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8.人間性溢れる教え [S.D.Gokhale]

Gokhale1.jpg 20世紀初め、英国人で経験豊富なソーシャルワーカーであるケイ・デイヴィス女史がインドを仕事で訪れた。彼女の業務の1つは植民地政府の児童法制定と施行に協力すること、言い換えれば少年救護院を設立するのが目的だった。

 デイヴィス女史はこうして聖クリスピン・ホームという少女収容施設をプネ(マハラシュトラ州)に創設し、入所していた少女たちと大きな慈愛と温かさを持って接した。

 インドへの派遣期間中、私は女史がたくさんの鍵の束を腰にぶら下げて携行しているのに気付いた。不思議に思ったので、ある時私は彼女にそのことを聞いてみた。彼女は答えた。この鍵束の中には、入所している少女たちのケースファイルが保管されている棚の鍵も含まれているのだと。少女たちがケースワーカーとの面談で打ち明けた情報や気持ちといったものは、高い機密性をもって取り扱い、公開してはならないものだと思っていると。結果として、少女たちはケースワーカーを信用し、信頼するようになった。「少女は難しい状況にあり、見捨てられて貧しい状況に置かれています。しかし、そんな状況下にあったとしても、その子を助けたいと思うのであれば、彼女の尊厳、自尊心に細心の配慮をせねばなりません」――デイヴィス女史は鍵束をジャラジャラさせながらそう教えてくれた。

 私が物乞い収容施設の監督官になった時、何人かの入所者の物乞いが恐ろしく貧弱な身体的状況であるのを見て大いに困惑したことがある。警察が彼らを路上から一斉検挙する以前から、彼らは既に病気を患ったり、体が弱ったりして衰弱しきっており、逮捕されてもすぐに死んでしまうのだ。施設で初めて1人の物乞いが亡くなった時、私は誰か身近な人が亡くなったような気がして気持ちが落ち込んだものだ。私の施設に付属する病院でも彼を救えなかったということで、私はまったくの無力感にかられた。

 1週間の間に2、3人もの死を経験するうちに、物乞いの死に対して私が抱いた気持ちは徐々に落ち着いたものになってきた。法的手続きや行政手続きを進め、検死官に報告を上げるという自分のやるべき仕事を繰り返し遂行するうちに、この状況に対して私は感情が麻痺してきたのだ。死とそれに伴う私の仕事は私にとってはお決まりのパターンとなっていたのだ。

 そのうち、自分に感情が欠如している状態を憂慮し、私はデイヴィス女史と会うことにした。彼女はこう言った。「シャラード、監督官として、あなたはこれらの命に関して責任があります。あなたが温かくて強い気持ちを失ったとたん、あなたは監督官としての道義上の権利を失います。お辞めになることです。」
 
 彼女の言葉は私にとって人間性溢れる教訓であり、私に新たな見方を示してくれたと思う。

 (退官してイングランドに戻った後、彼女は私に書簡を送ってきて、私に自分を訪ねてくるよう招待してくれたことがある。「私はこの奇妙な土地では楽な気持ちになれません。私のホームランド――インドに帰りたいと思っています」――手紙にはそう書かれてあった。)
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