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『限界集落の真実』 [読書日記]

限界集落の真実: 過疎の村は消えるか? (ちくま新書)

限界集落の真実: 過疎の村は消えるか? (ちくま新書)

  • 作者: 山下 祐介
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2012/01/05
  • メディア: 新書
内容(「BOOK」データベースより)
高齢化が進み、いずれ消滅に至るとされる「限界集落」。だが危機を煽る報道がなされているのに、実際に消滅したむらはほとんどない。そこには逆に「限界集落」という名付けをしたことによる自己予言成就―ありもしない危機が実際に起きる―という罠すら潜んでいる。カネの次元、ハードをいかに整備するかに問題を矮小化してきた、これまでの過疎対策の責任は重い。ソフトの問題、とりわけ世代間継承や家族の問題を見据え、真に持続可能な豊かな日本の地域社会を構想する。
図書館の新着本のコーナーで、『アジアの非伝統的安全保障』や『新しいASEAN』を借りた際、ついでに新書だからクイックに読めそうだということでついでに借りた1冊。メーンだった2冊を読み切り、返却期限も残り1週間を切っていたので慌てて読み始めたが、途中から結構面白くなり、マーカーで線を引きたくなった箇所も結構あったので、急遽書店で購入することに方針転換し、その上で読み切った。

読み応えのある良書である。相当頻繁なフィールドワークに基づいて書かれており、そう言われると説得力はある。著者によれば、巷間言われている「限界集落」の問題は高齢化の問題として述べられている傾向があるが、実際のところ、これは人々による世代間の極端な住み分けが生み出した問題で、戦前生まれと戦後生まれの世代間の継承の問題、ひいては高齢化の裏側にある少子化の方が問題だと述べている。「限界集落」というのは、65歳以上の高齢者が集落人口の半分を超え、独居老人世帯が増加し、このため、集落の共同活動の機能が低下し、社会的共同生活の維持が困難な状況に置かれている集落と定義される。このような高齢地域が現れるのは、①高齢者を構成するある年齢層が「定着」している一方で、②その下の年齢層を構成する世代が「排出」され、③そのために子供を産む世代がなく、「少子化」が進行しているからだと著者は言う。こうして従来からの「限界集落」論と持論の違いを浮きだたせようと苦心されているが、この点については強調されているほど大きな独自性は感じられない。

ただ、「限界集落」論は、誰が論じるかによってその結論の持って行き方も変わってくる。巷間よく言われるのは、限界集落では公共サービスも割高で提供困難だから、都市に集住させてサービス提供の効率化を図るべきだという「コンパクトシティ」の話とくっつけられやすい。でも、実際にそうした集落を見ると、都市近郊の新興住宅地などと比べてもよほど「共同体」は機能している。世帯数も集落人口も減少はしているが、近所付き合いはちゃんと残っている。「限界」などという言葉を当事者の集落住民はそう感じていても使わない。「限界集落」は外部者が持ち込んだ概念であり、当事者の視点が欠けていると著者は指摘している。

また、「限界集落」などと言ってそうした集落の多い地方農村地域の話に局地化される傾向のあるこの問題も、長期間にわたって日本で行なわれてきた農村から都市への人口移動によって起った世代間の住み分けと密接に結びついており、そこらじゅうに、特定年齢層ばかりが固まった居住地域ばかりが増え、世代を越えた地域の継承が行なわれない状況を招いている、むしろこれは日本の社会全体の問題として捉えるべきだと著者は述べている。

ただ、そうは言っても今のままでは「限界集落」論者が警鐘を鳴らす事態は早晩集落で起きてしまうという点では同じだ。今言われている限界集落では、戦前生まれの年齢層人口ばかりが多くて、戦後生まれの世代があまり集落に残っていないという状態なわけだから、戦前生まれが70代から80代、平均寿命の80代半ばを超えつつある2010年代は、放っておけば消滅する集落がかなり出てくるという。

だったらどのような取組みが必要か。そこで著者は、当事者である地域住民の主体性を先ず前提として、問題を100%解決することは難しいが、取組みの方向性として指摘しているポイントがある。それは、1950~60年代の高度成長期以降に農村から都市に移り住んだ世代も、生まれ育った土地と完全に切り離された生活をしているわけではなく、時々村に帰って年老いた親のケアはしているし、いずれは村に戻りたいとも考えている人が多いと指摘する。だから、集落の資源を今集落に住んでいる人の頭数だけで捉えるのではなく、各世帯が繋がっている外に住む家族も含めたネットワークで捉えて、集落の維持発展を考えるべきなのだという。

これは僕のような立場の者にとっては惹かれる論点である。

しかし、この対応策が日本全国で有効かというとよくわからない。少なくとも、東京に出てきている僕にとっては苦しい。せいぜい車で1~2時間ぐらいの距離のところに住んでいて、頻繁に実家の様子を見に行けるような人なら期待できるかもしれないが。また、結婚して家族もいると、自分の故郷は西日本にあっても、妻の故郷は東北か北海道という人もいるかもしれない。そうやって考えていくと、これも難しいのではないかなと暗くなる。

地域再生の主体は地域住民であるということを改めて考えさせられた1冊だった。民俗学者・宮本常一が1950年代に提唱していた離島振興とよく似た主張が今でも論じられているという点で、その実現困難さがわかる。しかも、人口減少や超高齢化、それに政府への依存などもあり、地域住民の当事者意識や能力は相当に低下している。今から実現することの方がむしろ難しいのだ。それでも良い取組みが見られるコミュニティは他と比べてどこが違うのか、安易に外から解決策を持ち込まないというが、そのような中で外部者はどのような役割を演じられるのか、著者には次に論じてもらいたいと思った。

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