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『イスラムの世界戦略』 [読書日記]

イスラムの世界戦略

イスラムの世界戦略

  • 作者: 宮田 律
  • 出版社/メーカー: 毎日新聞社
  • 発売日: 2012/01/28
  • メディア: 単行本

内容紹介
話題のイスラム地域の歴史と現状を一望する。宗派対立を続けつつなぜイスラムは拡大するのか。緊張する国際関係の中で考察していく。「通史」でわかる画期的な「イスラム入門」。
中東・北アフリカ諸国において昨年初頭以来起きている「アラブの春」を期に、イスラム時事問題の第一人者が書いた最新の解説書である。話はエジプトを中心としているものの、イランやトルコ、アフガニスタン、カタールに言及し、さらにはシリアへの言及もある。

図書館で本書を借りたのは、連休前から僕の頭を悩ませているブリーフィング・ペーパーの作成について、何らかのブレークスルーを見つけ出したいという気持ちからである。4頁の書式で現在70%程度は書いているが、そこから先へのひと押しがなかなか思いつかないでいる。元々門外漢のテーマで、それなのにブリーフィングペーパーを書こうなどというのがおこがましいし、それをやったからといって僕のキャリア形成に役立つともあまり思えないのだけれど、やれと言われたものはやらないと人事評価に直接響いてきそうだ。

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イスラムでは、信徒(ムスリム)が行うべき5つの行い(五行)のうちに1日5回の礼拝があるが、この礼拝を集団で行うことによって、イスラム共同体(ウンマ)に属しているという意識をムスリムは持つことになる。
 ムハンマドは当時メッカ社会にあった商業上の不正や富の格差に疑問をもち、神の前の人々の平等を訴えたが、そのため、イスラムではイスラム共同体の成員全体の利益が考慮されなければならないとされる。富は善であるとされながらも、その追求や蓄積は神の法によって制限され、また経済的報酬は共同体の他のメンバー、特に貧者に還元されなければならないと説く。そのため、イスラムではムスリムが行うべき「五行」の1つに「喜捨」(ザカート)という税が設けられ、ムスリムは収入の2.5%を「喜捨」のために支払うことが義務づけられている。
 こうしたイスラムの共同体の平等観や正義感が、貧富の格差の広がりなど現実の世界の社会経済的矛盾や、また政治腐敗がある場合にイスラムの原点にもどろうとする運動となって現れる。これが近年国際政治のなかで焦点になっているイスラム政治運動(原理主義)である。イスラム政治運動は、イスラムを政治・社会の根本に据え、またイスラム法(シャリーア)を施行することによって、現代の矛盾を正そうとする。(pp.iii-iv)

植民地支配は、伝統意識の強いムスリムの目から見れば、単に外国支配を受けただけでなく、文化・宗教的な
屈辱」をもたらしたのである。従来からあったイスラム的価値観が著しく損なわれ、イスラム社会は自然な発達を大いに阻害されることになり、外国勢力によっていきなり「文化革命」を強制された状態となった。こうしたイスラム地域に対するヨーロッパ支配は、ムスリムたちの自尊心を大いに傷つけたことは間違いない。イスラムは、その宗教の訴える力だけでなく、征服や軍事的勝利で、ムスリムに栄光を与え、彼らの宗教的自覚を植えつけていた。反植民地主義を指導したムスリムたちから見れば、ヨーロッパの植民地支配はムスリムの過去の栄光やプライドを傷つけるばかりでなく、その物質主義的文化はイスラムに具現された神聖な、清貧、簡素な宗教的原理に対する脅威でもあった。(pp.60-61)

植民地主義とともに到来したキリスト教の宣教師たちは、近代世界におけるイスラムの効用に疑問を投じ、布教活動を行うようにもなる。一部の宣教師たちは、イスラム世界に対するヨーロッパ諸国の政治的勝利は、キリスト教の教義の優越性によるものだとし、ムスリム世界の後進性をイスラムのせいだと決めつけた。彼らの認識では、ヨーロッパの近代的発展は、啓蒙主義や産業革命をもたらした諸条件だけでなく、宗教や文化としてキリスト教に本来備わっている優越性によるものであった。(中略)
 こうしたヨーロッパ植民地主義の進出に対してムスリムの側でも、何がイスラム世界の失敗の原因であったのか、ムスリムはいかにヨーロッパ勢力に対抗していくべきか、またイスラムの栄光を取り戻すためには何をしていくべきかなどを考えざるをえない。その回答の一つがパン=イスラム主義であった。(pp.61-62)

西欧型の「国民国家」は、中東イスラム地域で円滑に機能せず、この地域での民族問題の背景となっているが、現代のイスラム政治運動の担い手たちはたいていこの「国民国家」概念に反対する。たとえば、パレスチナのハマス(イスラム抵抗運動)は、その活動綱領のなかで、「独立パレスチナ国家」に反対している。ハマスの考えでは、パレスチナの地にパレスチナ人の「国家」をつくることは、西欧の植民地主義勢力の中東における秩序づくりを追認することになる。このハマスのように、イスラム政治運動の活動家たちは、ムスリム世界の衰退の原因は、「国民国家」などイスラム世界には不適切で、調和しない革新を受け入れた結果にあると考えている。(p.67)

