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『最底辺の10億人』 [読書日記]

最底辺の10億人 最も貧しい国々のために本当になすべきことは何か?

最底辺の10億人 最も貧しい国々のために本当になすべきことは何か?

  • 作者: ポール・コリアー
  • 出版社/メーカー: 日経BP社
  • 発売日: 2008/06/26
  • メディア: 単行本
内容紹介
貧困国問題のキーワード「ボトム・ビリオン」(最底辺に生きる10億人)の出典、ついに日本でも刊行。アフリカ経済問題の第一人者による援助にかかわるすべてのプレイヤー(国、機関、団体)への根本批判、超辛口の書。柔軟性を欠く先進国、縦割りの国際援助機関、貪るだけの石油・建設企業、そして、知性を欠いた善意のみに終始するNGO――。著者は、いずれも地獄の縁に生きるアフリカの人々を本気で救おうとはしていない、と断じる。本書は一般向けに(世界の有権者へのアピールとして)書かれているが、最新の研究成果から、内戦と民族間の憎悪・所得の不平等・政治的抑圧などとの間に相関関係がないこと、民主制の下でも援助金が機能しない場合が多々あること、天然資源の収益が大きい場合民主政府は独裁政府の経済成長を上回れないこと、根本的な政策転換は内戦後ほど起きやすいこと等々、統計データに基づいて意表を突く事実を陸続と挙げ、既成の貧困国イメージを粉砕していく。そして、最貧の国々を捕らえる四つの罠――①「紛争の罠」、②「天然資源の罠」、③「内陸国であることの罠」、④「劣悪なガバナンス(統治)の罠」の新たな克服法を提唱する。
1ヵ月前の職場の自主勉強会で取り上げられた本だが、その後ブログで紹介もせず、放ったらかしにしていた。その間に、アフガニスタン復興支援国会合が東京で開催されたりして、最貧国の開発の問題を考えさせられる機会は何度かあった。本書の主たる対象国はサブサハラアフリカ諸国で、アフリカに関しても先月はいろいろあり、ポール・コリアーの著書を読み直そうかとも思った。しかし、自分に余裕がないと、そういう、仕事と直結しない本を仕事のヤマ場を迎える直前に読むことはできない。結局、6月に通しで1回読んだきりで、その時に引いたマーカーと、自主勉強会で配布されたレジメをもとにして、この記事をいったんアップしておこうと思う。

要旨は以下の通りだ。世界は富裕国の10億人、途上国の40億人、そして最貧国の10億人に分けられる。本書は、この最底辺の国々に焦点を当て、各国が4つの罠(紛争の罠、天然資源の罠、内陸国の罠、劣悪なガバナンスの罠)に捕らえられていること、グローバル化がその状況をむしろ悪化させていることを、自身による定量分析も含めた先行研究の成果を踏まえて明らかにしようとしている。4つの罠のどれか1つにとらわれている国は、グローバル経済に寄って、より成功した大多数の国が歩んだ道をたどるのはますます困難になり、その結果として、罠から逃れたとしても不安定な状態が続き、成長のスピードがあまりにも遅いために、安全が保証される所得水準に到達する前に、再び罠に落ち込んでしまう危険性がある。事態の改善のためには4つの方法(援助、安全保障、法と憲章、貿易)が考えられる。本書では、それらを検討して、それぞれの罠にどの方法が適用できるのか、その有効性を考察しようとしている。

ポール・コリアーの著書は、どれを読んでもその先行研究レビューの多さに驚かされる。おそらく自身の研究成果を論文としてまとめる際、それぞれについて相当な先行研究レビューを行なっているのだろう。途上国の開発課題について研究し、論文にまとめようとする人は、拠って立つ理論を明確に示し、先行研究でどこまではわかっていてどこからがわかっていないのかを明らかにし、その上で自身の仮説を設定する。しかし、ややもすると著者の現場経験に基づく問題意識から筆をおこし、先行研究レビューなしでいきなり仮説設定に入ってしまうケースがけっこうある。コリアーの著書は、そうした僕ら自身が陥りやすい「罠」に警鐘を鳴らし、ではどうあるべきかを具体的に示してくれているものが多い。そして、そうした先行研究の引用が、僕らにとっては非常に役に立つ。

