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『橋はかかる』 [読書日記]

原発事故があってから、「差別」という言葉を改めて考えてみる機会が増えたような気がする。差別される側はなぜ差別されるのか理由が理解できないし、差別しているとされる側も、なぜそんな行為をしているのかと問われても合理的な説明などできないだろう。思っていても口に出して言っちゃいけないという後ろめたさはあるのだろう。

橋はかかる

橋はかかる

  • 作者: 村崎太郎・栗原美和子
  • 出版社/メーカー: ポプラ社
  • 発売日: 2010/06
  • メディア: 単行本
内容(「BOOK」データベースより)
被差別部落出身であることを公表した村崎太郎。ごく一般的な家庭に育った栗原美和子。悪戦苦闘の3年間、少しずつみえてきた希望の橋。
村崎太郎といえば、あの「反省」ポーズのCMで有名になった猿の次郎とのコンビで周防の猿まわしの復興に取り組んだ人である。「反省」サルのCMは多くの人が覚えておいでだろうが、僕は村崎太郎さんの名前を意外なチャンネルから再び耳にした。それは民俗学者・宮本常一である。宮本の出身地周防大島は元々猿まわしの伝統芸能があったが、1963年を最後に猿まわしが行なわれなくなっていた。その後、宮本は多分離島振興の一環でもあったのだろうが、太郎氏の父・義正に猿まわしの復興を働きかけ、それができる候補者として、義正氏四男の太郎氏(当時17歳)に白羽の矢が立ったのである。太郎氏と初代次郎のコンビは、次郎の「反省」ポーズで全国的な人気者になり、1991年「文化庁芸術祭賞」受賞、92年にはアメリカ連邦協議会から「日本伝統芸」の称号が授与された。

ところが義正氏が立ち上げた周防猿まわしの会は、その後猿まわしの方向性を巡って分裂を余儀なくされ、太郎氏は会を離脱する。本書によればその後和解も進んだとされるが、少なくとも会のHPには太郎氏は登場しない。2007年11月、フジテレビのプロデューサーだった栗原美和子と結婚し、翌08年、山口県光市の被差別部落出身であることを公表。その後は日本各地の農家や漁村、限界集落、ハンセン病療養所や原爆被爆者のご家族等を訪ね、共に語り合う「出会いの旅」を続けているという。

本書は、太郎氏の原文を美和子氏が編集し、読みやすく仕上がった太郎氏の自叙伝のようなものである。そして取り分け本書の大きな意義というのは、被差別部落出身の人がその成長過程で直面する差別というものを、ご本人の経験に基づき、相当具体的に語っているところだと思う。おそらく差別する側からすれば、第三者から見ても差別してるんじゃないかと思えるような行為であってもさほどの疑問もなく普通にやっていることなのだろう。それが、時には相手が命を落とすような事態にまで発展したり、後々までトラウマとなって残ってしまったり、当人たちには想像もつかないような事態に発展してしまうのだと思う。

太郎氏も中学1年の時に付き合っていたガールフレンドとの仲を彼女の両親によって引き裂かれたのがトラウマになって、女性に対して非常に憶病になってしまったと語っている。(といいつつも3回も結婚してるんだからすごいといえばすごいのだが…。)美和子氏とは、猿まわしのドラマの企画で知り合い、太郎氏は被差別部落民出身だというのを告げた上で求婚し、美和子氏の承諾を得ている。差別というのは実際に差別されている側の立場に立って差別される経験を受けてみないと本当には理解できないとする美和子氏の決意の凄まじさにも感銘を受ける。というか、実際に結婚後に太郎氏がカミングアウトしたことによって2人がそういった差別に直面した経験まで知ると、まだまだ日本社会には根強く蔓延っているのだと痛感させられる。世代を経るにつれて差別は少なくなってゆくのではないかと考えていた僕は甘い。知らないだけで、実際には今も存在しているのだ。

村崎一族内の確執については、部落差別の本質とはちょっと別の議論になってくるので、本書では比較的抑えめのトーンで書かれているのではないかと思う。が言葉の端々には太郎氏側の主張と相手への恨み節が感じられるので、ご本人がおっしゃっているほどの和解には至っていないのではないかという気がした。
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