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週報(1/23 - 1/29) [備忘録]

今週の気になった記事はこちらである。そんなの当たり前じゃないかというのは自分の経験としても思うけれど。

僕が仕事で精神的に追い詰められた時期としては、1999年4~5月、2005年2~3月、2007年2~3月、2010年1~2月などがある。この中で最もきつかったのは、これは公言しているが2007年2~3月であった。詳細を語る気はない。ただ、長時間労働のピークは実はこの時期ではなく、もっと前にあった。極端な時には、朝7時前に職場入りし、終電まで仕事をやっていたことがあるし、終電に間に合うように職場を出ても、自宅最寄り駅からまっすぐ帰宅せず、24時間営業のファミレスでさらに少々持ち帰り残業をやったこともある。さすがに週末の朝は少しだけ寝坊もしたが、午後から休日出勤というのを土日連続してやったことは時々ある。もうこれ以上は時間を捻しろと言われてもできないというところまでやったと思う。

そんな状況であったにも関わらず、異動したいという希望に反して3年以上在籍を余儀なくされた職場だった。しかし、2007年1月に自分が手がけていたプロジェクトがひと段落し、そろそろ異動だという声も漏れ聞こえて来ていた。ようやくこの暗黒時代から脱出できると密かに期待していた矢先、直属の上司がポリープ摘出のために急に不在になった。その上、「この職場に残留しないか」などと部長が僕の意志に反して打診をしてきた。「Sanchaiは残留希望」などという間違ったメッセージをご丁寧に人事に送って下さった方もいらした。その上で、新たな事業の構想をいくつもぶつけて来られた。それも、準備期間1.5ヵ月とか4ヵ月とかで。組織としてはやったこともないものばかりで、ルール作りからスタートだった。さすがにこれはこたえた。本当にきつい時には、逆境をはね返すような気力は全く湧いて来ないというのを身をもって体験した。

直接の原因は、「ここまでは頑張ろう」と目標を定め、それを達成したと思った途端に次の高い山を見せられたことだが、そんなのは会社だったらあるのが当たり前のことだと聞こえるだろう。しかし、3年以上にわたって長時間労働を強いられてきたところにそれをやられると、精神的にはかなりこたえる。

今の職場でも、時折相当に追い込まれる時がある。期限を定めるとそこからの逆算で使える時間を計算できるが、それがあまりにも限られていて暗澹たる気持ちに襲われることは最近特に多い。そういう時は出社時刻を午前8時にまで早めることや、早朝のファミレスでの作業、帰宅途中喫茶店で道草して作業、といった具合で、職場の机にはあまり長時間とどまらず、目先を変えて集中して作業をやるようにしている。週末も昨秋は頻繁に休日出勤していたが、暖房が入らない寒い職場で長時間仕事をしても捗らないため、今は休日出勤はしないけれど、図書館に長居して、持ち帰り残業をすることが多くなった。

このブログでは最近度々述べているが、昨年末に職場のサポートスタッフの方を依願退職で失ってしまったことがとても大きい。失ってみて改めていい人だったなというのを痛感している。僕絡みの仕事は他のスタッフに引き継いでいって下さったのだが、辞めていかれた方と引き継いだ方との間で、僕との連携、分業の線引きに関する根本的な考え方が違うようで、今の相方は僕の期待したようには動いてくれていない。僕にとっては「至急」扱いの稟議が、その相方のところで「上司が海外出張中で不在」という理由で1週間以上眠っていたのがわかったりすると、愕然とさせられる。ますます「この人には任せられない」と思い込み、相手は相手で「Sanchaiさんは仕事をやる人だから任せておけばいい」となる。これでは仕事の悪循環だ。

それでもメリハリがあるうちはまだよい。今はそうなっていないが、仕事が忙し過ぎてそれ以外の社会活動への参加――剣道の稽古や国際交流協会のお手伝いなど――をどんどん省くようになったら、その時は黄信号だろう。

