『ピア・ボランティア 世界へ』 [読書日記]
ピア・ボランティア世界へ―ピア(仲間)としての障害者の国際協力
- 編者: 久野 研二
- 出版社/メーカー: 現代書館
- 発売日: 2012/04
- メディア: 単行本
先日、我が街の市立図書館の書架を物色していたら、三鷹市在住の方の書かれた本、市と何らかの関わりのある事業について書かれた本が陳列されている棚に、この本を見かけた。編者が三鷹の関係者だとは思えないので、収録されている各章の執筆者の中に、三鷹の関係者でもいるのかとも考えたが、結局読んでみても三鷹との繋がりがよくわからなかった。せいぜい、シリアで地域を拠点としたリハビリテーション(CBR)の推進に尽力された安原理恵さんが国際基督教大学出身だというぐらいの繋がりでしかない。
編者によると、「ピア」というのは、「同じ、もしくは似た体験や経験を(共有)した人」という意味なのだという。経験を共有していることにより、相手の気持ちや必要と思うことがよりよく理解できたり、より強い共感を持った関係性がつくられるのだという。「障害」という課題に向き合っている日本の障害者が、同じ課題に向き合っている途上国の障害者と共に、障害という課題における「ピア」として国際協力という舞台で活動したボランティアの記録が本書である。(pp.2-3)
僕はこの「ピア」という言葉の定義がよくわからず、これまで使用されている場面に出くわしても、言葉の意味を確認することもせずに知っているかの如くふるまってお茶を濁していた。以後気を付けたいと思う。
1年以上前に『車いすがアジアの街を行く』という本を読んだことがある。これも、障害者が他国の障害者と交流することで、相手の国の障害者の意識が変化していくという姿を描いた本だった。ピアとしての障害者が他国に行って現地の障害者と関わることにはそうした効果が期待されるのだろうが、本日紹介している本ではそこから一歩進み、ボランティアとして海を渡った日本の障害者自身が、現地での交流から何を学び、どのように意識が変化していったのかが描かれている。
編者はこれを、次のように述べている。「助ける」と表現されるであろう関係性だが、途上国の障害者と「ピア」の関係にある日本の障害者による挑戦を振り返ることで、「する-される」という関係がどう壊れ、どう作り直されていくのか、また作り直されていくべきなのか、それを考えてみたいと。そのあたりの含意は、各章の記述から十分学ぶことができる。
一方、そうはいっても送り出すための制度を整備していったJICAの苦労も垣間見える。「苦労」と表現してはいけない、むしろ、そうした当たり前のことができていなかったのが問題だったのだということなのだろうが。
16年前、僕はネパールのカトマンズに住んでいた頃、日本から車いすに乗ったお客様を受け入れるのに関わったことがある。本社の担当者(当時)から、「幅〇〇cmある車いすが出入りできる客室やバスルームがあるホテルを予約しろ」との指示を受け、巻き尺を持ってカトマンズ市内のホテルを訪ねて回ったが、客室のドアはともかく、バスルームの方はよくてギリギリ2cm足りない。そのことを本社の担当者に伝えたところ、「バスルームのドアを取り外すようホテルと交渉しろ」と言われ、本気で言っているのかと耳を疑ったのをよく覚えている。結局、もう少し調査の網を広げてみて辛うじて車いすでも入れる幅のバスルームを持つホテルを見つけ、そこに泊ってもらうことで事なきを得たが、このホテルが僕の職場や自宅から非常に遠いところにあったので、お客様の滞在中のアテンドではヘトヘトになった。
当時はもう二度とご免だとしか思えない苦い思い出に過ぎなかったが、今こうして振り返ってみると、そもそもこういう場合を想定して市内の各ホテルのバリアフリー度合いをチェックしてリスト化していなかったことが問題で、当時はまだそうした当たり前のことができていなかったのだなと反省する。
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