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『日本人のためのアフリカ入門』 [読書日記]

日本人のためのアフリカ入門 (ちくま新書)

日本人のためのアフリカ入門 (ちくま新書)

  • 作者: 白戸 圭一
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2011/04/07
  • メディア: 単行本
内容(「BOOK」データベースより)
「貧しくてかわいそう」「部族対立が深刻」「発展が遅れている」…。アフリカに対する負のイメージは尽きない。しかし、それらはどの程度まで本当なのか?何が「事実」で、何が「誇張」なのか?アフリカの「悲惨さ」を強調するための人気テレビ番組の「やらせ」。事態を単純化し、誤解と偏見を煽る新聞報道…。アフリカ報道の最前線にいた記者が、日本人のアフリカ観を歪めてきたメディアの在り方を問い直しながら「新しいアフリカ」の姿を紹介する異色のアフリカ入門書。
GWを利用して帰省した際、家族の買い物に付き合って地元のショッピングセンターで1日過ごしたことがあった。僕自身は何か買うものがあったわけではないが、待ち時間の間に書店に入って新刊本を物色していたら、本書と出会った。アフリカについてそろそろまた勉強再開しなきゃと思っていたところだったので、入門編というのはちょうどいいかと思ってさっそく購入した。アフリカを研究している人の著書は何だかとても難しくて、それが読み始めるのに躊躇する第一の理由になっている。それと比べたら新聞記者が書く文章はとても読みやすいという点で安心感があり、また物事を冷静に客観的に見ているという点でも好感が持てる。日本人がアフリカに対して抱く負のイメージの中には、明らかに誤解や誇張に基づいて形成された「思い込み」もあるという熱い主張を、抑え目のトーンで冷静に書きつづっている。特に、ステレオタイプ化した日本人のアフリカ観の形成には、メディアが圧倒的な影響を与えているとし、同業者のアフリカを伝える姿勢や方針について批判を加えている。

その端的な例が第1章で出てくるフジテレビのかつての人気番組『あいのり』のやらせ疑惑である。僕はあの番組はどちらかというと嫌いな方で、殆ど真面目に見たことがないが、ふだん行けないような国々を旅して紹介している点では良いのではないかと思っていた。(僕が嫌いなのは、画面上で繰り返される「付き合って下さい」「ごめんなさい」なんてやり取りがゲームみたいに見えて、そんなの公共の電波を使ってやるなよと思ってしまうからだ。)でも、現地をよく知っている人が見ると、なんだかおかしいと感じる制作のされ方がきっとあるのだろう。第1章では、エチオピアで収録された「あいのり」の放映内容に疑問を抱いた知人からの依頼で、著者がエチオピアに裏付け調査に出向いた話が紹介されている。またフジテレビか、とも思ったが、どこのテレビ局でも多かれ少なかれやられていることだと思う。そうした「貧しいアフリカ」「可哀そうなアフリカ」というステレオタイプ化されたイメージが制作サイドに潜在的にあるから、それを強化する方向で実際の番組も作られてしまうのだろう。

報道する側も、それを受けて理解・解釈・認識する側も、無意識のうちにこうしたアフリカ理解の範型を共有している。著者は京都大学・松田教授の言を借りてこの点を強調している。松田教授は、僕達がアフリカに関する情報を解釈・理解するための知識の枠組みを「アフリカ・スキーマ」と名付け、日本人のアフリカ・スキーマについて、具体的に次のように述べている。
アフリカで生起するあらゆる種類の政治的対立、軍事的衝突、社会的憎悪をすべて部族間の伝統的関係性で説明してしまう万能の解釈枠組み(部族対立スキーマ)や、そのバリエーションとして、アフリカでの社会・文化現象を、上から目線で(つねにアフリカを援助し、啓蒙する対象として捉える目線で)、一元的に解釈する認識(未開・野蛮スキーマ)は、代表的なアフリカ・スキーマの1つだろう。(p.73)

第2章も、僕達のアフリカ・スキーマのうち、「部族対立スキーマ」の危うさについて指摘している。第1章と違い、第2章では新聞の報道姿勢について書いている。欧米と比べると日本の新聞ではアフリカ関係の記事が扱われることは非常に少なく、たまに扱われるとその多くが紛争絡みの記事だったりするので、僕らは自然とアフリカと紛争を結びつけてとらえがちだ。そしてそんな記事の中で多くの紛争が部族対立に根付くものだとの記述を見つけ、「伝統的に部族対立があるからアフリカには凄惨な紛争・虐殺が起るのだ」と想起しがちだ。しかし、この点について著者は冷静に指摘している。
現代アフリカのほぼ全ての紛争は単なる「部族対立」ではありません。危険を冒して紛争の現場を訪ねる取材を繰り返せば、表面的には「部族対立」に見える紛争が、実際には国際情勢に影響された政治勢力間の権力闘争であることが分かります。(p.101)

僕は昨年ケニアを訪れる機会があったので、本書の中でも第2章に書かれたケニアで2007年末に行なわれた大統領選挙の後の混乱に関する記述は特に興味深く読んだが、実際の選挙での投票所での出来事とか開票後の得票数の動き方といった選挙自体の不正の可能性については別として、このような出来事を単に部族対立として理解するのは性急だと著者は指摘している。
仮に2つの民族が対立関係にあったとしても、対立するに至った歴史的経緯というものがあります。さらに対立する勢力間に暴力が噴き上がる時には、計画、動員、先導といった組織的主導もあります。そしてケニアの場合、選挙と言う政権への平和的異議申し立てが「不正」によって無力化され人々の政権交代の希望が踏みにじられたことが、暴力の組織的主導を可能とする決定的契機となっています。(中略)
 現代アフリカの紛争を「部族対立」の四文字で括る報道は、紛争の構図を整理したかに見せながら、実際には疑問には何も答えず、アフリカに対する偏見と疑問を読者に植え付けるだけに終っていると私は考えています。
 「民族対立」「部族対立」などと言われている紛争には、必ず「歴史」と「構造」が存在しているはずです。(pp.126-127)
それぞれの民族が上から下まで全て相手憎しで塗りかたまっているわけではなく、憎悪を煽ることで利益を得られる特定のグループがいるのだという視点。さらに、アフリカでよく言われる植民地時代の「分断して統治する(divide and rule)」体制が現在の民族対立に影響を与えているという単純な理解の仕方が適切ではないということ。これらをわかりやすい形で読者に説明してくれているのが本書のメリットだと思う。

最後に少しだけ付け加えると、第3章を読んでいたらアフリカになぜ援助しなければいけないのかには首を傾げざるを得なかったし、第4章はちょっと蛇足っぽいなという印象を受けた。著者が南アフリカに駐在してサブサハラアフリカ全域を報道でカバーしていたから「アフリカはこうだ」という視点で物事を捉えられるのは仕方ないことだとしても、第4章で書かれていることが、日本とアフリカの対比だけで「アフリカ人はこうだ」と述べられているだけで、実は日本人との対比でアフリカ人の特徴として語られていることは、僕はインド人にもかなりの部分当てはまると思う。
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