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『宗教と開発』学習メモ3 [読書日記]

Religion and Development: Ways of Transforming the World

Religion and Development: Ways of Transforming the World

  • 編者: Gerrie Ter Haar
  • 出版社/メーカー: Hurst & Co.
  • 発売日: 2011/03
  • メディア: ペーパーバック

続けざまに3つの章のレジメを転載してきましたが、本日が最後です。筆者は英国系のクリスチャン・エイドというNGOのワーカーを務めた後、前回紹介した世界宗教開発対話(WFDD)事務局で働き、英国国際開発庁(DFID)ラテンアメリカ地域担当部長を経て、現在米国ジョージタウン大学にあるバークレー宗教国際平和研究センター(訳し方がアバウト…)の研究員を務めている人である。その意味で、2回目に紹介した章の筆者と論点は非常に近いと思う。

Ch.9: Religion and the Millennium Development Goals: Whose Agenda?
Wendy Tyndale, pp.207-229

宗教に対する関心の高まり  
◆WFDDはウォルフェンソンの世銀総裁退任後活動後退。宗教が政治的に手に負えない、開発とは関連性がない、世銀活動の妨げになる、対話しても実が少ないといった理由による反対論の方が強かった。

◆しかし、宗教と開発を巡る対話は、世銀内外で継続。
 (例)DFID・バーミンガム大学共同研究(2005~)、SDCなど

かつてない関心の高まりのわけ
◆宗教指導者の影響力の大きさへの認識高まる。(例)Voices of the Poor

◆主流派の開発課題について、それを主流化する取組みへの疲れが目立ち、世銀やIMFも批判の対象となってきた。

◆政府機関は彼らだけで貧困削減を実現して生活水準の改善を実現する手段を持っていない。
 →「パートナーシップ」へ(企業、学界、NGO、そして宗教へ)

◆開発機関は宗教団体との連携を、自分たちのアジェンダ、とりわけMDGsを、草の根レベルで効果的に実現させる手段と見なしている。
MDGs
◆MDGsのうち1、2つについては目標年限までの達成が見込み薄。
◆宗教界はどのように支援できると考えられているのか?

貧困の定義 
◆宗教界では、精神的な達成感や心の満足感、安寧、希望や尊厳といった人間らしいクオリティの欠如も「貧困」の範疇に含まれる。単に個々の人に注目するだけでなく、コミュニティ全体に共通する善、コミュニティ全体の発展の重要性を重視。

◆Riddel:宗教的観点からの「剥奪」の理解は、他者との関係、物質世界との関係といった関係性を理解すること。信頼、連帯、寛容、抑制、同情といった、「徳」として知られる共通の属性に基づき社会を整理できなければ、物質的に貧しい人々だけでなく、豊かな人々にも影響を与える貧困状況に苦しみ続けることになる。

MDGsは物質的剥奪への取組み。宗教界から提示されているような広義の貧困を理解せねば、MDGsが注目する「貧困」を撲滅するのに必要なプロセスは完結しない。

どのような「開発」を指向するか?
◆宗教界では、開発の恩恵が全ての人に行きわたるものであることを求める。
 〇最後の1人がどの程度恩恵を受けたか。
 〇「誰も取り残すな」
 〇「成長が人に恩恵を与えないなら、それは開発ではない」

◆経済開発計画は、もし人の生き方の文化的、政治的、社会的、環境的側面と同様に精神的側面も考慮したものでなければ、持続可能なものにはならない。

MDGs達成に向けた協力 
1)サービス提供:真っ先に思い浮かぶもの。政府計画では顧みられないことが多かった。
 単に安価で質の高いサービスを提供できる点だけを期待するのは危険。
 宗教団体のサービス提供活動には各々の団体のアジェンダがある。

2)教育:カリキュラム、提供される教育の底流にある価値体系が重要。グッド・ガバナンスや健全な
 ビジネス慣行に必要な「モラルキャピタル」の蓄積。より厳格な教義を教える教育サービスもある。
 宗教団体のアジェンダがあることに注意。