【久々の英語での講義に燃える】
今週は、知人から頼まれて、27日(金)、横浜の某大学の学部生を相手に、1コマ講義を行なった。「地域公共政策について、インドの地域開発を事例として紹介して欲しい」というのが依頼内容、しかも英語で。英語での講義は初めてというわけでもないが、講義資料の作成作業が捗らず、その資料を作成するのが主目的で24日(火)に取った有給休暇も、結局それ以外の作業をやっていて終わってしまったし、その後の作業も思ったほど進まず、結局講義前日の21時過ぎまでかかった。

幸い、久々の英語も心配していた以上にスラスラ喋れたし、アイコンタクトで教室内を見渡し、学生さんの反応を確認しながら話を進める余裕もあった。反応が悪いと知っていそうな具体的な話を持ち出して丁寧に喋るような工夫はした。ひと通り喋った後で学生さんの方から幾つも質問が出てきたということは、僕の話をそれなりに理解してくれていたからなのだろうと思う。自分で言うのもなんだが、及第点は与えられる内容だったと思う。

ただ、お陰で少々「燃え尽き」感が相当にある。

【自分で自分の仕事のペースがコントロールできないのはつらい】
1月23日(月):先週同様、月曜日は本社での会議から始まった。その会議の準備や会議に出る前に済ませておきたい仕事もあったので、僕は8時に職場に行き、2時間半の間にみっちり作業をした。11時から1時間半かかった会議が終わると、僕は途中でおにぎりを買って職場に直行し、さらに1時間集中してデスクワーク。その後14時からさらに2時間近い会議に出て、16時からまたデスクワーク。翌日有給休暇を取るつもりだったので、この日は駆け込みで相当な作業をやった。僕が休んでいる間に回しておいて欲しかった出張申請も起案して、サポートスタッフの机の上に伝言メモと一緒に置いておいた。

21時30分頃に退社した。あたりは雪!既に積もり始めていた。三鷹駅までは電車で帰れたが、そこからバスに乗り継ごうと考えたが、そこでふと魔がさしてラーメンを食べようと定食屋に立ち寄った。みそラーメンで体が温まったのはいいが、今度はバスがなかなか来ず、30分近く雪の中を待たされた。帰宅途中何度も転びそうになった。

1月24日(火):誠に変な話だが、この日は、ある仕事に集中したかったので休暇を取った。職場にいるといろいろな人が各々のプライオリティに基づいていろいろと言ってくる。そうした外からの雑音をシャットアウトして、自分がやるべき仕事を片付けたかったのだ。しかし、その前に平日に済ませておきたい雑務もあった。

先ずは国際交流協会絡みの打合せ。雪深い八王子まで、朝11時からの打合せに行った。打合せを終えて三鷹にまで戻り、昼食を済ませて次は散髪を済ませた。15時から図書館の自習室で作業。2時間近くやった。朝八王子駅で待ち合わせる前に1時間ほど現地の喫茶店でやっていた資料の読み込みも含め、今日やっておくべきメインの作業の前座といえる作業2つを終えることはできたが、メインの仕事を始めるにはラップトップの充電が足りず、やむなく帰宅した。夕食の前後の時間を使って作業を進めたが、会社に置いてきた資料がないとこれ以上はできないと判断し、諦めて早めに就寝した。

1月25日(水):この日は、夜会社の剣道部の稽古があったので、早めに仕事を片付けるべく、その分早めに出勤した。8時前に職場入りし、冒頭でも紹介した26日の大学での講義用の資料作成を2時間ほどやってから朝のメールチェックを始めたが、そこでなんと件のサポートスタッフが僕と同様に前日休暇を取っていたことが判明。僕が残業して作っておいた出張申請がそのまままる1日寝かされていたと知り、がっくりきたよ。

