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『開発と国家』再訪 [読書日記]

開発と国家 アフリカ政治経済論序説(開発経済学の挑戦3)

開発と国家 アフリカ政治経済論序説(開発経済学の挑戦3)

  • 作者: 高橋 基樹
  • 出版社/メーカー: 勁草書房
  • 発売日: 2010/01/29
  • メディア: 単行本
内容紹介
本書は、アフリカという、現実世界ばかりではなく社会科学の学問世界においても、最も片隅に追いやられてきた地域の現実から、社会科学の保守本流ともいうべき方法論的個人主義に立つ「普遍的」諸理論を問い直そうとするものである。アフリカにおける開発と国家を語ることによって、欧米をも、アジアをも、日本をも、そして世界をも語ることが、本書が負わなければならない責任である。
この本を紹介するのは2度目である。前回紹介したのがちょうど1年前で、今回も復習する必要に駆られてもう一度読み直してみた。但し、今回のフォーカスは第4章「民族と近代:難問としての「部族」主義」である。

この章における著者の問題意識は次のようなものである。アフリカでは20世紀半ば以降沸き起こった民族主義の足元が、民族集団あるいは「部族」の存在によって掘り崩され、そのためにアフリカにおいて国家建設は、見果てぬ夢に終っている、と広く考えられており、それが、今日一部で見られるような国家の破綻の原因ともみなされている。論者によっては、アフリカにおける開発の失敗が、特定の「部族」ないし民族集団への政府による資源供与のために起った可能性について触れているが、その「部族」とはいったい何なのかについては触れられていないことが多い。そう、民族集団や「部族」といった人々との集まりとは一体どのようなものであり、どのようにして今日のありように形成されたのか?(p.208)

著者の論点は、民族集団や「部族」といったものは流動的で、変化する存在なのだというところにある。

植民地以前のアフリカの政治経済状況を見ると、アフリカは欧州やアジアと異なり、広域にわたって、固定した土地とそれを耕作し、利用する人々を日は医師、その日常的な農業生産過程に関与して収奪を行なう政治権力は存在してこなかったという。そしてこうした政治権力の不在はまた、土地が自由財に近く、農業生産力が低く、人々が移動を生活に組み込んでいる状況の1つの帰結だった。(p.241)

植民地時代になると、支配下の人々をすべて把握しようという植民地統治に伴う行政的必要性から、植民地化が行なわれた時に秩序があいまいだったところへ階層性が持ち込まれ、無頭制だったところへ首長制が導入された。こうして、一部の国々を除き、アフリカ史上初めて、すべての社会的関係に超越して人々の日常生活の経済的側面に影響を与えようとする政治権力が出現した。そして、植民地支配は、「部族」の名付けによって、集団間の差異をことさら明確にする役割を果たした。伝統的に人々が「部族」に分けられていると考えられがちなアフリカであるが、むしろこの「部族」の名付けが植民地統治の必要に基づき執拗に進められていったのだという。「部族」としての名付けを通じた、個人主義の政治権力による押し付けである。それは、押し付けではあったが、個々人のアイデンティティの形成に後々影響を及ぼすことになる。植民地以前はより柔軟で曖昧だった人々のアイデンティティが、「全ての人間は単一の「部族」的帰属を持っている筈である」という一種の強迫的前提の下に整理されていった。言い換えれば、アフリカの民族や「部族」は、植民地支配によって作りだされた面を持つと著者は主張する。(pp.248-249)

しかし、アフリカの「部族」主義、現代国家における公共性の分断の責任は全て植民地支配に帰せられるべきなのかというとそうではない。

ここで、著者は自身が研究のフィールドとしているケニアを例にする。独立後のケニアでは、1962年に初めて行なわれた人口調査に「部族」というカテゴリーが登場し、以後の人口調査でもさらに区分が整理・再分化されていった。こうした人口調査によって、人々は国民としての帰属意識だけではなく、社会的関係である民族についての帰属の観念を呼び覚まされ、確かめさせられ、意識の中に刷り込まされていった。それは、民族の協働性が変容する中で、上位の政治権力によって新たな帰属意識が公認され、固定化されていくプロセスだったと著者はいう。著者によれば、ルイヤやミジケンダ、カレンジン、スバといった新しく登場してきた民族集団や「部族」は、独立後の国家ケニアを産婆として創出されていったのだという。(p.263)

このように、「民族」「部族」なるものは流動的なもので、状況依存的なものである。今アフリカの国々で一般に認知されている民族集団や集団間の関係は、昔からそうだったのではなく、植民地以前、植民地時代、ポスト植民地時代を通じて時間とともに形成されてきたものなのである。 

では、この民族集団や「部族」といったものの間で起きてきた対立や紛争といったものはどうやったら解決できるのだろうか。単純にその紐をたぐって状況を植民地以前に戻すなどということは不可能であり、今の状況を所与として何ができるのかを考えていけない。そこを考える仕事はまだ課題として僕らに残されているようだ。
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