3)HIV/AIDS:UN、世銀ともに宗教団体との協力を特に重視する分野だが、2003年アジスアベバ会議は
 草の根宗教団体と開発機関との協力の難しさを露呈(例:効率性の考え方、時間的制約、
 作業レベルでのスタッフ間ないしスタッフと受益者との関係性、良い開発事業とは何か)。

4)食料と環境:最低限の食料を配給する宗教団体も。

5)仕事:生計を立てるために働くことができるかどうかを重視。仕事へのアクセスは、人のため、
 神のためになる機会を得ることを意味し、人に尊厳をもたらすと考える。

6)女性のエンパワーメント:宗教団体の殆どがジェンダー関係ではネガティブな役割を演じる。
 しかし、女性に対して差別的な習慣は、宗教の教義そのものよりも、コミュニティ内での力関係に基づく
 との指摘も。

最後に
◆MDGsの問題は、それが西側政府、UN、世銀によって設計された開発アジェンダであること。トップダウン的性格を持ち、各国の事情に基づく政策ニーズに優先する。

◆異なる宗教的伝統を背景とした人々にとってのMDGsの問題点は、そこでは「開発」は数値にて計測可能な特定の成果を得ることと見られている点。

◆草の根レベルでの活動で、開発機関と宗教団体の協力を実現させようとする努力が多くの困難に直面するのは、宗教団体の活動の背景にパラドックスがあるから。

 ★宗教的に感化された人々は貧しい人々と一緒に暮らし、巨大な世俗開発機関にはアクセスできない
  知見を持ち、影響力もある。

 ★貧しい人々に近い場所で活動してきたことが、宗教団体や指導者に開発専門家とは違う見方をもたらす
  きっかけとなり、時にそれが対立関係になることも。

◆しかし、宗教的動機から活動してきた人々が、貧しい人々と接することで、宗教的動機をさらに強めて活動を強化することにも繋がる可能性がある。

◆宗教団体も変化に対してオープンである必要。

◆ジュビリー2000:宗教団体がいったん連携したら、その影響力は大きい。

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この筆者の論点で面白かったのは、ミレニアム開発目標(MDGs)に対して批判的であるという点である。目標が達成されていること自体よりも、目標が達成されること自体がその国に対して持つ意味にもっと注目する必要があると言っているようでもある。あるいは、数値目標を達成するという結果よりも、どのようにしてそれが達成されるのかというプロセスを重視していると言ってもよい。

MDGsがトップダウン的性格を持っているというのも、最近よく目にする。MDGsは国際社会で先進国も途上国も集まった場で合意された共通の達成目標であるが、それが各国地域社会においては外から課せられた目標と映るのは仕方ないところだろう。本来、開発目標というのはその地域ごとの特性を配慮して改編が行なわれるべきものだと考えられるが、国際社会において達成状況を共通の尺度で比較するには、外からの押し付けと取られるような指標であっても達成に向けた責任を果たしていかなければならない。

筆者によると、宗教関係者が開発というものを捉える場合、「70%」という目標をクリアしたからそれでよいというものではないらしい。通常ならそこで目標達成となって達成努力は打ちきられることになるのだろうが、宗教関係者は残りの「30%」がどうなるのかというところまで注意するのだという。

それと、本章は実際のMDGs達成に向けた宗教関連団体の取組みの具体例を幾つも紹介しているところが参考になる。例えば、インドで言うと、コルカタに拠点を置くラマ・クリシュナ教団とか、カルナタカ州のVGKK(ヴィヴェーカーナンダ・ギリジャナ・カリヤナ・ケンドラ)、ケララ州の全インド漁業者フォーラム(NFF)の活動などが紹介されている。

実際に国単位とかではなくもっと小さな地域単位で見ていけば、ある程度は社会の同質性もあって、宗派間の対立に開発機関が巻き込まれるリスクは少なくなる。そうした場合は、地域レベルでは開発機関と宗教関連団体や宗教指導者との連携の余地は相当に広がるのではないかという気がする。仰々しく「宗教と開発の対話」などと言わなくとも、草の根レベルでは切っても切れない、勿論、HIV/AIDSやジェンダーに見られるように課題へのアプローチの仕方が違うケースは当然あると思うが、それでも可能性を感じさせる内容だった。

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