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『宗教と開発』学習メモ1 [読書日記]

Religion and Development: Ways of Transforming the World

Religion and Development: Ways of Transforming the World

  • 編者: Gerrie ter Haar
  • 出版社/メーカー: Hurst & Co.
  • 発売日: 2011/03
  • メディア: ペーパーバック
内容説明(訳す気力がありません。原文でご容赦を)
Until recently, policy-makers and academics generally saw religion as something that would disappear as countries made economic progress. But we now know that this rarely happens in fact. People in most countries continue to look at the world through the prism of religion even when they develop modern lifestyles. Religion and Development looks at the ways in which a religious worldview influences processes of development. Its great originality is that it does not concentrate primarily on religious institutions and organisations but on religious ideas themselves. In the final resort, it is people's ideas that motivate them. Their worldview stimulates them to act in specific ways. Religion is a dimension of life that often lies behind qualities such as social trust and cohesion that are vital to development. This is of growing importance in a world where technocratic visions of development have lost their way. For communities where religious belief is accepted as a fact of everyday life, religion constitutes a major resource. It can be employed by people who want to destroy society as well as those who want to build it. The contributors to this book explore how religious resources can be harnessed for development. Many of the world's people believe that the material advancement of both individuals and communities is inseparable from their spiritual improvement. The essays in this volume take this point of view seriously.
先々週から先週にかけて、この本の第1章、2章、9章を続けて読んだ。職場の勉強会で僕が取り上げるよう提案し、報告者も僕が務めることになったものだ。勉強会は4月23日(月)。お陰で、15日の剣道昇段審査受験後から時間を見つけてはこの慣れないテーマの英語論文集をシコシコ読んで過ごした。先週末も、21日(土)は別の行事で終日忙殺されたが、22日(日)は朝から晩まで論文の読み込みとレジメの作成をやって過ごした。勉強会での報告が終了したので、今回から3回シリーズで、本書の3章についてご紹介したい。

Ch.1: Religion and Development: Introducing A New Debate
Gerrie ter Haar, pp.3-25

本書の目的                                    
◆近年、「宗教と開発」に関する論文は増加。しかし、宗教の考え方を真面目に取り上げたものは少ない。開発プロセスの欠点は、人間の生き方に関する様々な難解な疑問に取り組んでいない点にある。

◆「宗教の世界観やスピリチュアルな洞察が開発に関連した複雑な課題を解決するのにどのように役立つのか?」「開発の目的は何か?」「「良い生き方」をどう理解し、どう計測するか?」

世界を一変させる            
◆「宗教」と「開発」の共通点は、「どのようにしたら世界が一変するのか」ビジョンを示していること。

◆「宗教」は「開発」における盲点。開発専門家は「開発」を純粋に世俗的なものとして認識し、「宗教」を避けてきた。世俗化は近代化の避けがたい副産物。個人やコミュニティでの生活の宗教的側面を軽視。

◆しかし、「宗教」は社会的政治的現実を形作るものであり、「開発」におけるその役割を再考する必要がある。

◆本書全体を通じて言いたいこと:宗教は多くの人がするべきことをするためのパワフルなモチベーションであり、生活を良い方向に改善しようとする道徳的ガイダンスとインスピレーションを人々に与えるものである。

◆国際機関(IMF、世銀など)が宗教に注目するのはその組織的側面で、宗教団体のサービス提供能力にある。しかし、その団体が依拠する考え方やそこから人々が得るインスピレーションにもっと注目する必要がある。

◆人々の生活の宗教的側面に注目し、開発目的達成に使える資源は最大限使う:
 ①思想・アイデア、②(団体の)実践、③組織、④経験

◆宗教的見地からの「開発」観は、経済成長重視の開発業界で支配的な世俗的「開発」観とは大きく異なる。

◆世界経済フォーラムが行った世論調査:宗教や信仰の役割への注目が世界的に高まり、開発対話にもこれを取り込む必要がある。

宗教と開発:概念的分析                              
◆「宗教」とは?
 ★目に見える世界から切り離すことは難しいが、物質世界に影響を与えるスピリチュアルな存在の居所となる
  見えない世界の存在
を信じること

