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10億人の健康 [インド]

宮原辰夫
「10億人の健康-将来、インドは国民の健康をどう構築するのか-」
『文教大学国際学部紀要』、第20巻2号、2010年1月、pp.83-97

先進国だけではなく、途上国においても、富の分配の観点からは、国民の健康は政治的課題となってくる。本稿では、インドが将来の国民保健医療制度を再構築しようとしているのかを検討する。筆者は特に、統計データに基づき、各国の比較、特に中国との比較に重点を置いた。インドと中国は、世界規模の覇権をめぐってライバル関係にあると描き得るからである。結論として、筆者は、インドが将来、国民の健康を1つの制度として再構築していくべきであるとの見解を示した。
*全文はGoogle Scholarの論文検索によりダウンロードできます。

著者は2008年4月から2009年3月までの1年間、大学のサバティカルでデリーに滞在し、ジャヤハルラル・ネルー大学で研究活動に従事された。その間いろいろな場所でお目にかかる機会もあった。当時は本論文と同じタイトルの本を書かれると聞いていたので、このタイトルの本が出ていないかなと思って検索していて、論文が出ているのに巡り合ったのである。今後本を書こうと考えられているのかどうかはわからない。

ただ、結論は「インドならではの医療制度を構築せよ」というもので、何か政策的な示唆が得られる論文ではないような気がした。インドの社会保障制度の今後を見る1つの例として、ケララ州やタミル・ナドゥ州における国民皆保険の実現に向けた政治家の発言を取り上げている。この部分だけを読むと国民皆保険ではなく州民皆保険なのかと思ったが、その直後にRashtriya Swasthya Beema Yojanaという全国健康保険計画にも言及しており、この政策の州レベルでの実施について述べているのがわかった。だったら州の話に行く前に中央政府の政策制度の分析の話があってもよかったのではないかという気がする。しかも、この保険制度の適用対象が貧困ライン以下の人口層であり、米国のメディケイドと似た制度設計だが、オバマ政権ではそれでも国民皆保険を目指しており、だからインドの医療保険制度もこのままではよくないという点を示唆した段階で記述を終えている。

正直なところ、僕には消化不良のところがある内容だった。

第1に、インドの病気による死亡原因のトップが心循環器疾患(30.1%)、伝染病・寄生虫病(22.2%)、呼吸器感染・気道感染(12.0%)となっており、途上国特有の感染症とともに、インドは先進国特有の慢性病疾患が共存しているのが特徴で、しかも絶対数で見た場合、インドには世界の糖尿病患者の16.6%(4090万人)がいる、世界最大の糖尿病国家だと指摘している。この指摘をしている点は非常に新鮮だと思う。その上で、この糖尿病患者の絶対数が、将来的にインドの医療費負担を増大させる恐れがあると主張している。ここまではいいと思う。ただ、糖尿病の傾向があるのは誰なのかという点についての分析が本論文ではあまり行なわれていない。(ある文献から、ここには意外と貧困ライン以下の人口の男性が含まれているのではないかと予想されるのであるが…)

第2に、社会保障制度の分析とはいえ、もう少し健康保障(医療保険制度)にフォーカスした方がよかったのではないかという気がする。論文の中盤の各国比較は所得保障(年金制度)の比較を行なっており、結論部分になるとインドの医療保険制度の批判的検討に充てられている。「社会保障制度」という場合にどこまでが含まれるのか、そこの定義は人によって異なるので、立場を明確にしておかないと理解しづらい論理展開になってしまう。医療保障に絞ってもっと掘り下げた分析があったらよかったなと思う。

第3に、所得保障について、本論文はインドの年金制度やプロビデント・ファンド(PF)については言及があるが、インド政府が「世界最大の社会保障制度」と自負する所得保証の制度についての言及が全くない。それはNREGA(全国農村雇用保証制度)である。日本でも、日本の社会保障の実現に最も大きな貢献を果たしたのは公共事業であるという論者もいるくらいで、インドの年金制度のカバレッジが人口の10%程度だというだけで所得保証への取組みに不備があるとは言いにくいのではないかと僕は思っている。

最後に、本論文の脚注にある引用文献のリストを見ていて、実際には引用しているのに言及していない文献がまだ相当あるのではないかというのが気になった。特に、p.95にある「インドにおける研究成果では、家族が貧困ライン以下の状況に陥る要因として、医療費が最も致命的であることがわかっている。インドの家計の貯蓄の60%近くが医療関連の支出に使われていると言われている」というのが、引用元についての言及もない状態で書かれている。実際読んでみたいのだけれど…。
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