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『社会人類学』(1) [読書日記]

社会人類学―アジア諸社会の考察 (講談社学術文庫 (1540))

社会人類学―アジア諸社会の考察 (講談社学術文庫 (1540))

  • 作者: 中根 千枝
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2002/04
  • メディア: 文庫
出版社/著者からの内容紹介
アジア社会を比較・解明。アジアを構造から理解する中根人類学の総決算世界人口の過半を有する広大なアジア。その各社会はどんな顔をしているのか?カースト・宗族等の根強い組織基盤をもちながら、新たな事態に対応していくインド・中国社会。恒久集団がなく、ネットワークを集積させ、変移性に富む東南アジア社会。集団が閉鎖的になりやすい特異な日本タテ社会。多様なアジア社会を比較し、その構造を解明した名著。
本書を読了してから既に1週間以上経過している。元々本書も市立図書館で借りたのだが、やっぱり手元に置いておきたいと考え、アマゾンで中古の本を購入した。付箋を付けておいた箇所にマーカーで線を引っ張ってもう一度読み直し、少し考えをまとめてようやく記事にしようという気持ちになった。但し、少なくとも2部構成にする必要があるかなとも思う。本日はその第1回目―――。

「フィールドワーク」について
著者によれば、「社会人類学」は「文化人類学」ともいい、「フィールドワークにもとづいた未開社会の研究から出発した学問」であるという。そしてその方法論として、「研究者が自ら原住民のなかで生活し、直接の観察による十分検討されたデータにもとづき、専門的な基準にてらして、法則と規則性を確立し、部族生活の骨組みを立証するすること」だという。

「フィールドワーク」は、実態調査、野外調査とも訳されるが、著者がいうフィールドワークとは、「研究者が理想的には少なくとも2年位は現地に滞在し、特定のコミュニティを中心として集中的に克明にその社会を調査すること」(p.31)だという。その理由として、中根は2つ挙げる。

1つは、社会人類学が異なる社会の比較研究であるため、第一義的なフィールドとしては研究者の生まれ育った社会とは異なる社会が対象となるということ。つまり日本人の研究者は、少なくとも主たるフィールドが日本国外にあり、そのために、調査対象である社会の言語をマスターすることが必須の条件となってくる。さらに、人々の生活の全体のリズムを知るためには、少なくとも1年のサイクルを必要とするし、初めての場合は、その社会について十分な背景情報を持っていないので、多くのものを見落とす恐れがあり、その意味でも再度そのサイクルを繰り返すことが必要となってくる。(pp.31-32)

もう1つ、長期滞在(あるいは長年にわたる数度の滞在)を必要とする理由として著者が挙げるのが、集中的な調査対象である特定コミュニティを含むより大きな社会(地域全体さらに国といったような大きな単位)に関しての教養、一般的な理解を持つことには重要性があるからだという。(p.33)

こういうのを読みながら、なぜ中根千枝が青年海外協力隊(JOCV)のサポーターをやっておられたのか少しわかったような気がした。なにしろ、この数頁を読んで僕には相当なショックであった。フィールドワークには最低2年の現地滞在が必要だと言われたら、今の僕のように、家族もいて、子育てもせねばならない立場にある40代半ば(?)の中年には、たとえそういう希望があったとしてもまず不可能だ。2年間という時間の機会費用が大き過ぎるのである。それに、未開地に渡ってそこで2年間生活するための資金も馬鹿にならない。自己負担など絶対許してもらえないだろう。

考えてみれば、現地語の習得機会まで与えてくれて、2年間の渡航費と現地生活費も公費で面倒見てくれるという意味で、JOCVで派遣される2年間というのは、とても貴重なフィールドワークの場になり得ると思う。また、JOCVは応募時の年齢が39歳までとなっているので、妻や子供の日本での生活の維持に気を揉む必要は、40代半ばのオジサンよりはずっと少ないだろう。僕らがフィールドワークを考える際にボトルネックになりそうなところを見事に打開してくれるのがJOCVという事業なのだ。以前、僕は何かの機会に、「JOCVの人が羨ましい」というような言葉を連発していたことがあるが、どのような任地であれ職種であれ、若くてまだ身軽な時に2年間も途上国に行って異文化環境の中で暮らす機会が得られるという意味で、JOCVで派遣されるボランティアの人たちが羨ましくて仕方がない。

そういうお前はJOCVに応募するチャンスはなかったのか、なぜみすみすチャンスを逃したのかと問われると困る。僕は31歳の時に結婚しているし、当時の僕の会社で、休職してJOCVに行ける可能性はゼロに近く、JOCVに行きたければ会社を辞めて行くしか方法がなかったのである。

ただ、派遣されるボランティアの人たちが皆こういう考え方で臨んでおられるかどうかは別の話でもある。だいたいこういう考え方でJOCVに応募してくるような人は、職種としても「村落普及」や「青少年活動」あたりに集中してそうだが、その他の職種で派遣されるような人は、派遣されて現地で生活した経験を以て社会人類学的な研究業績をあげたいなんてまず考えてもいないだろう。でも、そういう意識を持って滞在先での周辺の社会を見てみたら、なんか見えてくるものもあるのではないかという気がする。

JOCVのことばかり書いているが、別に40代になっても「シニア海外ボランティア」(SV)という制度があるじゃないかと言われそうだ。確かにそれは考えないでもないが、SVでも行ける職種が僕の場合は何なんでしょうかね。剣道はいいかもしれないが、剣道のSVになろうと思ったら、六段は取っておかなければいけない。それは現在まだ三段の僕にはとてつもなく遠い目標でしかない。「「村落普及」や「青少年活動」のSVなんてないのである。それに、僕が行きたいインドへはSVは派遣されていない。

そう言いつつもお前はインドに3年間も住んでいたではないかと突っ込まれそうだ。が、仕事で行くと職場中心の生活にどうしてもなってしまうなという気もした。お前の意識の持ち方の問題だと言われそうだが。

僕がこの年齢になって3週間南インドの農村に入って農家で聴き取り調査をやったからといって、中根先生にはそれを「フィールドワーク」とは認めて下さらないだろうなあ。
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