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『ポストコロニアリズム』 [読書日記]

ポストコロニアリズム (岩波新書)

ポストコロニアリズム (岩波新書)

  • 作者: 本橋 哲也
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2005/01/20
  • メディア: 新書
内容(「BOOK」データベースより)
植民地主義のすさまじい暴力にさらされてきた人々の視点から西欧近代の歴史をとらえかえし、現在に及ぶその影響について批判的に考察する思想、ポストコロニアリズム。ファノン、サイード、スピヴァクの議論を丹念に紹介しながら、“日本”という場で「植民地主義以後」の課題に向き合うことの意味を考える、最良の入門書。
終戦記念日が近いからというわけではないが、「植民地主義」というのを少し掘り下げてみたいと思い、「ポストコロニアリズム」と名のついた本を1冊購入した。その翻訳者の1人が、その本の訳者あとがきのところで「本書を読む前の入門編」だと紹介していたのが翻訳者自身の著書―――本書である。この入門書については、購入ではなく市立図書館で借りた。

2冊のうち、どちらがわかりやすいのかについては、もう1冊の方を読んでないので現時点でなんとも言えない。ただ、その本と本書とが異なるのは、本書の著者は明らかに日本のポストコロニアリズムについて問題意識を持っているという点。僕は元々アフリカやインドにおけるポストコロニアリズムについて考えてみたかったのだが、話がフランツ・ファノン、エドワード・サイード、ガヤトリ・スピヴァクという論者の思想の紹介を経て日本のポストコロニアリズムに収束していくという点について、想像はしていたけれども、考えさせられるところが大いにあった。というか、元々コロニアリズムを遠いアフリカやインド亜大陸での話だと他人事のように考えていた自分自身の認識の甘さに少しショックを受けたと言った方がいいだろう。これで入門書だなどと言われると、僕は「ポストコロニアリズム」を論じる資格すらないのかと気持ちが落ち込んだ。駆け足で読んだからいけないのだろうが、ファノンあたりまではまともに読んでいたが、サイードやスピヴァクの章は僕自身が不勉強すぎてあまり理解できなかった。僕の問題意識からいっても、ベンガルをフィールドにしているスピヴァクについてはちゃんと理解するべきだったと思うが、今の僕にはとても無理。もしスピヴァクの著書『サバルタンは語ることができるか』、『ポスト植民地主義の思想』あたりを読んで、その上でもう一度この「入門書」に立ち戻ってみた方がよい。

スピヴァクだけではない、エドワード・サイードの著書は日本語に訳されているものが多いので、わけのわからぬ解説がされている「入門書」よりも、最初にその著書を実際に触れてみるのがいいのかもしれない。

こんなことを書いたからといって、日本のポストコロニアリズムについての著者の考察について違和感があるというわけではない。植民地主義が他山の石というわけではないという例えとして著者が取り上げた事例は3つある。アイヌ、沖縄、従軍慰安婦である。
 日本の経済的繁栄と政治的安定、および日米安保体制のものでの国内の平和は、アジアで2千万人以上の人々が犠牲になった戦争の責任と植民地支配の責任とを忘却したなかで得られたのである。同時にそうした忘却は、朝鮮戦争、ヴェトナム戦争と続いたアメリカ合州国の戦争に同調することで利益を享受するという、現在の行為に対する無関心ともたがいに支えあう。東アジアにおけ戦争や暴力は1945年で終了しなかった。そのような現実があったにもかかわらず、戦争や暴力は日本人の多くにとって、少数の人々(沖縄、「在日」……)、他の「遅れた貧しい非民主的な」国々、あるいは「過激な反体制派の人々」にだけ関係があるものとして、意識の外に追いやられてしまったのではないか?これが日本の戦後60年間の実相であり、この社会に住む私たちの意識の脱植民地化が果たされていない要因なのではないだろうか。 (pp.214-215)
米国のことを「アメリカ合衆国」ではなく「アメリカ合州国」と書いている時点で、著者がマルクス主義的史観の持ち主なんだろうなというのがはっきりわかる。ここで著者が言いたかったのは、「戦後の高度経済成長も植民地主義なのだ」ということで、「植民地時代が終わった後も植民地主義は今も続いている」ということなのだろう。著者の論点に100%同意しているわけではないけれど、著者の論点とはそういうものなのだろう。

