ニジェール「みんなの学校」 [読書日記]
内容(「BOOK」データベースより)「いい本」と「売れる本」は往々にして異なる。著者サイドからすると納得がいくまで主題について書き込んだ本を書きたいと考えるのは当然だし、出版サイドからすると売れてもらわなきゃ困るわけだから、装丁、タイトル、そして中味の部分にも相当な注文があるのは当然のことだ。両者の思惑が完全に一致するのが理想だが、時として両者の間で相当な葛藤があり、その場合は出版・編集サイドの意見の方が強いので、執筆者側には相当な作業が発生する。(自費出版の場合はこの限りではないが。)
めぼしい天然資源もなく、開発の遅れた国にとって、頼れるものは「人」しかない。教育環境の整備と就学率向上や授業の質の改善を目的とした国際社会への教育開発支援要請に応え、「地域住民の参加による学校運営」という新しいモデルを地域に根づかせたプロジェクトの長く険しい道のりを描く。
本日ご紹介するこの1冊は、著者の初期の原稿を拝見したことがある。開発援助の実務に携わっておられる人にとっては、おそらく示唆に富んだとても面白い内容だろうとその時は感じた。そこから実際に本になってみると大きく構成が変わっているのに驚かされた。編集サイドからの要望に応える形で著者が相当なリライトを行なった結果だろうと思うのでそのご苦労が偲ばれる内容だ。しかも、それでも面白さは減じていない。僕は知り合いが2人、まったく別々の場でこの本のことを「面白いですねぇ」と褒めるのを目にした。
今、僕はちょうど10年前にお亡くなりになった職場の大先輩が書かれた遺稿集をたまたま読んでいるところだ。その大先輩はインドにも駐在された方で、遺稿集のインドについて書かれている箇所を読みたくて図書館で借りてきたのだが、読み進めるうちにインドに対する考察の深さだけではく、会社の事業全体に対するお持ちだった先見性に感銘を受けている。読みながら心を打たれっ放しで、感動しながら頁をめくり続けている。この遺稿集、僕がインドに赴任する前に読んでいればよかったというだけではなく、2002年の刊行からあまり日を置かずに目にしていたとしたら、インド赴任前の東京の職場での過ごし方も変わったものになっていたかもしれない。(2002年時点で僕は海外にいたので、本書の刊行自体を知らなかった…)
さて、なぜこんな話を持ち出したかというと、この大先輩が、政府開発援助(ODA)の実施機関における説明責任について、次のように語っているのを見つけたからである。
1)必要かつ適当と判断される範囲においていつでも、専門家活動の内容および成果はもちろん、その達成プロセスや背景をも含めて、国民に説明できる体制をとっておくことは当然である。ニジェールの「みんなの学校」プロジェクトについて、本日紹介した本が出ているということは、ここで僕の大先輩が書き遺された提言を、当の援助実施機関はちゃんと語り継いで具体的な形にしようとしている証なのではないかと思う。上記の提言のうち、3)の「アーカイブ化」は本ではカバーできない別の取組みであるが、残る3つの提言については、この1冊の中でかなりの部分盛り込まれている。著者が実際に現場に配属された日本人専門家として何を考え、どのような行動をとったか、その過程でどのような苦労があり、結果どのようなインパクトがもたらされたのかが、「ちょっといい話」を随所にちりばめて、見事に纏められている。
2)評価を通じてとくに優良と判断された専門家の協力活動事例(活動、活躍ぶり)を別途公開用として取りまとめ、国民に対して積極的に紹介していく必要がある。
3)評価を通じて有用かつ公開に馴染むと判断された専門家協力の具体的な成果品(国別、セクター・課題別の専門的、技術的な調査、研究報告書、テキスト、マニュアル、その他の情報)をアーカイブとして公開、提供するべきである。
4)評価に限らず、ODA実施機関が承知しえた日本人と途上国の人々と相互の心の糧となるような専門家の「ちょっといい話」を集約して、国民と共有すること。両国の人々がともに、途上国の現場で汗を流し、助け合い、学び合い、種々の困難を乗り越えて、協力目的を達成するまでの、喜び、葛藤、苦悩、感謝、信頼、感動、勇気などを共有すること。
お薦めの1冊だと思う。
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