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綿花栽培農家の苦境5 [シルク・コットン]

巷はクリスマス。我が家でもチョコレートをたっぷり使ったクリスマス・ケーキを子供達が作ってくれた。

僕らが小学生の頃は、チョコレートといったら1年を通じてもなかなか口にすることができないお菓子の典型だった。でも、今やチョコレートは小腹を満たす代表的なスナック菓子となり、スーパー、コンビニ、駅のキオスクなどの店頭で、広いスペースをしめるようになっている。BOPビジネス的手法で、箱売りだと1箱200円以上したアーモンドチョコレートが小袋に分けて1袋105円で売られるようになると、購買力の低い消費者には値頃感があり、逆に甘いもの好きだがカロリーが気になる消費者は罪悪感を少しばかり軽減され、それで手を出す。

チョコレートはそうした小分け販売が比較的やりやすい商品である。それが売れた大きな理由だと思う。

お祭りムードに水を差すような本の紹介になってしまうかもしれない。今日紹介する1冊は、僕達が普段当たり前のように消費しているコーヒーやチョコレート、お米、綿100%の衣類などが、どのような生産者が作り、どのようなルートで流通しているのか、そして自分達が商品を購入した際に支払うお金の何割が生産者に還元されるのかといったことを、僕達に考えさせてくれるだろう。そうして、生産者に想いを馳せることができる、責任ある消費者を目指せと語りかけてくるように思える。

コーヒー、カカオ、米、綿花、コショウの暗黒物語―生産者を死に追いやるグローバル経済

コーヒー、カカオ、米、綿花、コショウの暗黒物語―生産者を死に追いやるグローバル経済

  • 作者: ジャン=ピエール ボリス
  • 出版社/メーカー: 作品社
  • 発売日: 2005/10
  • メディア: 単行本
内容(「BOOK」データベースより)
本書は、現在のグローバル経済によって“一次産品”の生産が危機に陥っており、途上国の生産者が極度の貧困に追い込まれている実態を、7年間にわたる現地調査・取材をもとに初めて徹底暴露し、ヨーロッパで大論争を巻き起こしている衝撃の書です。コーヒー・ココアなどの品目ごとに、世界銀行・IMFが推進する経済自由化・構造調整の影響、あくどい多国籍企業の手口、国際投機ファンドによる相場変動の助長、原産国の政府・関係機関の腐敗・汚職など、グローバル経済の裏側で“一次産品”をめぐって何が起こっているか、そして苦悩する生産者の姿が生々しく描かれています。
それにしても、タイトルがベタ過ぎて、ブログ記事のタイトルにそのまま使えないのが難点だな。

本書で描かれていることは、序文にある次の言葉が最も的確に表現している。
多国籍企業などの外国資本だけが諸悪の根源であるとするような問題の単純化は、あまりにも安易であり、構造の全体像を捉えていないと思われる。1960年代に流行した第三世界主義的な発想は、現在ではオルター・グローバリゼーションを主張する人々の一部にも受け継がれているが、いささか現状とそぐわない認識となっている。彼らは、コーヒー・カカオ・綿花・コメの生産に従事する農民たちの悲劇の責任を、先進国や多国籍企業、国際金融機関だけに押し付けて、こと足れりとしているからである。
 確かに、グローバリゼーションと呼ばれる現象、つまり世界中を襲っている経済自由化・規制緩和・民営化という津波現象は、途上国の貧困層をますます奈落の底に突き落としている。経済基盤のしっかりしていない、また行政機関が充実していない、そして農民たちの組織化がすすんでいない地域において、いきなり市場の規制緩和や民営化を行なえば、危機的状況となるのは当然である。農民たちのなかには生存を危ぶまれる極度の貧困に陥っている者も多い。こうした事実を否定することはできない。
 しかしながら一方で、諸悪の根源のすべてが多国籍企業・国際金融機関だけにあるわけではない。生産国側の能力不足、背任行為、当事者の怠慢、国や地方レベルでの結束力欠如といったことも、じつは深刻な問題要因なのである。
 そしてまた、先進国の善意の市民たちのなかには、現在、ヨーロッパ型のフェアトレードがすべてを解決する万能薬であるがごとく信じている人々もいるが、ヨーロッパ型のフェアトレードで、こうした問題を構造的に解決することはできない。(pp.10-11)
即ち、現在途上国の一次産品生産者が置かれている苦境は、それをグローバル経済と繋げた多国籍企業や外国企業に問題があるだけではなく、ましてやそうしたグローバル化推進の一翼を担った国際金融機関にも問題があり、さらには途上国の政策制度にも問題があり、そして消費者にも問題があると指摘しているのである。物事は我々が思うほど単純ではない、この構図を、5つの一次産品を事例として紹介しているのが本書だ。

特に興味深かったのは、著者がヨーロッパ型のフェアトレードに対して否定的な見解を述べていることである。例えば、著者はフェアトレードの大きな問題の1つとして、「フェアトレードの恩恵を受けているのはもっとも貧しく惨めな人々であると信じ込ませている点」(p.181)を挙げている。多くの場合、フェアトレードの恩恵を受けている人々とは、すでに教育水準が十分高く、一致団結した活動的な農民たちがメンバーとなっている協同組合であることが多い。こうした組合は、フェアトレードを推進するNGOと独自に連絡を取り合い、また、課せられた商業的技術的課題に取り組むことが可能な組織である。そのため、フェアトレードは、意図せずして「もっとも貧しい人々をさらなる疎外へと追い込んでいる」とさえ言う。

チョコレートもそうだが、特にコーヒーなどは、「FAIRTRADE」というラベル付きでスーパーやコンビニで売られているのを時々目にするようになった。それだけフェアトレードというものが普及したのだと感心するところも僕にはあったのだが、その一方で、そもそもフェアトレードって生産者と消費者をなるべくダイレクトに繋いで中間マージンをあまり取られず、消費者が支払った代金の多くが生産者に届くようにする仕組みのことを言っていた筈で、それが大手の小売業者が販売しているのは何となくイメージと合わない、そんな思いがしていた。

著者はその点についても明確に指摘している。本来、フェアトレード運動は、弱者の社会的権利を擁護するという立場を明確にした運動だったが、「フェアトレードマーク」という、第三者認証によるフェア認定という仕掛けができたことで、フェアであることを認定する部分が、認証機関に与えられてしまったことが問題だったという。基準さえ満たせば多国籍企業でもフェアトレードができるという状況が、現実に起き始めているのだ。これは何となくおかしい。

さて、話を綿花栽培農家の苦境という点に繋げていこう。2002年から2003年頃、世銀ではアフリカ地域で綿花生産の専門家を探していたのを思い出した。日本人でそんな専門家(コンサルタント)はいないかと僕も聞かれたことがある。当然ながら今の日本で綿花栽培を専門的にやっているような人は思い付かず、僕は回答保留にしてしまった。当時世銀は、重債務問題に陥っていたアフリカ諸国に、外貨稼得源として綿花栽培を推奨しており、実際にそれで現地で技術指導できるような専門家を求めていたのだろう。

そうやって商品経済に巻き込まれ、投機資本に翻弄され、一次産品生産国は苦境に立たされるのだろう。本書の綿花に関する章はアフリカに関する記述が中心で、それなりに参考にはなるのだが、インドの場合と違い、土地勘がまったくないので読んでいて難しかった。
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