イスラム政治運動のイデオローグたちは、一様に「国民国家」の考えに否定的であり、それは西欧帝国主義の産物であり、ジャーヒリーヤへの回帰であるという認識をもっている。彼らは、「イスラムの家」がムスリムにとって、唯一の精神的共同体であると主張し、その拡大を考えた。彼らの考えでは、神は唯一であるから、信仰の共同体も1つであるというものである。マウドゥディーやクトゥブが唱えた普遍的なイスラム共同体構築の考えは、イスラム世界の多くの「国家」がさまざまな政治的・社会的・経済的矛盾を深刻化させ、また欧米やイスラエルに対する「弱体ぶり」を露呈するとともに、ムスリムの間でますます求心力を持つようになったことは明らかである。(pp.70-71)

2008年に始まる世界同時不況はエジプトをも経済的重圧の下に置いた。失業者は増加し、世界的な食物価格の高騰は貧困層を直撃していった。政府は財政健全化のために補助金を減らしていったが、そのこともまた物価の高騰を招き、市民生活を直撃した。財政緊縮のために、政府は教育予算も削減、その結果、私立学校に子弟を遅れない中間層や中下層の青少年の教育の質は低下していった。また教師の賃金も安いために、学校が始まる前に授業を行い、生徒たちから謝礼を受け取る教師たちも現れた。こうしたなかでムスリム同胞団イスラム主義組織は、十分な教育を受けられない階層に対して無償で教育を施していった。この弱者を救済する姿勢もまたイスラムの原理の具現化であり、人々を引きつけることになったことはいうまでもない。
 貧富の格差も明らかな形で広がり、豪邸に住み、芝生が贅沢に整備されたゴルフ場に出かける富裕な人々がいる一方で、カイロでは50万人の人々が「死の街」と呼ばれる墓地に隣接するスラム街に住んでいる。エジプト全土では、1000万人余りの人々が貧困ラインより下の生活を余儀なくされている。彼らは識字率が低く、また幼児死亡率は高い。清潔な水道水を利用することもできずに、疾病が拡がり、栄養状態は極端に悪い。
 こうした状況のなかで、ムスリム同胞団などイスラム主義者たちは、政治の多元主義や社会正義を唱え、それが少なからぬ聴衆を引きつけてきた。ムスリム同胞団が運営する学校や病院、クリニックなどが人々の欲求を満たすのは、政府がこれらの分野で国民の必要に十分な注意を払わなかったことにある。エジプトの政変は、社会・経済的問題が政府の抑圧と絡んで民主化を求める運動が一気に高揚したが、その運動の1つのバックボーンとしてイスラムという宗教があることを忘れてはならない。(pp.222-223)

日本はイスラムの思想や行動を正確に理解し、またムスリムの訴えに応ずる努力をしていかなければならない。エジプトの政治変動に関する日本政府からの反応は目立つものではなかった。関心をもっていることをもっと積極的に明確に示したほうが、中東諸国の人々から好感をもたれる。今後もイスラムが中東の政治・社会・経済を動かす原理となっていくことは明らかで、日本には中東イスラム世界との対話や交流がますます必要なことを今回のエジプトの政変は示している。(p.224)

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長く引用箇所をそのまま列挙してしまい、恐縮です。

本書を読むと、欧米のキリスト教徒はけっこうえげつないことを中東でやってきたというのがとてもよくわかる。キリスト教に対する印象は元々あまり良いものではないが、本書を読んでさらに嫌悪感が増した。自分達の価値観が常に正しく、それを未開の世界にも広めるのが自分達の使命だと思っている。イスラム原理主義もそれに対する抵抗のようなものなのだろう。

「国民国家」とイスラムの親和性については、今まであまりちゃんと理解していなかったので、本書を読んで少しだけわかったような気がした。ただ、ご本人の専門が中東地域だからだと思うが、本書では東南アジアのムスリムについては殆ど言及がなく、米国や欧州諸国に住むムスリムについても言及がない。彼らが「国民国家」の中での自らの位置をどう考えているのか、少しでも述べていただければもっと参考になったと思う。

本書のタイトル「イスラムの世界戦略」は、内容とあまり合っていないような気がした。こうしたタイトルを見ると、イスラムが一枚岩のようにも見えるが、実際は宗派が相当に分かれており、宗派間でも争いが見られるらしい。また、イスラム主義政治運動と世俗主義政府との対立関係もいたる所で見られる。イスラムを擬人化していかにも世界制覇を狙っているかのごときタイトルは、陰謀史観が大好きな読者をミスリードするような気がする。

本書を読んで、対キリスト教という点ではイスラムに同情するところがあったが、一方で内輪でガチャガチャやっていて、同じムスリムでも容赦なく殺害してしまうほど不寛容なところもあるという点では、ちょっと近寄りがたいものがある。著者が指摘するように、僕達はもっとイスラムと向き合い、理解することが求められているのだが、まだまだ違和感が拭えない。


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