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週報(10/31-11/6) [備忘録]

【全日本剣道選手権に感動】
Takanabe.jpg朝日新聞のウェブ版は、記事を削除するのが早すぎるので、取りあえず引用はすれども一応記事の内容を本文の方でも転載しておくと、11月3日(木)、第59回全日本剣道選手権大会が東京・日本武道館で開催され、全国の予選会を勝ち抜いた64人の都道府県代表が出場して熱戦が繰り広げられ、前年覇者の神奈川県警・高鍋進6段(35)が、激戦を制して2連覇を達成したというもの。2連覇は、所属先の監督である宮崎正裕先生が1990~91年と98~99年に二度達成して以来のことで、史上2人目。

決勝で初優勝を目指した東永幸浩選手(埼玉県警)に、ツキで一本勝ちした。一昨年優勝の内村良一選手(警視庁)は、準決勝で東永に敗れた。

市民ランナーを真面目にやっていた頃、僕にとっては、毎週日曜日の午後といえばテレビのマラソンや駅伝の中継を見ることが恒例だった。しかし、剣道を再開して以降、毎年11月3日といったら全日本剣道選手権をテレビ観戦することが恒例行事となっている。今は折角東京に住んでいるんだから日本武道館で生の試合を観てみたいという気持ちもあるのだが、それはもう少しだけ子供が大きくなって、少しぐらいは強くなってからでもいいかなと思っている。この日は剣道をやっているうちの末っ子とともに別件で外出したので、最初からテレビ観戦と決めていた。

不思議なもので、こういうふうにテレビ観戦した後というのは気持ちが高ぶり、自分もあんな剣道ができるのではないかと本気で思ってしまう。優勝した高鍋選手をはじめとして上位に勝ち残った選手の多くの打突はスピードが速過ぎて同じようにはとてもできないが、攻めというのがどういうものなのか、間合いの攻防というのがどういうものなのか、参考になるところが幾つもあった。と言いつつ、実は一番参考になったのは、内村選手が2006年に初めて全日本選手権を制した時に決勝で決めたかつぎメンのビデオだったのだが。そういうのを試してみようと12日(土)の道場稽古に臨んだが、稽古への参加者が少なかったこともあって時間無制限の自由稽古となり、40分近く地稽古をやっただけでヘトヘトになってしまった。気の抜けない先生方と時間無制限で稽古するのはものすごく息が上がる。左手の握力もなくなってしまった。

いい試合を見ることは本当に勉強になる。
高鍋選手、二連覇おめでとうございます。

さて、今週は行事が立て込み、1週間前に何をしていたのかを思い出すのも難しいぐらいに中味が濃い7日間だった。

【10月31日(月)】
この秋の恒例として岐阜の実家で月曜朝を迎え、京都へと向かう。この日の大学での講義は、4時限目にゲストスピーカーの方に来ていただき、お話いただいた。京都を拠点に活動されているNGO「光の音符」のN代表で、僕がインド駐在時代に初めてお目にかかり、仕事の上でも個人的にもそのムンバイのダラヴィ地区のスラムでの活動を応援させていただいた。また、N代表のご活動を通じ、僕はハンセン病に潜む「差別」という問題について学ぶことになった。医療技術の進歩で病気は完治するようになったけれど、発症者の早期発見や、発症者・回復者とその家族に対する周囲の差別や偏見といった課題はそう簡単には克服できない。そこにNGOの活動が求められる余地が今も残されている。それに、「光の音符」とハンセン病、インドとの繋がりは設立当初からあったわけではなく、国内での活動が展開されていく過程で、初めてその問題に気付き、そしてインドでの活動にも繋がっていったのだという。

インドに駐在していた頃は、「光の音符」の国内での活動とインドでの活動が必ずしも僕の認識の中で繋がっていなかったのだが、今回こうしてN代表のお話をじっくり聞かせていただくことで、初めて理解することができた。僕らは国際協力NGOというのは最初から国際協力を行なうことを目的として設立されたのだとついつい思いがちだが、「光の音符」のケースは、元々は音楽家や芸術家が国内で老人ホームや療養所を慰問する活動を展開していた中で、岡山県にある国のハンセン病療養施設の1つ、邑久光明園を訪れて初めてハンセン病と出会い、そこからインドへと活動が展開していった、そういうケースもあるのだ。(勿論、N代表ご自身が、1960年代後半から1970年代にかけてアグラで実施されたハンセン病医学研究協力の日本人専門家のご令嬢だったということはあるが、「光の音符」自体の当初の活動は、ハンセン病ともインドとも全く関係のないところで始まっているのだ。)

【11月1日(火)】
1)ここ2ヵ月ほどの僕の精神的ストレスの最大の原因となっていた仕事に1つの新たな展開があり、状況打開の糸口が見えた1日だった。そのために突貫工事で行なわなければならない作業があったが、とにかく作業をなんとか進めることができた。

