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『富を創り、富を生かす』 [読書日記]

この記事は、予約投稿機能を使って掲載しました。
日本人の1人として、計画停電には積極的に協力していきたいと思います。

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富を創り、富を生かす―インド・タタ財閥の発展

  • 作者: ルッシィ・M. ララ
  • 出版社/メーカー: サイマル出版会
  • 発売日: 1991/01
  • メディア: 単行本
内容(「BOOK」データベースより)
「富」を創造するだけではなく、これを生かすためには何が必要なのか。この本は、近代インド産業を発展させたジャムシェトジーのタタ財閥の興隆と理念、そしてその富をいかに社会に貢献させてきたかを、インド人ジャーナリストが情熱をこめて書いたドキュメント。
今となっては過去のことだが、東京電力が関東地方で輪番停電(計画停電)を実施し、鉄道ダイヤが乱れていた間の15、16日と、僕は自宅待機になった。在宅勤務ともいう。職場の消費電力を抑制するにはある程度仕方のないことだとはわかっていつつも、学校には通常通り通っている子供達を横目に、社会はおろか、会社の役にすら立っていない自分がなんだかすごく情けなく感じてしまった。これで計画停電でも本当にやってくれていればともかく、それも「狼少年」のような状態で、本当にこんな状態でいいのかと思いつつ過ごした。ちょうどいい機会だから、本の執筆を少しでも進めようとしているが、何せ資料の大半は職場の方に置いてあるから、やりづらさもある。調べものがしたくて府中方面の某国立大の図書館に行こうかとも考えたが、うちの会社が営業規模を縮小しているのと同様で、大学の図書館も臨時休館になってしまった。

とはいえ、こんな状況だからこそできたこともある。実は本書は市立図書館に貸出予約がしてあったのだが、先日図書館に借りる手続で出かけて行ったところ、本書は都立図書館から借りているもので、館内でしか閲覧が認められていないのだという。そんな制度があることも知らず、しかも受付窓口の方の人を性悪説で見るような口調にも腹を立て、だったら閲覧などするものかとも思ったものだが、今回の在宅勤務指令のお陰で、じっくり閲覧しようと方針を切り替えた。結果的には良かったと思う。

本書もタタ財閥の歴史に関する本で、先日ご紹介した小島眞『タタ財閥』でも参考文献として掲載されていた1冊だ。訳本の発刊は1991年だが、原書The Creation of Wealth: the Tata Storyは1980年に出ており、当時は先代のJ.R.D.タタが会長を務めていた時代で、『タタ財閥』の方でどの程度参考にしたのかはよくわからない。ただ、かねてからお知らせしていた通り、僕の目的は財閥創始者のジャムシェトジー・タタの足跡を調べることにあったので、『タタ財閥』に比べれば本書の方がずっと参考になった。

特に、以下の記述を見つけただけでも一歩前進だと思う。
 ジャムシェトジーは、どこへいっても、またどんなによいものを見ても、その恩恵を自国のために活用したいと考えた。彼は、インドに外国の樹木・植物をもち帰り、それらをパンチガニー、バンガロール、ウータカマンドにある自分の所有地でこれらを栽培させている。フランスに滞在中、カイコの飼育について研究し、1893年(明治26年、54歳)に日本を訪れた際には、養蚕の実験のために日本人専門家をインドに招聘している。気象条件を考慮して実験の場所としてマイソールを選んでいるが、彼は後になって同地が昔は絹織物で栄えた土地であることを知り、そのときの自分の土地選択が正しく、また自分がこの地場産業を復興させたことを知るのであった。(p.10)
著者のルッシィ・M・ララは、その後この実験場所がバンガロール郊外であることを知り、2004年の新著でこの点を修正している。この新著は現在取り寄せ中で未だ内容確認はしていないが、ジャムシェトジー本人に焦点を当てているので、本日ご紹介の1冊と比べてさらに深掘りした記述があるのではないかと期待している。

とはいえ、本書についても、その記述の3分の1ぐらいはジャムシェトジーの話で、しかもとても惹かれるエピソードが多い。タタといえばインド共和国が独立するはるか以前から、インドの近代化、産業基盤の整備に尽力し、およそ思い付く産業各部門に必ずタタ系列の企業が大手で存在するというぐらい大きな地位を占めている。初代首相のネルーは、「インドにはタタという名のワンマン計画委員会が存在する」と言ったらしい。インドの経済開発5カ年計画は現在11次を迎えているが、こうした経済計画が推進されるはるか以前から、タタは「ボンベイ計画」と呼ばれる経済計画を策定した原動力となっていたらしい。

そして、英国植民地支配下にあった19世紀のインドで近代的工業を興そうと奔走したジャムシェトジーのインド人への愛情に感銘し、そのジャムシェトジーとインド科学技術大学院(IISc)創設を巡って対峙したインド総督カーゾン卿との駆け引きは、エピソードとしてとても面白かった。ジャムシェトジーが1893年に訪日した際に渋沢栄一と会ったというのは間違いないが、両者の間には相通じるものがあったような気がする。ジャムシェトジーと渋沢の思想と軌跡の比較なんかしてみたら、面白い研究成果が出てきそうな気がする。(誰か既にやってないかな…)

『タタ財閥』が、タタ・スチール、タタ・モータース、TCSというグループの基幹をなす3部門にだけスポットを当てているのと比べると、『富を創り、富を生かす』ははるかに包括的だ。ジャムシェトジーがタタ・スチールのジャムシェドプール工場建設に至るまでの間に関わった綿紡績事業とか、エア・インディアとかにもしっかり言及しているし、人材育成も巷間よく言われるIISc創設の話に留まらず、TISS(タタ社会科学大学院)創設にまでしっかり言及している。TISSは社会学系の高等教育・研究機関としてはかなり有名で日本からも留学生が行っている。児童労働の問題やジェンダー、部族出身者、農村雇用といった領域に伝統的に強い研究機関である。

IISc創設構想に関する記述の中で、こんなことが書かれていたので最後に紹介しておきたい。慈善事業に対するジャムシェトジーの見解に関するものである。
 私たちのあいだでよく見られる一般的な慈善の方法がある。それはたしかに悪いことではないが、私はそれが最上の方法であるとは思わない。それは、ボロをまとった人びとに衣服を与え、貧しい人びとに食物を与え、病人や身体障害者に治療を施すといったことであるが、それはいわば一時しのぎの慈善事業にすぎないのではなかろうか。
 私はけっして貧しい人びとや困窮状態にある仲間を助けようとする高潔な精神を非難しているのではない。われわれパーシー教徒のあいだでは、どちらかといえば病院や保護施設を提供するといった種類の慈善が一般的であり、また称賛されてもいる。しかしながら、国家にしろ、共同体にしろ、これらを進歩させるためには、そのなかの最も弱く無気力な人びとを支援するよりも、むしろそのなかの最も優秀で才能に恵まれた人びとの水準を高め、その人びとを国家社会のために最大限活用することが大切なのではなかろうか。私は、われわれの最も優秀な若者を教育し、その能力を開発することを追求する、この建設的な慈善事業のほうを選びたい。(pp.35-36)
こういう人が、19世紀後半の英植民地統治下にいたというところに強い興味をひかれる。
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