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『東南アジアのイスラーム』 [読書日記]

床呂郁哉・福島康博編
『東南アジアのイスラーム』
2011年3月、東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所
URL:http://www.aa.tufs.ac.jp/fsc/isea/

IslamInTheSEA.jpeg本書は、5年間の研究プロジェクトの成果の集大成としての論文集なのだそうだ。東南アジアで近年、影響力を増しつつあるイスラームの現状と実態を明らかにし、その展開が政治や経済、紛争や平和構築といった広義の公共領域に及ぼしうる影響について、異なるバックグランドを持つ研究者や実務者が学際的な立場から検討したものだ。

考えてみたら、世界最大のムスリム人口を抱える国はインドネシアであるし、東南アジア全体でみても、イスラームは域内で最大の宗教である。なのに日本で出版されているイスラームの本は、ほとんどが中東のイスラームを扱っている。本書には「このテーマを扱う書物として日本では初めての本格的な論集」だとあるが、確かにその通りだろう。

8月の後半、他の仕事で忙しい合間をぬい、朝7時前に家を出て9時に職場入りするまでの間の約1時間と、夜退社して帰宅するまでの間の1時間を使い、少しずつ論文を読み進めた。合計16本の論文が収録されていて、大変勉強になった。「学際的」というと、方法論的に相容れない学問領域を背景に持っておられる研究者もいらして、いろいろ難しいこともあったのではないかと思われる。また、各々のテーマにオーバーラップがあったり、逆に抜けがあったりもした筈なので、この16本を全部ちゃんと理解したからといって、東南アジアのイスラームについてわかった気にはなかなかなれない。

ただ、そもそも僕がなぜこの本を手に取ったのかというところの問題意識に立ち戻って述べるとすると、イスラームが影響力を増しつつあるという状況は、今後何をもたらすのだろうかというところではやっぱり前途多難だなという気はした。

例えば、仏教徒の国だと思われがちなタイであっても、南部のマレーシアとの国境あたりに位置する県ではムスリム人口の方が多く、そこで全国一律の仏教に根差した学校教育カリキュラムを持ち込まれた場合、地元の抵抗感は大きいだろう。本書第6章「パタニの2つの顔」では、タイ政府の南部統合政策の失敗の理由として、「イスラームに対する理解の不足、特にムスリムの生活や習慣、教育についての基本的な理解が不足していたこと」が挙げられている。そこには、在家社会が出家者を支える構造を持つ上座仏教世界を社会人s期の基礎として持つタイ仏教徒社会の価値観と、世俗と非世俗が不可分に結びつくムスリム社会における宗教と権力についての価値観の根本的な違いがあると著者はいう。「仏教徒の官吏をムスリム共同体の上におき、ムスリムの社会規範に配慮を欠いたシステムは、ムスリムとしての生き方そのものを否定するものと考えられ、うけいれがたいものなのである。」(p.91)

それともう1つの要素は、こうしたシステムが外から持ち込まれていることである。第5章「「南タイ騒乱」からみたムスリム-仏教徒関係」の結論部分には、こう書かれている。東海岸において、タイとマレーの間を柔軟に交渉しつつよりよい生活をめざして日常を生きている人々は、西海岸の仏教徒と同じ村落で共住するムスリムとそれほどかけ離れているわけではない。少なくとも、東海岸と西海岸の現実を比較してみても、タイ国内の政治的な要因やグローバルなイスラーム化の動きのなかで、人々はなんとか生きる場においてそれぞれ柔軟に現実に対処しようとしている点において共通しているという。そして、「そうした人々の日々の営みを等閑視し、外からの宗教やエスニシティといった枠組みによって、それが一枚岩であるかのように固定的に捉える視線を疑問視せずに保持することこそが、そこに生きる人々の生活を外から圧殺していく動きに加担することになる」(p.80)と強調している。

宗教やエスニシティを固定したがるのは、そうすることで何らかの利益を得られる人が利用しようとしているのであるとの示唆がここからは得られる。それは、アフリカのエスニシティの多様性を見るときにもいえることだし、インドのコミュナル・バイオレンスを見るときにもいえることだと思う。そういうのを一部の政治的リーダーに利用されないようにするにはどうしたらいいんだろうか。よくわからない。

第11章「ニュータウンのムスリム住民」は、マレーシアの郊外ニュータウン「バンダル・バル・バンギ」を取り上げている。このニュータウンには以前はモスクやスラウ(モスクより小規模な礼拝所)がなく、住民は近隣のモスクに足を運ぶ必要があったが、1981年に最初のスラウが作られ、2001年には最初のモスクが作られたという。本稿では、1970年代以降、マレー人社会においてイスラーム復興運動が高まりを見せており、その中で、礼拝、宗教教育、勉強会や講演会といった宗教活動が活発に行われるようになってきたと解説している。近年、マレー人中間層の地域社会での宗教的ネットワークが注目されるようになってきており、地方出身のマレー人都市中間層の多くが新興住宅地の中に擬似的な村落風の共同体を再構築し、その核としてスラウを位置付けていると論じている。また、この宗教ネットワークは決してニュータウンの域内の話にとどまらず、全国規模で展開されている運動やNGO活動に参加しているケースも目立つという。

それと、ハラール産業に関して書かれた第15章「グローバル・ハラール・マーケットへの挑戦」と第14章「連携と競合-ハラール産業のグローバル基準をめぐる現状と課題」は非常に勉強になった。ハラールという言葉はインドでも欧米諸国でもよく耳にするし、看板で見かけたことも多いが、何をもってハラールというのかはよく知らなかった。また、僕はハラール製品の本場は中東だとずっと思っていたが、これらの論文を読んでみると、むしろ歴史としては東南アジアの方が古く、マレーシアでは1960年代から法制化が進められていたというのは驚きである。しかし、こうした世界規模のハラール市場で主導権を取ろうというマレーシアの政策の背後には、「多民族社会の国民統合の文脈と国際社会における国家の地位の確立という政治的課題に対処するロジックを背景に、非ムスリムと対立しない、穏健で、かつ経済的に成功した「正しいイスラーム」の担い手として認識されるための巧みな国家戦略」(p.243)を見出すことができると著者は述べている。

最後に、順番は前後したが、第4章「フィリピンにおけるムスリム分離主義運動とイスラームの現在」は、ミンダナオ紛争とムスリム分離主義運動の歴史的経緯について理解するのにちょうどよい論文だった。これもとても勉強になった。

8月8日付の日本経済新聞朝刊に、フィリピンのアキノ大統領とイスラム反政府組織「モロ・イスラム解放戦線(MILF)」のムラド・エブラヒム議長が、日本政府の仲介で極秘裏に日本入りし、4日夜に成田空港近くのホテルで会談したとの記事が載っていた。両者はミンダナオ島の独立を巡って40年以上紛争状態にあり、トップ会談は初めてだったという。会談では速やかな和平交渉の進展で合意したのだそうだ。記事は、日本が仲介役となれたのはこれまでの和平交渉に日本が積極的に関与して実績をあげてきたからであると、これまでの日本の貢献をポジティブに評価している。ちょっと嬉しくなる記事だ。


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ミャンマー

ミャンマーにもたくさんイスラムが住んでいます。
先月、ミャンマーに行ってきました、
非常にエネルギーを感じて、不動産投資を考えています。
by ミャンマー (2012-01-21 14:04) 

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