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『イスラーム主義とは何か』 [読書日記]


イスラーム主義とは何か (岩波新書 新赤版 (885))

イスラーム主義とは何か (岩波新書 新赤版 (885))

  • 作者: 大塚 和夫
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2004/04/20
  • メディア: 新書
出版社/著者からの内容紹介
9.11事件以来,注目を集める「イスラム原理主義」の運動.なぜイスラームは最近になって復興してきたのか.また一段と純化しつつある背景には何があるのか.長年アラブ地域を調査してきた著者が,この現象に「イスラーム主義」という分析概念をあてはめ,その起源を歴史的にたどり「もう一つの近代」の有り様を提示する.
このところ、僕は、東南アジアのイスラム教に関して理解を深めようとあがいている。課題となっていたブリーフィングペーパー自体はかなりの部分は書き上げたが、何となく根っこの部分、本質の部分が上手く描き切れていない不安感が抜けない。だから、「宗教と開発」とか「イスラム原理主義」といった主題の本を何冊か読んでみたりした。本書を読んだのもその一環だ。本書のキーワードは「イスラーム主義」「世俗化」「国民国家」「ナショナリズム」などであるが、僕が本当に理解するのに悪戦苦闘しているところに手が届くような内容だった。

われわれが共有している「近代世界」に関する前提、その中でも、もっとも知られているもののひとつは、近代化が進めば進むほど世界は「世俗化」する、という発想である。すなわち、近代化が進展するに従い、人びとの生活における宗教色は薄くなっていく。したがって近代人は、脱宗教的な用語で世界を語る傾向が強くなる、という考え方である。それが顕著に表れているのが政治の分野である。近代政治の要諦は、政教分離という原則で示される。すなわち、政治と宗教は明確に区別された2つの領域であり、宗教が政治に介入することは固く禁じられなければならない。したがって、政治の領域に宗教=イスラームを介入させようとするイスラーム主義者は、たとえモダニストという側面があったとしても、基本的に「伝統主義者」であり、歴史の流れに逆行した存在でしかない。近代化=世俗化論を無条件で受け入れれば、このような結論に至ってしまう。私が本書を通して主張したことは、このような近代化=世俗化という前提そのものを疑う必要があるのではないかということである。(pp.119-120)
近代化が進むと人々の生活における宗教色が薄くなるという主張は一見すると理解しやすいが、実際にはそうではないのではないかと思うことも多い。いや、大衆レベルではそうかもしれないが、個人レベルでの宗教や信仰との向き合い方という点では、そうでもないという事例を幾つか見ることができる。1990年代に日本で起ったオウム真理教の勢力拡大もそうだし、インドでも中所得者層が新興宗教に心の救いを求めるケースが都市近郊では起きていると聞く。

 近代主義的ナショナリズム論によれば、ネイションという政治的共同体は18世紀頃に欧米で誕生したものである。その後、西洋列強による非西洋世界支配(植民地化)の時代を経て、その観念は世界各地に普及した。アジア、アフリカなどの植民地からの独立も、多くの場合はそれぞれの地域のナショナリズム運動によって達成されたのである。そして、20世紀後半には、国家を形成する基本的な政治単位は、国民国家(ネイション・ステイト)とみなされるようになった。
 一般にネイションは、(しばしば想像上の)血縁・地縁、言語、文化、宗教、身体的特徴などの共有意識を動員して形成された共同体である。そして公教育などを通して国民のその意識をいっそう浸透させ、共同体としての統合を強化する。だが、中東のイスラーム世界を眺めた場合に、ネイションの統合原理として、宗教はそれほど活用されてこなかった。むしろ、ネイションは脱宗教的な政治単位であり、宗教の共有意識はナショナリズムのイデオロギーにおいて前面には出てこない傾向にあった。(pp.121-122)

 しかし、20世紀前半において、エジプトをはじめとするアラブ世界で広く普及していたのは、このような宗教色を濃厚に持ったナショナリズムではなかった。むしろ、アンダーソンのナショナリズムの定義に合致した、西洋モデルに従ったものである。すなわち、宗教色を否定するか、それを後景に退け、非宗教的ネイション構成原理(共通の郷土、言語・文化、「先祖」とそれに連なる歴史意識など)を基盤にした、「世俗的」ナショナリズムであった。(p.125)
中東イスラム諸国の統合原理でも多くの国は世俗主義が取られ、宗教はあまりナショナリズムの前面には出て来なかった。ところが世俗主義的国家では権力の一極集中や汚職腐敗が進み、あまねく国民が発展の果実を享受することができなかった。今中東アラブ諸国で起きていることは、その揺り戻しなのかなと思う。