1月26日(木):この日も朝8時に出社し、前日同様、講義用資料を作成する作業を断続的にやった。途中急な呼び出しで午後本社に行ってまた2時間会議。戻ってから作業を再開し、21時をまわった時点で取りあえずのスライドが完成した。この日は朝、先週18日に起案して回した稟議書が件のサポートスタッフのところで昨日まで止まっていたのが判明。理由はバカバカしくて書く気にもなれない。僕はその稟議が通ることを前提に次のステップに向けた準備を23日には終えていたのに…。

帰宅後、22時30分頃に就寝し、午前3時起床。24時間ガストに行って、2時間ほど講義の準備をした。スライドの記述内容をチェックし、発言のポイントを赤ペンで書き込んだ。講義の前に僕が行なうルーティンだ。

1月27日(金):この日は早勉をやったこともあって、久々に9時と遅めの出社。(これでも僕にとってはフレックスタイムの始まりの時間なのですが…。)午前中にやっておくべき仕事を片付け、昼前に会社を出て横浜に向かった。いい機会だから山下公園近くのシルク博物館に寄ってくるかと考えて早めに出かけたのだが、肝腎の博物館は改装工事中で空振りを喰らった。HPの「ご利用案内」の頁にはそんなこと全然書いてなかったのに…。よくよく見たら、TOPページの「お知らせ」のところに書かれていた。言いたくはないが、このHPはちょっと配慮に欠けているな。まあ暖かくなって開館したらまた訪ねてみよう。

講義については前述の通り。自分としては燃え尽きた感じがあって、この日は会社に戻らず直帰した。帰宅後も特段何もやらず、早めに風呂に入って寝てしまった。

【極寒の週末の記録】
1月28日(土):かねてから約束していたので、末っ子を府中の映画館に連れて行った。『海賊戦隊ゴーカイジャー VS 宇宙刑事ギャバン THE MOVIE』を朝の初回上映で見た。大葉健二さん、56歳にしてあれだけアクションができるのはスゴイ。オヤジの方がエキサイトしたりして。昼前には帰宅。ただ、寒気がして、午後は少し横になって過ごした。気が抜けると体が言うことをきかなくなるというのを痛感させられた1日だった。

朝方の地震、震源地が富士五湖だという地震が7時30分過ぎから3回続き、すわ富士山噴火かもとビビり、娘の外出も見送らせた。週末なのに帰宅難民になられては困る。ただでも地図の読めない娘なのだから。その割には僕は末っ子と映画館に出かけた。勿論、避難経路等の確認はしておいた。幸い何も起こらなかったのでよかった。

1月29日(日):午前3時起床。24時間ガストで2時間ほど「早勉」仕事して、その後息子2人を起こして月例川崎マラソンに向かった。長男と僕は3km、末っ子は1kmの部に出場。末っ子は初めての長距離走大会出場だった。スタート時の気温は1~2℃。風が強かったので、体感温度はもっと低かった。僕は昔も市民ランナーとして冬のマラソン大会にはよく出ていたが、ここまで寒い大会というのは記憶にない。そんな中で、末っ子は1kmの部で意外にもかなりいい順位で走り切った。長男の方は、スタートの位置取りが後ろの方だったのであまり追い上げられなかった様子。僕は金曜日に行こうかと思っていた剣道の稽古を1回休んで膝を休ませたのが良かったのか、意外と立ち上がりの足取りが軽く、僕にしてはかなりオーバーペースになってしまった。後半バテたが、先月よりも50秒ほどよいタイムでゴールした。

帰宅して大阪国際女子マラソンをテレビ観戦。重友選手の走りもそうだが、同僚の坂本直子選手が前半上位で頑張っていたのには驚いた。この8年間、故障にも悩まされ、直前には風邪をひいたりもしたそうで、10位という結果はご本人には不本意だったかもしれないが、今も現役で走っておられる姿を見れたことには感動した。
テレビ観戦後は再び現実に戻り、持ち帰っていた仕事を少しずつこなした。このところのいつもの週末のパターンだ。
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