念ながら、それ以降は教授と我が社の関係は途絶えてしまっている。以前に比べてインド農業への関心が薄れていると解釈できそうな人材配置になっている。今の事業のラインナップから見て、それは仕方がないことだが、ちょっともったいない気がしないでもない。
10年を振り返ってみると、インドスクーリング参加者はそれほど多くない。しかし、チャダ教授のインド経済学界における立場を知るにつれ、本学がチャダ教授に無理もお願いできるような関係を構築していることは、相当大きなアドバンテージであると思えてきた。幾つかのエピソードを紹介しよう。
①チャダ教授は、インドにおける農業経済学の第一人者で、マンモハン・シン首相の経済顧問も務めておられた。
②2008年だったと思うが、世銀が「成長と開発に関する報告書(Growth Report)」を発表し、世界各地で報告書のブックローンチを行なったことがある。デリーでもローンチが行なわれたので、僕は興味本位でセミナーに出席した。発表者は2001年のノーベル経済学賞受賞者であるマイケル・スペンス教授だ。そのセミナーで、来賓席の最前列に座り、多くの来賓の方々と握手を交わしていたのがチャダ教授だった。
③これはある年のインドスクーリング参加者から訊いた情報だが、その方は日本の公用旅券を所持しており、インド入国のビザを事前取得せず、入国時に取得することを考えていたらしい。日本からインドに渡航する人にはお馴染みの話だが、インドのビザ政策は朝令暮改状態で、入国時に発給なんてことはほとんどあり得ない。その受講生は国外退去の瀬戸際に追いやられた。別室でいろいろ事情聴取を受ける中で、彼は、デリーでの連絡先として、チャダ教授の名前を口にしたらしい。すると、空港係官の応対ぶりが急変し、ビザが即発給されたという。
僕自身は、インドスクーリングを経ずに修士課程を修了したが、縁あってデリーで駐在する機会があり、2008年のインドスクーリングは、オブザーバー参加を許していただいた。スクーリングは、ネルー大学(JNU)での連続講義とフィールドワークから成り、講師の先生方やフィールドに同行して下さる先生方は全てチャダ教授から声がかかって選ばれている。2008年の時には、インド労働経済学会の当時の会長だったT.S.パポーラ教授や、少数民族関係省の諮問委員会である「多様化社会委員会(Diversity Commission)」の委員長を務めておられたアミターブ・クンドゥ教授が含まれていた。僕が当時最も感銘を受けたのはクンドゥ教授の「都市ガバナンス」に関する講義だった。驚いたことに、クンドゥ教授は、2010年に僕がインドを離任する際に開いた謝恩夕食会にお越し下さった。今年のフィールドワークには、ネパールのB.R.バッタライ現首相のJNU留学当時の論文指導教官だったアティヤ・ハビーブ・キドウェイ教授が同行されたと聞く。
そのチャダ教授から薦められて、個人的に購入したのがこの1冊である。この論文集は、教授の薫陶を受けたインド人研究者や盟友が寄稿して編集されたもので、「インド農業を改革する」という主題の後に、「チャダ教授に敬意を表して」とひとこと添えられている。ただ、何しろ600頁近くもある大部な論文集だけに、最初の1頁を開くのに相当な勇気が必要だった。
それが、勇気ではなく、やむにやまれぬ事情があって、4年も経ってからようやく読み始めた。名古屋にある母校の10周年記念行事で、チャダ教授を含めた海外招聘教授を囲む懇話会が企画され、僕がチャダ教授のテーブルの担当コーディネーターに任命されたからだ。
最初は特に考えもなく引き受けたが、これまでのOBや現役受講生の研究テーマを調べて見ると、「南アジアの農業と開発」という括りでは、参加者が少ないことが懸念された。これが、当日出席予定者60名ぐらいのリストになると、さらに惨憺たる事態が予想された。しかも、日本語で話してもいい分科会もある中で、チャダ教授との懇話は基本英語だ。敬遠する人も多いに違いない。最悪、2部制で合計3時間にもわたる懇話会を、僕1人で対話しなければならない。
それが嫌だったので、欠席予定者にも声をかけて、なるべく多くの論点を事前に拾っておいた。こういう呼びかけにちゃんと応じてくれるのは、やっぱり一度は顔を合わせて酒を酌み交わしたことがある同窓生の方々だ。でも、僕自身も論点を幾つか準備しておかなければいけない。そこで、そもそもインドの農業で何がどう問題なのかを、本書を読んで予習しておこうと考えたのである。
しかし、結局のところ、1週間前までは別の大学での講義の準備に忙殺されていたため、この読み込みに時間を充てられるようになったのは15日頃から。直前の1週間は飲み会など夜のお付き合いも多かったし、同時並行で他に2冊の本を準備代わりとして読んでいたので、本書については思ったようには読み進められず、冒頭編者によるOverviewを読み込むのでお茶を濁すのが精一杯だった。(あとの2冊は、『貧乏人の経済学』と、いずれ紹介する『Jugaad Innovation』である。)
前日23日(金)夜に名古屋入りし、最後の悪あがきで睡眠時間を削って事前準備に充てた。10周年行事は淡々と進み、問題の午後のセッションは、二部制の第1部の方は、僕とサブコーディネータをお願いしたMさんの他に、4人の参加者があり、しゃべる人もいたので、無事90分間の懇話を終了。第2部の方は、4人のうち2人が他のテーブルへと移動し、新たな参加者がいなかったので、ここでようやく自分の準備してきていた論点を持ち出して、なんとか話を持たせることができた。
僕なりの整理をすれば、チャダ教授が仰っていたのは、農村から都市への人口移動を進めるための都市インフラの整備の必要性、農村で雇用吸収力の高い工業の誘致の必要性、といったことで、これに加えて、チャダ教授の友人で、このセッションに同席されていたH教授からは、世帯トータルで見た所得の最大化を考える必要性といったことが指摘された。事前に予習しておいたことが、多少理解の促進には繋がったかなとは思うが、チャダ教授のお話についていくには、もっと勉強が必要だと痛感させられた。
とにもかくにも、無事に午後のセッションを乗り切ったので、ホッとした。この同窓会の仕事は、引き受けたことに対して僕の博論の指導教官からはあまりよい印象を持たれていなかったので、終った直後の疲労感が半端ではなかった。その日のうちに帰京したが、帰りの新幹線の車中でも意識朦朧で、それでも翌日(25日)の1日がかりのイベントに出たために、とうとう体調を崩してしまった。
余談ですが、僕の駐在していたデリーの事務所は、僕がいた頃の所長さんがインドの農業について非常に強い関心を持っておられた方だったので、チャダ教授と時々会って、助言をお願いする機会を何度か設けていた。残念ながら、それ以降は教授と我が社の関係は途絶えてしまっている。以前に比べてインド農業への関心が薄れていると解釈できそうな人材配置になっている。今の事業のラインナップから見て、それは仕方がないことだが、ちょっともったいない気がしないでもない。
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