 ★人々の社会的関係は見えない世界にまで広がっている。QOLを引き上げ、物質的生活を持続可能なもの
  にするには、精神世界との積極的な繋がりの維持に努め、スピリチュアルな資源も活用する必要がある 
  (例:保健、エコロジー問題)。

 ★人々の「開発」に関する思想は物質世界だけで切り離しては形成されない。純粋に経済的意味合いしか
  ない進歩というものはない(例:イスラム金融)。開発のいかなる実践においても宗教的考え方が重要である
  と本書を通じて強調したい。

 ★「精神の力=物事を可能にする力」、精神面でのエンパワーメントは物質世界を変革する可能性があり、
  多くの人々は、精神の力を借りて貧困から脱却できると信じている。

◆「開発」とは?
 ★「政教分離」は欧州の歴史とともに発展。植民地支配にも適用。脱植民地化の過程でも新独立国は
  方針維持。

 ★現在は「政教分離」が抜本的に見直されている。独立時に喧伝された福祉と繁栄は実現せず。
  宗主国から持ち込まれた概念を見直し、スピリチュアルな資源を含めた伝統的資源を再評価。

 ★20世紀の「開発」は西洋のキリスト教の思想を世俗主義的に解釈したもの

 ★Goudzwaard「開発協力における世俗的アプローチと宗教的アプローチの違い」:
  世俗主義アプローチ:機械的な社会観。目標と目的を重視。個人の役割重視。競争重視。
               経済活動の結果(アウトプット)重視。

  宗教的アプローチ:有機的な社会観。目標/目的がどのように達成されるかを重視。
               コミュニティの役割を強調。協力重視。
               目標/目的達成に必要な投入(インプット)を重視。
 
  開発協力では、開発に繋がる経路・経過にあまり注目してこなかった。
  一方で、宗教的アプローチでは、どのような経路を通じて開発に至るべきかが重要。

 ★宗教的アプローチによる「開発」では、スピリチュアルな領域が物質的領域に優先し、経済的繁栄に向けた
  精神面の条件を整えない限り、本当の繁栄は実現しない
と考える。社会を構成する個々人の内的変化は
  社会全体の変化の必要条件。

 ★ホーリスティックな「開発」観では、物質的開発と精神面での開発の双方を重視。より長期的な時間軸で
  プロセスを重視。

スピリチュアルな資源の動員
◆「開発」へのスピリチュアルなアプローチと物質主義アプローチには越えがたい溝があるのか?

◆KCRD:宗教の開発との関わり方には歴史的に2つのパターンがある。
 付加: 開発ワーカーの既存のツールキットに「宗教」が手段として新たに加わる。
 統合: 生活の中の宗教的領域が開発プロセスに統合される。地元の「良い生活」に関する見方に対して
     オープン。本書は、宗教的精神的資源も動員した「統合的開発」を提唱。

MDGsは物質主義的アプローチ:明確な数値目標、トップダウン、地元文化への配慮をせず、地元のビジョンを開発計画に反映させることが難しい。

◆スピリチュアルなアプローチについてはさらなる検討が必要。

 ★「スピリチュアルキャピタル」は、開発ワーカーや開発理論家の知る「資本」とは大きく異なる。
  広義のソーシャルキャピタルの一部であり、見えない世界にある資源に人々がアクセスする能力を指す。
  スピリチュアルキャピタルは、それと積極的に関わることを通じて、共通善のために動員することができる。

 ★スピリチュアルキャピタルへの投資も、物質世界での利益を期待して行われる。

 ★スピリチュアルな世界と人間世界とは不可分で、常にinteractionが求められる。世俗的な開発専門家も、
  そこで使用される言語を理解しておく必要
がある。

 ★社会に特有のスピリチュアルキャピタルを開発目的に動員するためには、そうしたアプローチが持続可能な  開発を実現するのに重要だと考える人々により動員されることが必要。

 ★宗教団体は他のNGOと同じではないことを理解。個人や集団の宗教的良心が変化のdriver。
  人の内面的な部分はこれまでの開発ディベートではあまり議論されてこなかった。

