SSブログ

Catalyzing Development [読書日記]

今年はG8主要先進国の元首が大挙して交代時期を迎えるというので話題だったが、世界の主要開発援助機関の代表も交代時期を迎えるようだ。先月はJICA(国際協力機構)の緒方貞子理事長が3月いっぱいで退任すると発表されたばかりだが、今度は世界銀行のゼーリック総裁が任期満了に伴い退任する見込みと報じられている。後任の総裁は慣例なら米国政府が推す米国人候補者が就任する筈だが、最近の欧州通貨危機における欧州諸国の中国詣でをみていると、中国をはじめとする新興国の発言力が相当に強くなってきているのではないかという印象なので、慣例通りすんなり決まるのかどうかはまだ不透明なようだ。

Catalyzing Development: A New Vision for Aid

Catalyzing Development: A New Vision for Aid

  • 編者: Homi Kharas, Koji Makino, Woojin Jung
  • 出版社/メーカー: Brookings Inst Pr
  • 発売日: 2011/06/21
  • メディア: ペーパーバック

ところで、最近、こんな本を読む機会があった。昨年夏に発刊され、11月末、韓国の釜山で開催された「援助効果向上に関するハイレベル・フォーラム」(HLF4)での成果文書採択に向けて、その基調を作った本である。HLF4には、156ヵ国の政府代表団と、約40の国際機関の首脳らを含む約3,500人が参加したが、その中には、先進国だけではなく新興国政府代表団やNGOも含まれていた。そこで採択された「釜山宣言」では、従来からの政府代表だけではなく、新興国や民間企業、NGO等の様々なアクターが、同じテーブルについて共通の目標を共有していこうという画期的な取組みがなされ、それが反映されたのだという。何よりも、会議をホストした韓国の意気込みは凄かったらしい。(JICAホームページから)

本書を読んでいると、HLF4が何故こうした構図になったのかがよく理解できる。以前なら途上国の開発を支援する主要なアクターといったら先進国政府と先進国が資金拠出する国際機関が中心だった。それに先進国のNGOが加わり、NGOは北と南という座標軸はないから、途上国のNGOも同様にその枠組みには参加していたと思う。それが1990年代までの姿。それが2000年代になると、企業も加わってくるし、大富豪が財団を作って中小の先進国よりも巨額の途上国支援を行なうようにもなった。そして出てきたのが新興国――韓国であり、中国である。新興国だけではなく、「南南協力」なんて言葉も頻繁に使われるようになり、途上国が他の途上国と協力するなんていうのも当たり前の姿になりつつある。

もはや開発援助を牛耳っているのは先進国と国際機関だけという枠組みは成り立たなくなってきている。

それに、援助と引き換えにして受取り国に改革を迫るような手法を取っている時代でもなさそうだ。本書には「キャパシティ・ディベロップメント(CD)」という言葉が出てくる。CDとは個人や組織、社会の各レベルでの課題対応能力が高まる内発的なプロセスと定義され、そのプロセスを支援するのが援助機関の役割だと主張されている。要はCDは途上国自身の自律的なプロセスで、援助機関は外部者としてそのプロセスを側面支援するファシリテーターだという。(第8章)

日本のODAはよく「自助努力の支援」だと言われているので、その援助案件の多くはCDプロセスの支援だろうと理解はしている。実際、僕がインドで事業見学した日本のNGOの中には、このファシリテーターの機能を十分に理解し、その役割に徹している団体もあった。しかし、その一方で第3章の国際NGOに関する記述を読んでいると、ちょっとばかりの違和感も感じた。

第3章の執筆者は欧米人らしい。記述は米国のNGOを基準にして描かれている。経験も豊富だし、国内では小切手1枚で寄付をしてくれる分厚い支持層があって、事業予算の規模も大きい。そんなところを引き合いに出して、「NGO間のコーディネーション不足」を言うのはどうかと思う。ここでコーディネーションが必要だと言っているNGOというのはどういうNGOなのか、推して知るべしである。本当にコーディネーションをやったら、欧米のNGOに牛耳られてしまうだろう。

NGOが途上国で開発支援を行なう動機は様々である。純粋に人道主義的な動機によるものもあるだろうが、逆に国内の支持者に対するサービスの一環として行なっているところもあるし、単に旅行していて病気に罹ったりしたときに助けてもらった恩返しのつもりで活動しているというところもある。それを1つの枠組みで括ってコーディネーションと言われても応じられるところなど多くはない。そんな暇があったら現場でもっと働きたいと思う団体も多いに違いない。そもそもそんなことをやる必要があるのかという気もする。

ただ思う。単に個人的な恩返しの意味もあって活動している団体であっても、コミュニティ開発におけるファシリテーターとしての役割、外部者としての振る舞いの作法は踏まえて欲しいなと。恩返しのつもりの人は、つい援助をやってしまいがちだし、地元の住民が期待した通りに動いてくれなければ、自分で行動してしまう人も多いのではないかと思う。そうすると、「あの人は我々のために一生懸命働いてくれているから、俺たちも手伝ってあげよう」なんて住民の人々に思われてしまっているかもしれない。

今は先進国に住んでいる僕が直接的にできることも限られているけれども、勉強にはなる1冊だった。


nice!(4)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

nice! 4

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

トラックバック 0