最近、別の記事でも指摘したことであるが、分析枠組みがシンプルな本は、読みやすく、理解しやすい。本書も、難しいテーマを取り上げているにもかかわらず、このシンプルな枠組みのお陰で、さほど苦痛なく読み切ることができた。

ただ、僕がこの本を読み始める時には、最底辺の10億人は全世界にまたがって存在するのかと思っていたが、そうではなく、国で区切っていた。つまり、アフリカ某国にはたとえひと握りの富裕層がいたとしても「脱落し崩壊する最底辺の10億人の国にカテゴリーされるが、インドで貧困層ライン以下の人口が総人口の1/3を占めていたとしても、インド自体は最底辺の10億人の国には含まれない。そのくせ、明示的にどの国が最低限の10億人の住む国かは述べられていそうで述べられていない。コリアーによると、それはアフリカにハイチ、ラオス、ミャンマー、イエメン等を加えた58ヵ国であるという。明示されていないが、なんとなくアフガニスタンは含まれそうだ。

こんなことがあっても、インドは自国に解決能力があると著者は考えているらしい。

だから、この本のタイトルだけを見て、インドや中国の貧困問題(というか、所得格差の問題か)について何らかの言及があるかと期待して読んではいけない。むしろ、本書の中心はアフリカにあり、アジアや中米カリブ、中近東の最貧国はどちらかというとおまけに近いと最初から割り切って読んだ方がよい。

とはいえ、僕の7月の関心は民族構成の多様な国の経済がどういう場合にうまくいかないのかという点にある。本書の中で唯一民族多様性について言及があるのは、「天然資源の罠」について述べた第3章である。
 資源のレントが多ければ、選挙運動の進め方が変わる。基本的にそれは買収や懐柔などの利益誘導政治を招く結果となる。選挙運動では政党は最も費用対効果的に集票しようとし、普通はインフラや治安のような公益事業を、ライバルよりも効果的に分配することで行われる。この公益事業政策に替わるものの極端な場合が、有権者を公的資金で買収する利益誘導政治である。(中略)これらの指導者のたっての頼みで有権者が集団で投票する場合には、民族社会への忠誠心が強く作用し、有権者にとっては客観的な情報や判断などは意味をもたない。(中略)そして社会が民族的に多様であればあるほど、資源に富んだ国の民主主義は機能しなくなる。(中略)
 民族的忠誠心が強く、また言論の自由が欠如している場合には、選挙に勝利する戦略としては、公益事業を提供するよりも利益誘導政治のほうが経済効率はいい。(pp.77-78)

   独裁制は民族が多様でない国においてだけ、経済に有効に機能するように思える。(中略)世界的に見て多様な民族の国では、独裁制は成長を減速させる。その一番もっともらしい理由は、民族の多様性が独裁者の支持基盤を狭める傾向があることである。概して民族的に多様な社会では、独裁者は自分の民族グループの支持に依存する。(中略)社会が多様な民族から構成されていればいるだけ、独裁者を支えるグループは小さくなる。これによって独裁者の動機が変化する。つまり社会的支持基盤が小さければ、収益を独裁者の支持層に配分するために、成長を犠牲にするような経済政策をとることになる。(pp.84-85)

 民族的に多様で資源に富む国には、選挙運動に強い政治的チェックを課した民主主義が必要である。(p.85)

そのうちにまた読んでみようと思う。ある時はアフリカ、ある時は南アジアのコンテキストで、本書を読み返してみたら、新たに見えてくるものがあるかもしれない。
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