 総合大学などの世俗的高等教育機関が誕生する以前、イスラーム社会で宗教書を読みこなすことのできる人物は、アズハル学院などによって代表されるイスラーム学校において、ウラマーの厳格な指導のものとで読み書き能力を習得した者だけであった。そこでの教育課程を修了することによって、学生たちは「正統的」イスラームの知識を身につけることができた。だがその場は同時に、テクストの訓詁学に明け暮れて社会の現状に目を閉ざす、保守的な「伝統墨守主義」を涵養する基盤でもあった。18世紀以来の「改革主義的」ウラマーやスーフィーが、この傾向を批判してきた(中略)。
 高等教育の大衆化は、このような状況に新しい突破口を開いた。「正統的」イスラーム教育を受けていない者が宗教書を読破し、独自のイスラーム解釈を行い、出版物などを通してそれを人びとに伝達することによって、一定数のムスリムの支持を受けるという、まったく新しい事態が生まれたのである。彼らはイスラームの「正統教育」を受けなかったがゆえに、イスラーム的宗教書の革新的・急進的「読み」が可能になったといえよう。(中略)いずれにせよ、これまで維持されてきた、ウラマーによる権威的イスラーム法解釈の独占体制は大きく動揺し、世俗的高等教育という回路を通して高度の読み書き能力を身につけたいわば「素人」の中から、新種の宗教権威者が出現するようになったのである。(pp.150-151)
こういう「素人」の中から、出版物やインターネットで発信していく人や団体が現れ、勢力を伸ばしていくということが起きてくるのだろうか。

イスラーム主義には2つの側面がある。1つは、18世紀アラビア半島のワッハーブ運動、19世紀スーダンのマフディー運動、20世紀エジプトのムスリム同胞団やジハード団の活動に見られる、イスラーム世界の「内部」における改革運動であるという点。すなわち、「既存のイスラーム体制、すなわちムスリムを自称する為政者によって統治される王朝・国家、そしてそこにおける秩序をイスラーム的と承認する体制派ウラマーなどによるイスラムの解釈に対する、異議申し立て」(pp.174-175)である。

もう1つは、外部に対する抵抗運動という点である。これは、「世俗化」に代表される西洋近代的支配体制にあらがう抵抗運動を指す。
 近代においてイスラーム世界は未曽有の危機に直面した。それは、イスラームとはまったく異なる原理に基づいた政治・経済・法体系を持つ諸国家に従属したことである。いうまでもなく、西洋列強の植民地主義的侵略・支配のことである。ムスリムが多数を占める地域だけではなく、多くのアジア・アフリカ社会なども同様の植民地経験をした。だが、イスラーム世界では、独自の対応の仕方がみられたのである。
 植民地支配からの解放、これは西洋列強に支配された地域全般に共通した望みであった。その手段として、多くの地域では西洋起源の「ナショナリズム」を武器とし、犠牲の多い闘争を戦い抜き、独立という解放を達成した。それはイスラーム世界も同様であった。だが、もうひとつの選択肢として、ムスリムの中にはイスラームを「政治化」し、それに基づく運動を展開するという可能性があった。(中略)
 世俗化が進行する過程において、宗教=イスラームを公共的領域すなわち政治の場に持ち出そうとする試みは、あえてイスラームを「政治化する」という手段を採用しなければならなかった。それが、本書でいうイスラーム主義である。(中略)
 世俗的な近代法ではなく、シャリーア(イスラーム法)によって秩序づけられた国家・共同体の実現をめざす「政治的」運動としてのイスラーム主義は、したがって、一面ではイスラームを「私的領域」に閉じこめ、何らかの形での「政教分離」政策を採用しようとする体制を担うムスリム権力者、およびそのことを唯々諾々と受け入れるウラマーに対抗する「内部的改革運動」の側面をもつ。だが同時に、「世俗化」に代表される西洋近代的支配体制にあらがう「抵抗運動」という側面ももつ。(pp.177-178)
上の引用が、「イスラーム主義」の定義とその意義をうまく語っていると思う。

完全理解したわけではないが、これまでいろいろ読んできた関連書籍の中では、「イスラーム主義」やイスラムと国民国家との関係性について、最も理解しやすく書かれているように思った。

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