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『蚕にみる明治維新』 [シルク・コットン]

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2月28日(火)、都内ホテルにおいて、僕の本の出版を祝してインドの養蚕技術協力に関わられた日本の関係者の方々による懇親会が開催された。プロジェクトでは、1991年から2007年までの16年間のうちに、長期短期合わせて合計95人の日本人専門家が派遣された。この日は、そのうち約40名の専門家経験者、それに専門家の送り出しや後方支援で関わられた日本の蚕糸行政の関係者と技術協力を実施したJICAの当時の関係者、そして本の出版にご尽力いただいた出版社の社長さん、エディターさん、合わせて約10名ほどが加わり、50名近い出席者により盛大な「同窓会」となった。

会場では、僕が昨年6月に行なった南インド現地調査の際に撮影してきた写真を常時スライド上映して、専門家の方々が現地で交流した政府機関のカウンターパートの方々や、第2フェーズ5年間だけでも地球6周半にも相当する距離を巡回して行なわれた農村での実証試験でそれを受け入れて専門家の話を聴き入れた農家の方々の現在の写真をご紹介した。

この方々が前回お集まりになったのは、16年間の協力が終了した2007年の暮れのことだ。ほとんどの方々は既に現役引退して蚕糸業の第一線から退かれていて、しかも高齢化が徐々に進んでいるので、前回からたった4年後のこととはいえ、その間に鬼籍に入られた方もいらっしゃると聞いた。そうした中でも、このように50人近い方々が、群馬や松本・岡谷、岐阜、大阪、そして九州は福岡、熊本などからもお集まり下さったというのを見るにつけ、その関係者の結束力というのもを改めて実感させられた。

そして、多くの出席者の方々から、「自分達のやってきたことをよくまとめて下さいました」という労いのお言葉をいただいた。蚕のことはど素人に近い僕が付け焼刃の一夜漬け知識で書き上げた原稿なので、不十分な点はかなりあったことと思うが、思い出を形にするという点ではいささかなりともお役に立てたのかなと安堵した。

そうしてご出席下さった関係者の1人は、上州島村――今でいう群馬県伊勢崎市境島村の先進蚕種家・田島弥平家の四代目当主でもある。

蚕にみる明治維新: 渋沢栄一と養蚕教師

蚕にみる明治維新: 渋沢栄一と養蚕教師

  • 作者: 鈴木 芳行
  • 出版社/メーカー: 吉川弘文館
  • 発売日: 2011/09/06
  • メディア: 単行本
内容(「BOOK」データベースより)
殖産興業として日本の経済をささえた養蚕業。近代化を推進したのは大蔵官僚時代の、渋沢栄一であった。渋沢の出身地に近く、優れた養蚕方式と高く評価された群馬県の島村式蚕室の工夫、全国に伝えた養蚕教師の活躍を描く。
上州島村の田島弥平が、島村蚕種業発展のリーダーであったことは、以前読んだ別の本で知っていた。僕はそれを元にして島村の田島家を訪ね、インドでの技術指導や地域の養蚕の歴史を次世代に語り継ぐという島村の取組みについてお話を伺った。田島家を訪問した際、19世紀後半に田島家を訪れたという訪問者記録を見せていただいたことがあるが、遠くは山形や福岡からも数名来られているのが特に印象に残っている。ただ、その時の僕は、そうした全国から見学に来られた方々というのは、単に短期の視察に来られたのだろうとしか考えなかった。

ところが、本書を読んでみると、田島弥平という人は島村という地域のリーダーだっただけではなく、その活動が日本全国に及んでいたということが初めてわかった。島村は、明治の産業発展をリードした渋沢栄一の生家がある埼玉県深谷の血洗島村とも近く、渋沢家も蚕種製造に従事していたことから、元々交流があったらしい。それが、渋沢が徳川慶喜に仕え、さらに明治新政府でも大蔵省の要職を歴任するにつれて、蚕糸業振興策において島村の田島が中央に呼ばれてその一翼を担うといったことがかなりあったらしい。その中で、全国から伝習生を受け入れて、島村の蚕種製造技術を彼らに伝え、その伝習生が全国各地に「島村式蚕室」と「清涼育」を広めたのだと本書は指摘する。つまり、田島弥平は島村蚕種製造業発展のリーダーというだけではなく、日本の蚕糸業の発展の基盤を作ったという指摘で、これは今まであまり考えていなかった新鮮な視点だった。

副題には「渋沢栄一」についても書かれている。渋沢栄一と養蚕との関係をここまで詳述した文献を僕は読んだことがなく、その点でも貴重な参考資料だといえる。ただ、本書での渋沢の描き方は大蔵省を辞める明治6年までにとどまっており、その後の蚕糸業の発展、例えば、その設立に渋沢も関わったと言われる官営富岡製糸場以降の民間製糸業の急速な発展や輸出促進において渋沢はどのような形で関与していたのかが、本書では全く描かれていないのが残念だ。独自性のある研究なのに、ちょっともったいない気もした。

開催日は確定していないが、僕は今岐阜の実家の方で講演を行なうことになっていて、その時の話のネタとして、岐阜県の蚕糸業の発展と衰退の歴史について、少しぐらいのリサーチをした上で講演に臨みたいと密かに(?)考えている。そのために、日本の養蚕の歴史について書かれた本を物色し、アクセスしやすいものから準備読むよう心がけているところである。本書を購入したのもその一環だったわけで、お陰で、明治5年に大蔵省が全国の蚕種家の代表「蚕種製造人大惣代」(後に「蚕種大惣代」)の岐阜県代表が郡上八幡の方だったことや、その後内務省が推進した殖産興業政策の一環として明治8年から14年までの間に全国に設けられた養蚕伝習所(今でいう研修センター)も、岐阜県内には5ヵ所にあり、実家から近いところとしては不破郡垂井村にあったということがわかった。ここまでわかれば次のステップは、国会図書館にでも出かけて、岐阜県史や垂井町史を調べることなのだろう。

本書は本文だけではなく、参考文献リストもそうした意味では参考になる。

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