2)夜、三鷹国際交流協会(MISHOP)の国際理解委員会に出席。9月25日の国際交流フェスティバル、10月22日の国際理解講座の反省会が行なわれて、幾つか感じていたことを率直に述べさせていただいた。

3)翌日午後の会議に向けて、これまた突貫工事で資料を作らなければいけなくなった。この日はMISHOP事務局での会議を終えるとすぐに帰宅して就寝。午前1時30分に起床して2時から4時まで24時間ガストで資料の読み込みを行なった。その後1時間少々の「仮眠」を取り、それから出勤した。

【11月2日(水)】
1)午後の会議に向けて説明資料の作成を進めつつ、前日から持ち越しになっていた「板挟み」解消プロジェクトも着実に進展し、会社トップのクリアランスが取れたとの連絡が夕方18時近くになって入ってきた。かなりホッとした。

2)ホッとしたという精神状態で、夜は新橋に行って夕食会に参加。インドのアンドラ・プラデシュ、マハラシュトラ、オリッサの3州でオーガニック農業推進活動を行なっているNGOチェトナ・オーガニックからアシッシュさん、ラオさんが来日中で、チェトナとパートナーシップ協定を結んでhaco. PEACE BY PEACE Cotton(PBP)プロジェクトを展開しているフェリシモのKTさん、KEさん、豊島のMさんとともに、Mさん幹事の下で歓迎の夕食会が行なわれたので僕も出させていただいた。普段からチェトナの事業進捗報告書を読んで翻訳する仕事をさせていただいているので、現場の声を生で聴けるまたとない機会だった。チェトナ・オーガニックの来日の話は、いずれブログでも別の記事で紹介したいと思う。

【11月3日(木)】
1)ビオファ・ジャパン・オーガニック・エキスポ2011(BioFach Japan Organic Expo 2011)に出店中のチェトナ・オーガニックのブースを覗いてこようと思い、末っ子を連れ立って晴海の東京ビッグサイト(国際展示場)に行ってきた。(その模様も別記事で詳述したい。)

2)晴海まで出かけたついでに台場のパレットタウンで大観覧車に乗ったりして過ごしたのだが、歩き過ぎてヘトヘトに疲れ、この日は早めに就寝してしまった。この日は翌日の来訪者に備えて早朝から「予習」をやっていたもので、あまり寝ていなかったのであった。

【11月4日(金)】
1)職場の方では午前中会議、午後は週明けからの韓国出張の準備をやった。

2)今週2組目のインドからのお客様あり。豊橋のインド福祉村協会が研修目的で招聘したグプタ医師がこの日に名古屋近辺での研修日程を終えて東京に移動。日本での最後の2晩を東京で過ごされるということで、初日の夕食をアテンドしたのである。このアテンドについては、掲載済みの記事「ゴラクプールの怪奇熱病」の末尾でも紹介している。

【11月5日(土)】
週明けからの韓国出張の準備で、関係資料の読み込みに入った。早朝4時30分起床してマックで「早勉」、朝の家事が落ち着いた11時頃から武蔵野プレイスの図書館でさらに3時間半の読み込みを行ない、さらに夕方1時間ほどの読み込みをやって、一応この日の目標だった作業量はクリアした。武蔵野プレイスでの勉強には受験勉強中の娘も付き合わせた。

【11月6日(日)】
引き続き韓国出張の準備。この出張自体、先週急に言われ、大学の講義と重なっていたので最初は行くのも渋っていたのだが、結局今週に入って休講と補講の日程調整で大学側の理解が得られ、行けることになったものだ。突貫工事で予習をやったが、現地でどうなることか非常に心配。


【今週のドラゴンズ】
セ・リーグのクライマックス・シリーズは、ドラゴンズがアドバンテージの1勝を含む3勝2敗で日本シリーズ進出に王手をかけた。(この記事を書いている時点では、6日の結果が出ていないので、取りあえず「王手」のところまでの記述にとどめておく。)ネルソンが1軍選手登録から外れたので先発投手のコマが足りないのではないかと心配になったが、よくよく考えたらソトが逆に故障から明けて戦列に復帰しているので、なんとか日本シリーズにも行けるのではないかと取りあえずは安心している。スワローズもよく頑張っていると思うけれど、投手のコマが足りない印象。とにかくつぎ込める戦力をどんどんつぎ込み、明日のことも考えない戦いぶりだ。万が一CSに勝てたとしても、そこで力尽きて日本シリーズではソフトバンクに惨敗するのではないかと思う。今のソフトバンクとまともな勝負ができるのは、戦力的に余力を残しているドラゴンズしかいない。

同日加筆します。ドラゴンズ、CS制覇おめでとうございます!
韓国出張前に優勝が決まって、嬉しいといえば嬉しいのだけれど、レギュラーシーズンの優勝決定シーンが浅尾だったので、今日は岩瀬で最後まで投げさせて欲しかったなとも思う。TBSのお陰で今日はテレビ中継で優勝シーンを見ることができたが、優勝を味わえて涙ぐんでいた佐伯はともかく、岩瀬の涙目は別の意味もあったのではないかという気がした。
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