宗教指導者の役割の重要性。特定の宗派や教義が経済成長を左右するのではなく、宗教はむしろ経済的な現実を反映して考え方が形成されてきた。

結論                                       
◆人のケイパビリティを高めるものとして宗教やスピリチュアルな資源を捉えること。但し、宗教を単に西側開発機関のツールの1つとして捉えないこと。開発に求められるのは新しい政策手段ではなく、開発とは何か、どのように開発は実施されるのかについての新たなビジョンである。

◆宗教は、個々人の発展と社会の発展を可能にするポジティブな資源。

◆開発機関は、宗教的な領域が開発協力において有効に役割を果たすよう、宗教に対する見方を変えていくことが必要。単に宗教団体との連携を模索するのではなく、信仰を持つ人々との知的な対話を通じて理解を深めることが求められる。

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以上は本書全体の概要について編者が書いた第1章の内容である。タイトルからも想像つくと思うが、この本は、今まであまり交わることのなかった「宗教」と「開発」が、1990年代以降に起きてきた開発協力業界における「開発」の捉え方の変化――人間開発の重視、包括的な開発枠組み、貧困撲滅、参加型の国家開発計画など――により、協働する余地が広がって来ているので、これまでのようにお互いに「食わず嫌い」なところは改め、対話を通じて相互理解をもっと深めていきましょう、という趣旨のことが書かれている。開発業界と宗教界は「貧困撲滅」という共通の目標を掲げているのだから、協働することで取組みの有効性がもっと高まる筈ということだ。

ただ、どうしても感じるのは、これは開発援助業界からの一方的な片思いなのではないかということである。もともと宗教などという、同一宗教内でも宗派の違いが流血の対立を招いてしまう恐れすらあるようなデリケートなテーマに深入りするのは危険だという考えもあった筈で、それでもわかり合えるところはわかり合って一緒にやっていければ、元々は人のケイパビリティを高めることを目指しているのだから、かなり有効にできるだろうと思っているグループが業界内にいるのだろう。本稿は、こうした協働に向けて、宗教界よりも、むしろ開発援助業界の方が変わらなければいけないというトーンで書かれている。

世俗的な開発専門家も、宗教が持つ精神世界との往来を理解し、そこで使用されている慣用句に精通している必要があるという指摘は、確かにその通りである。本来ならそこまで深く、長く、地域の伝統的な信仰について理解を深められたらいいに違いない。マクロなレベルだと宗派間の違いは対立関係にもエスカレートしやすいデリケートなテーマだが、これが同質性がある程度は確保された小さなコミュニティのレベルであれば、もう少し腰を落ち着けて在来宗教、在来信仰を学ぶことは確かにできそうだ。ただ、そうしたことはNGOのように特定の狭い地域に長くとどまって開発ワーカーが活動できる場合は可能だろうが、世銀のような巨大な開発援助機関だと開発スペシャリストはより広域にインパクトを与え得る大型案件を複数件担当していて、1つの狭い地域に長期間滞在することなどできないだろう。本書で書かれていることは理想ではあるかもしれないが、現実問題としてはそこまで踏み込めないジレンマを感じる読者も多いのではないだろうか。

末端レベルでのワーカーの現地宗教への無配慮が1国の政治指導者による謝罪にまで発展してしまった例としては、アフガニスタンで起きた米軍兵によるコーラン焼却事件が挙げられる。これは米軍兵の話だが、開発ワーカーについても同じことは言えると思う。

また、開発業界からの一方的なラブコールのような印象を受けてしまう理由は、宗教をリソース(資源)と捉えて地域の開発のため、問題解決のためにもっと活用しようという提唱のされ方にもあると思う。理屈はその通りだし、実際にそうやって成功を収めた連携事例は相当にある筈だが、ややもすると「使えるものは何でも使え」という利用者側の都合に基づいた議論がされているようにも感じてしまう。

本書を読みながら、ふと、「宗教」などという仰々しい言葉を使ってよりハイレベルな次元で指導者同士の対話の重要性を説く難しさを言うよりも、逆に「宗教」という言葉は使わず、「人の幸せとはどのような状態を指すのか?」という幸福論からアプローチする方が、神経質な反応を回避することはできるのではないかという気もした。


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