ただ、著者の論点に大いに賛同するところが1つある。それは、今僕らが学校で習っている世界史というのは、欧州の征服者の視点から書かれているという点、そして、僕らが習っている日本史というのもまた、征服者の視点から書かれているという点である。コロンブスがアメリカ大陸を発見した時、青天の霹靂のように突然欧州人の侵入を受けた先住民の視点からの歴史はあまり顧みられていない。文字を持たなかったということもあっただろう。同様に、日本でいえばアイヌの歴史についても、アイヌ民族が文字を持たなかったこと、アイヌが日本人によって歴史を持たないとされたことで、征服者の側にいた日本によるアイヌ像が形作られていった。「ここでの《歴史》とは、けっして公平に事実を伝える記述ではなく、まさに勝者の歴史、権力を持つ側が自らの支配を正当化するために書いたものと言ってよいだろう。」(p.192)

ところで、7日(日)に高校の同窓会の全体総会というのに初めて顔を出してみたが、来賓で列席しておられた県議会議員の方が、「高校で日本史を必須にしよう」と訴えられていた。既に東京都はそういう方針を打ち出したらしい。僕はこれについてはある意味では賛成だ。欧州の征服者の視点で描かれた世界史を勉強するぐらいなら、日本史をやった方がいい。但し、僕たちが高校で習う日本史自体も過去から現在に連綿と続く勝者の視点から描かれたものであるということを忘れないでいたいと思う。「植民地主義」とは論点が外れるかもしれないが、蝦夷や琉球が今の日本史の中でどう描かれるのか、一揆を起こしたが鎮圧されてしまった百姓たちはどのように描かれるのか、そして、中世の対外外交史の1つのメルクマールかもしれない元寇については僕らはよく勉強させられるが、その攻めてきた元軍側のいろいろな事情は描かれてきたのか、当時の日本は東アジアでどのように見られてきたのか、といったことまで考えていくと、今の日本史の中身でいいのかなという疑問はある。(かねてから主張している通り、僕らの習う日本史は基本的には政治史なので、庶民や社会の歴史については意外とカバーされておらず、日本の文化や地域の多様性に対するリスペクトがあまり感じられない。統治する側の視点から均質的な日本の姿を描こうとしているのが今の日本史なのではないかとすら思える。)

「コロニアリズムに関する限り、私たちは世界のどこにいようと自分とは関係がないと言い切ることはできないのではないか?」(p.60)―――インドやアフリカのことを考えて読み始めた僕にとって、この指摘は胸にグサっと突き刺さる。

とはいえ、最後はやはり僕の出発点ともなったアフリカの植民地主義と民族の問題について、本書の中でファノンの引用として指摘している点が1つあるのでご紹介しておきたい。今アフリカの国々を訪れると、英語やフランス語がかなり通じる。これらの国々の人々は当たり前のようにこれらの言葉を受け入れているが、これらを受け入れてコミュニケーションの手段としてどれだけ使いこなせるかによって、現地人の間にも溝が意識されるということがあるという点である。言い換えるならば、統治者(植民者)との距離が近かったグループと、そうでなかったグループとの間の溝は、統治者が去り、各国が独立を迎えた後になってむしろ顕在化してくる。統治者に近かったグループは、それによって既にかなりの経済的利得を得ていて、それが先行者利益となってその後の発展にも格差を生み出していく。アフリカの「植民地以後」を見ていると、そうした事例がところどころで見られる。
 植民地主義によって「人間以下の存在」と見なされた被植民者が、植民者の言語を「自国語」として習得することによって、はじめて「人間」に近づいていく――植民地化され、劣等性を植えつけられた民族と、宗主国の文化・言語とのあいだには恐るべき溝がある。つまりファノンが言いたいことは、肌の色や文化による差別が、先天的・本質的な差異によるものではなく、社会的に作られた距離の問題である、ということではないだろうか。とすればこの距離をどう埋めるのか、そもそも埋めることなど可能なのかという問いが、この著書を貫いていく筈である。
 さらに問題なのは、この距離が植民地における現地人同士のなかにも持ち込まれ、増幅され反復されるということだ。宗主国の人間と植民地の人間とのあいだよりも、身近なはずの被植民者同士のあいだでのほうが溝がより意識されやすいのだ。(p.67)

とはいえ、だからどうしたらいいのか、そういう視点を持てというだけでは解決にもならない。何かしらの答えが欲しくて読んでる人にとっては、答えが解けない、或いは解けそうな気持ちになって読了できない本には物足りなさもないこともない。(僕自身も、物事を自分で考えない人間になっているかも…)
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履歴書の封筒

とても魅力的な記事でした!!
また遊びに来ます!!
ありがとうございます。。
by 履歴書の封筒 (2011-11-24 14:31) 

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