SSブログ

『渋沢栄一 人生意気に感ず』 [読書日記]

渋沢栄一 人生意気に感ず “士魂商才”を貫いた明治経済界の巨人 PHP文庫 (PHP文庫)

渋沢栄一 人生意気に感ず “士魂商才”を貫いた明治経済界の巨人 PHP文庫 (PHP文庫)

  • 作者: 童門 冬二
  • 出版社/メーカー: PHP研究所
  • 発売日: 2004/06/01
  • メディア: 文庫
内容(「BOOK」データベースより)
幕末の動乱が風雲急を告げる慶応三年、徳川昭武の随員としてフランスに渡った一人の青年があった。現地で資本主義社会の現実を目の当たりにした彼は、帰国後、「人の道」と「利益」の両立を掲げ、第一国立銀行をはじめ、五百余の民間企業を興していく―経済面から明治日本の近代化を推進し、“日本資本主義の父”と称えられた実業家・渋沢栄一の事蹟を活写した力作小説。
今月に入って渋沢栄一に関する書籍を紹介するのは二度目である。ちょっと調べただけでもほぼ毎年1冊か2冊は渋沢栄一に関する新刊本が出ているようで、ちょっと驚くが、こういう時代だからこそ、その昔、大政奉還がかなって明治新政府が発足した当時の大混乱期に改革を推し進めた先達の足跡から学ぶべきところもあるということなのだろう。

本書では、倒幕に大きな役割を果たした薩長土肥の下級武士がのし上がって新政府の高級官僚に収まってみたものの、新政府が取り組むべき政策課題をなおざりにして藩閥間での足の引っ張り合いや予算分捕り合戦が展開された明治初期の混乱の中で、深谷の豪農出身の渋沢が矢継ぎ早に改革を推し進める姿が印象的に描かれている。歳入をわきまえないで歳出だけをどんどん増やそうと大蔵省に圧力をかけ、それで獲得できた予算を自分の手柄として自慢する、高級官僚はエリートなのだからと節約など考えず、豪邸を構えて派手な支出を繰り返す―――明治初期の新政府の実態を具体的な事例を持って描いている伝記小説だ。

徳川慶喜の家臣だった渋沢は、大政奉還後慶喜が身を寄せた駿府―静岡藩の財政再建に手腕を発揮し、その実績が評価されて明治新政府の大蔵省入りとなった。しかし、以上で述べたような新政府が内包していた様々な問題に嫌気がさし、やがて民間セクターへと転出し、長年の理想であった銀行の創設と株式会社の育成に取り組み始めた。各藩閥が新政府に人を集め、後継者を育てようと血道をあげる姿に逆に危機感を覚え、政治の分野に優秀な若者が皆吸収されてしまい、民間には有能な者が残らなくなると考えた渋沢は、その後民間セクターにこそ優秀な人材がとどまるべきで、それが国造りの礎になると考えた。

今の日本は公的債務残高の対GDP比が200%に達していてもデフォルトもせずになんとかやり過ごしてきている。30%程度でデフォルトした国もあった中で、何故日本はこれだけの耐久力があるのかといえば、公的セクターはガンガン借金をして債務を積み上げている一方で、民間セクターの債務残高はわずかで、体力もあると考えられてきたからだ。そうした強固な民間セクターを育てるきっかけを作ったのが渋沢栄一なのだ。
僕は本書を読みながら、明治新政府の置かれた状況と、今の日本政府が置かれた状況が非常に似ているという印象を受けた。縦割り組織での予算分捕り合戦と挙句の果ての借金累積、国益よりも藩閥益の重視、官尊民卑、頭の良い人ほど高級官僚になりたがる風潮、結果として高級官僚が持つ特権意識―――どこかで聞いた話ではないか。

僕は童門冬二という歴史小説作家がわりと好きである。数少ない歴史上の人物を深掘りしてとことん描くというやり方ではなく、歴史人物のカバレッジの幅が広いことと、伝記小説といっても生まれてから亡くなるまでの一生涯を全て描くのではなく、その人物のハイライトシーンにだけフォーカスして重点的に描く手法を取る。メリハリが効いていて、読む者を飽きさせないし、ざらっと生涯をなぞっただけではその人物が何歳ぐらいの頃に何をやったか、その当時の時代背景はどのようなものだったのかがなかなか理解できないのに対し、童門の手法はその人物の歴史上の位置付けや功績について、読者は非常に覚えやすい。本書の場合は、パリ万博の視察団に同行した渋沢が帰国して旧主・徳川慶喜を駿府に訪ねるところから話が始まり、静岡藩勤務から大蔵省入りして、やがてその大蔵省を辞任して民間へと活動の場を移し、第一国立銀行を設立するあたりまでを重点的に描いている。

但し、よくリサーチして書かれているというのは認めるものの、著者の膨大な知識情報量が災いしていると思えるところもある。渋沢栄一を描いていた筈なのに、途中で二宮金次郎や松平定信の話に飛んでしまったりする。おそらく著者は二宮や定信に関する情報も沢山持っているからそういう派生的展開もお手のものなのだろうが、ちょっと脱線し過ぎじゃないかなと思わぬでもなかった。お陰で二宮や定信に関しても学ぶことができたが。

渋沢栄一の生涯や思想に関する解説本は沢山ある中で、わりと早めに読んでおくと有用なのはこの手の伝記小説なのではないだろうか。

さて、明治4年に渋沢は当時の大蔵卿・大久保利通と対立し、一時辞任も考えたが、上司である井上馨から慰留され、大阪造幣寮に一時避難的に左遷されていた時期があったらしいが、興味深かったのはその当時、渋沢が大蔵省に残ってやりたかった仕事の中に、「合本主義(株式)の日本への導入」、「銀行の設立」と並んで、「養蚕業の振興」が挙げられていたことだ。童門は「渋沢と養蚕」の繋がりについてはあまり調べていないようで、本書全体を通じても養蚕への言及はこの1カ所しかない。多分、明治5年開業の官営富岡製糸場のことを言っているのだろうとは思うが、もう少しその部分を深く掘り下げた文献がないものかと思ってしまった。
nice!(5)  コメント(2)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

nice! 5

コメント 2

yukikaze

同感です。童門氏の知識量には感服することしきりですが、雑学が身に付くとはいえ、著書における脱線が多いのは少し残念だと私も思っております。
by yukikaze (2011-08-26 01:03) 

Sanchai

yukikazeさん、皆さん、nice!ありがとうございます。
確かに、脱線は残念なのですが、日本で初めて「敬老の日」を制度化したのが白河藩主時代の松平定信だったというのは「ヘェ~」でした。さっそく子供達への蘊蓄で使わせていただきました。
by Sanchai (2011-08-26 05:26) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

トラックバック 0