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『甦る大地セラード』 [読書日記]

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甦る大地セラード―日本とブラジルの国際協力 (国際協力選書)

  • 作者: 青木 公
  • 出版社/メーカー: 国際協力出版会
  • 発売日: 1995/04
  • メディア: 単行本
内容(「BOOK」データベースより)
日本政府は民間企業、ブラジル政府等と協力し、日系人を先駆けとする農業家たちとともにこの地を切り拓いた。元朝日新聞社ロサンゼルス支局長が、いま新たに現地を取材し、紆余曲折の歴史と人間群像を焦点に、このODAの真実の姿を描き出す。
この本の発刊は1995年7月10日、僕が結婚した翌日になっている。出版業界で働いている友人に聞いてみたところ、発行日よりも2週間近く早く書店店頭では並ぶ可能性があるそうだが、今考えても、この本がなぜ僕の自宅の書棚に入っていたのかが思い出せない。当時の僕は我が社のブラジル事業とわずかながら繋がりがあったので、勉強してみようかと思って買ったのかもしれない。

本書で取り上げているブラジルの「セラード農業開発」という事業は、1970年代初頭に米国ニクソン大統領が米国産大豆の対外輸出禁止措置を下し、日本国内で「豆腐が食べられなくなる」と大騒ぎになった際に、当時の田中角栄首相が、穀物の輸入元を多角化しておかないと安全保障上リスクが大きいと判断し、ブラジル訪問してガイゼル大統領と農業開発協力で合意したのが事業の発端となっている。元々「セラード」という土地は「見捨てられた」という意味だそうで、農業には向かない荒地だったらしい。そこに、石灰を入れて灌漑を引いて土壌を改良し、その地域に合った穀物の品種を開発・導入して、今や世界の需要を満たす一大穀倉地帯に変貌を遂げた。2012年1月18日付の日経新聞によると、米農務省が発表した需給見通しで、2011穀物年度(11年9月~12年8月)の大豆輸出量は、ブラジルが3900万トン、米国が3470万トンとなり、ブラジルはとうとう首位に躍り出たという。大豆輸入先の確保を目的として日本政府が支援したセラード開発は、今や中国の大きな需要に支えられて大きく発展を遂げている。

ここまで劇的なブラジルの大豆生産の伸びは、本書が書かれた1995年以後に見られたものだ。だから、17年も前に書かれたこの本では、そうしたセラード地帯のランドスケープの変貌について、それほどドラマチックには描かれていない。むしろ、そういう変化の過程で影響を受けた人々の、ネガティブな声もフェアに拾っていて、そちらの方がかえって目立つ。本書が出たばかりの頃、僕はこの本を読んでセラード農業開発に対してあまりいい印象を持たなかったのだが、その理由は、結構マイナスポイントが細かく書かれていて、プラスポイントを打ち消してしまっていると感じたからだろう。

17年ぶりに読み返してみて、プラスポイントが書かれていないわけではないことがわかった。ただ、各取材対象者にインタビューする際に、プラスポイントの方を先に出した後でマイナスポイントにも言及しているので、読み過ぎるとマイナスの印象の方が残ってしまう。(その辺に、朝日新聞の記者出身という著者の矜持を感じないでもないが…。)加えて端的に「これこそがセラード最大の成功ポイント」というのが明確に示されていないので、セラードについて何も知らない人が読むと印象になかなか残らない。

そう、本書の問題をあえて言えば、元々セラードのことをある程度知っている人でないと本書で書かれていることが容易には理解できないという点にある。僕はここ半年ほどでセラードについて多少の予備知識をつけた。だから今回久々にこの本を読んでみようという気持ちになれたし、読んでいて聞き慣れた地名や人名が出てきて読みやすかった。それでも、セラード農業開発をその前史から含めて時系列で追って描いていないため、事業概要を手っ取り早く理解するのにはあまり向かない本だと改めて思った。(ある程度知っている人が読んで知識の穴埋めをするのには向いているかもしれないが。)

セラード開発については、1994年当時でもいろいろ言われていたらしく、そのために日本の社会学者が現地で聴き取り調査もやっている。著者の又聞きだが、社会学者への取材から次のようなコメントを引き出している。
「ブラジリアでブラジル司教会議にも行った。いわゆる解放の神学派によると、セラード開発計画は、大規模、機械化、労働集約型で、地元への利益はない。農産物も輸出向けである。貧しい小農民や農業労働者、いわゆる『冷や飯者』には益がない、という。しかし、現場では、開発からはじき出されるほど深刻な事態はみられなかった。たしかに、農地改革は必要だが、ブラジルには未開発のフロンティアがあるので、農地の再分配はかなりむずかしい。セラード開発に、日本の官民の資金は役立っている」(p.188)
農業協力を小農支援として見るか、食料増産を指向する大規模農業支援として見るかによって評価の仕方も違ってくるのだろう。セラードの場合も、1994年時点で小農支援として捉えると、気になるところもあるのだろう。ただ、これをもし2012年時点で食料安全保障の観点から捉えた場合、全く異なるイメージとなるだろう。1994年当時は小農民や農業労働者だった人々が、その後のブラジル経済の発展の中で、その生活がどう変わっていったのかを見てみると、著者が1994年当時の取材で見聞した内容とは異なるストーリーが描けるのではないかと思う。

ところで、ここで出てくる「解放の神学」系の宗教関係者のアドボカシーを見ると、その影響力の恐ろしさをまじまじと感じる。「言いたい奴には言わせておけ」と無視していると、そのうちにとんでもないしっぺ返しを喰らうことがあるという好事例だろう。ただ、引用した社会学者のコメントからもわかる通り、宗教関係者が正しい情報とエビデンスに基づいてセラード開発を批判していたわけでもないらしい。無視して放っておくだけではなく、彼らと向き合ってちゃんとした情報提供をしていくことも必要だったのではないか。このところ「宗教と開発」というテーマでブログにいろいろ記事を書いている僕としては思わざるを得ない。






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コメント 1

toshi

コメント、ありがとうございました。
by toshi (2012-05-04 06:20) 

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