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『地域再生の罠』 [読書日記]

地域再生の罠 なぜ市民と地方は豊かになれないのか? (ちくま新書)

地域再生の罠 なぜ市民と地方は豊かになれないのか? (ちくま新書)

  • 作者: 久繁 哲之介
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2010/07/07
  • メディア: 新書
内容(「BOOK」データベースより)
社員を大切にしない会社は歪んでいく。それと同じように、市民を蔑ろする都市は必ず衰退する。どんなに立派な箱物や器を造っても、潤うのは一部の利害関係者だけで、地域に暮らす人々は幸福の果実を手にしていない。本書では、こうした「罠」のカラクリを解き明かし、市民が豊かになる地域社会と地方自治のあり方を提示する。

本を読んでいて、各々のパーツは優れているのに、トータルで見るとしっくりこないという経験をたまにする。各論自体は説得的なのだが、各論と各論の間に不整合が見られたりすることもたまにある。何を隠そう僕自身も、昨日出版社の編集担当者と打合せをするまで、自分が書いていた本の原稿に時系列的に整合性がとれていない箇所があることに気付かなかった。しかも、出版社に持ち込むまでに、最低4人の方の客観的な目を通っているにもかかわらず、そうした事態が起こり得る。編集者ってスゴイと痛感させられた。

さて、いきなりこんな書き始め方をしたのは、本日ご紹介する本にもそうしたもどかしさを感じたからである。地域再生プランナーという肩書からして、著者は日本全国をよく歩いておられ、多くの事例を見ておられる。各論の情報は非常に豊富で、その1つ1つは示唆と教訓に富んでいる。ところが、読んでいてなにかしっくり来ない。すごく面白い本ではあるし、間違いなく人にも薦める1冊ではあるのだが、どこかすっきりしないところもある。

それを幾つか考えてみた。

第1に、前半(第1章~第5章)の失敗事例の分析が説得的であるのに、なぜその失敗が繰り返されるのかの分析があまりなされていないような気がする。宇都宮表参道スクエアの集客失敗などその典型だが、その向かい側に別の24階建高層ビルの建設が予定されていてまた失敗を繰り返そうとしていると指摘しているだけで、建設阻止への働きかけすらしているのかしていないのかわからない。失敗事例を具体的に挙げて、どこが失敗だったのかを分析するのはいいにせよ(指摘された当事者は複雑な気分だろうが)、その失敗を生かし、著者の提言に耳を傾けて成功に導いた地域再生の事例も挙げて欲しかったなと思う。

第2に、パーツとパーツの整合性とか、パーツと全体との整合性がとれていないのではないかと思われた具体的な箇所を挙げてみる。これが全てというつもりはまったくない。

(1)「小樽3点セット」-外からの観光客向けで2時間程度しか滞在しないことを前提にしているから地域への経済波及効果が少ないと最初はネガティブに言っておきながら、長野・善光寺前の「パティオ大門」との比較でむしろ好取組み事例として挙げられてもいる。それが同じ章の中での扱いだったので、話の展開についていけなかった。

(2)「アルビレックス新潟」-サッカーJリーグのチームのことでしか書かれていないが、アルビレックスは野球チームもバスケットボールのチームも持っていて、サッカーのことだけをことさらに取り上げて称賛するのはちょっと違うのではないかと思う。

(3)「甘党たむら」(広島)-著者の思い入れが強いお店で、広島駅前で60年間にわたって営業してきた歴史からも、市民に愛されてきたその意義はすごくよくわかるが、結局駅前再開発で閉店を余儀なくされた。その後、「甘党たむら」の意義というものが駅前再開発に生かされたのかどうかが書かれていない。

(4)「街中の低未利用地に交流を促すスポーツクラブを創る」(第8章)の提言-この章の扉が駅前の青空駐車場だったのに、頁をめくると皇居の市民ランナーの事例にいきなり展開。ランナーに低未利用地の利用など関係ないのではないかと…。皇居の市民ランナーの事例は優れていると思うが、この提言のとっかかりに持ってくるにはイマイチというか…。それに、いきなり「スポーツクラブ」と書かれても、若者はともかくとして、シニアの市民の方の交流の場としてどうかという気もする。「卓球」や「剣道」(個人の趣味も入っているが)なんかはいいかもしれないが、「フットサル」や「バスケットボール」「スケボー」などは結局若者の交流の場にしかならないし、シニア市民を巻き込むのに広い遊休地などそれほど必要ない。

(5)同じ「交流」を促す仕掛け作りという提言は、その前に書かれていた「今どきの若者は自宅でまったり過ごすのが好き」というのと矛盾するのではないか。

第3に、そもそも著者が「地域再生」という場合に、どれくらいのタイムスパンで見ておられるのかがよくわからなかった。宇都宮の女性バーテンダーや島根のバリスタの話は魅力的ではあるが、こういう人々が歳をとって店をたたんでしまったらどうなるのか。著者はまったくふれていないが、そもそも地域では今後超高齢化が進み、人口も既に減り始めているのであるから、大きな構造物を造る前提の需要予測が甘い点に問題があるし、次世代に負担を引き継ぐような施策も自体財務的には持続可能だとは思われない。勿論、こんなことを言い始めたら街づくりなどどこで何をやってもうまくいかないという話になってしまうので、「少なくとも何年間ならうまくいくのか」という期間限定で考えていくような発想はあってもいい。いろいろ提言されているのはいいが、その提言がどれくらいの期間なら有効なのかを示して欲しいと思う。

事例は豊富で、その主張の1つ1つには賛同するのだが、結局はそれでも物足りないということなのか。
タグ:久繁哲之介
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