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3.最後に得た幸福 [S.D.Gokhale]

Gokhale1.jpg ムンバイの物乞い収容施設の監督官としての任期中、ホームレスの人、見捨てられた人との出会いは記憶に残っているものが多い。しかし、私の記憶から消し去ることができない出会いとは、あるお年寄りの方との間での出来事である。

 その人は70歳ぐらいで、骨と皮だけになるくらいやせ細った状態で、警察に連れられて私の収容施設にやって来た。同行してきた警察官は私に、この人はダダル地区の歩道で自分の前に硬貨を散らかして座っていたと報告した。ダダルといえばムンバイのビジネス街の1つである。彼はバガヴァット・ギータに出てくるシュローカ(宗教と関連した詩)を口ずさみ、それを見た道行く人々は、彼に硬貨を1枚2枚と恵んでいたのだという。これは明らかに物乞い行為であり、逮捕するより他なかったのだと警察官は主張した。

 私がその人に話しかけようとしたちょうどその時、うちの事務所のスタッフが1人、部屋に入って来た。スタッフはそこにいた老人を見ると、両手を合わせて拝みながら老人の下に歩み寄り、彼の足下に腰をかがめて足にさわった。最高の敬意を表し方だ。そして彼は言った。「先生、私は〇〇学校であなたの生徒でした。」

 そのスタッフは私に、このお年寄りはただの物乞いではない、サンスクリット哲学を教える学者だったと教えてくれた。芸術学の学位を取得し、ムンバイの学校で校長を務めたという。そして、今は銀行に勤めている息子とその嫁と同居している筈だという。

 「なぜ物乞いをしているのですか?」――私は老人に尋ねた。

 老人は目に涙を浮かべ、声を震わせながらこう言った。「どれだけ年金をもらっても、どれだけいろいろな給付を受けても、私はそれを全て息子に渡しています。私は今は日々の細々とした出費は全て息子に頼らなければならない。息子の嫁は私がお茶の飲み過ぎだと言うし、なんでお金が必要になるのかと尋ねてくる。でも、成長した1人の大人が自分の好きなように使えるお金を求めてなぜいけないのでしょうか。私はお茶を飲むのが好きでして、家でお茶が飲めないなら、外で飲むのにお金が必要なのです。」

 老人は続けた。「ある日、家で侮辱された後、私はここの歩道に来て、自分の困惑した気持ちを落ち着かせようと、バガヴァット・ギータのシュローカの暗誦を始めました。そうすることで、私は心の安定を取り戻すことができました。目を閉じて詩を復誦しているうちに、何人かの人が私の前に硬貨を落としていってくれるようになりました。最初は私も驚きました。自分の道徳観、自分の受けてきたしつけは、硬貨の山に手を伸ばして拾い上げるのをどうしても許さなかったのです。しかし、やがて私のお茶を1杯飲みたいという気持ちが高潔な思考に勝るようになり、しまいにはこう考えるようにしました。もし自分がそのお金を取らなければ、誰か他の人が取っていくだけだろうと。」

 「私は自分が拾ったお金でお茶を2杯買って飲みました。王様になったような気分でした。」
 その後、彼は毎日の日課としてそこに座り、シュローカを暗誦し、お金を集め、そのお金で2杯の熱いお茶をすするという生活を始めた。彼はそれで幸せだったし、満足していたという。警察に逮捕されるまでは。

 しかし、彼の弱弱しくやせ細った体を見ていると、家族が十分な世話をしていないのではないかと感じられた。だから私は彼に尋ねてみた。「何か食べますか?何がいいでしょうか?」

 「パニールとご飯、それに少しばかりレモンのチャツネがいただけたら有難いです」――老人はそう答えた。
 
 このリクエストは食事の質素さと同等に質素な要望だったが、施設の食堂にはパニールもレモン・チャツネもなかった。刑務所のマニュアルには書かれておらず、認められていなかったからだ。ご飯は認められていたが。

 監督官の宿舎は施設の敷地内にあったので、私は妻のロヒニに電話して、これらの食材を持って来てくれるよう頼んだ。こうして、老人はリクエストした食事をとることができた。

 食べている間、老人は私に一緒に座ってくれるよう招いてくれた。最初のひと口を呑み込む時、私は彼の頬を涙が流れているのに気付いた。私は尋ねた。「大丈夫ですか?なぜお泣きになられているのでしょうか?」

 彼は私の手を取り、説明を始めた。「私は妻を亡くしてから長い間、こんなに気をかけてもらって食事をいただいたことがありませんでした。とても感謝しております。」

 私も彼に感謝した。彼に幸せな気持ちになってもらえる機会を得ることができたからだ。しかし、私の気持ちよさは、すぐに悲しみに押し潰されてしまった。翌朝彼が眠るように息を引き取ったことを知ったからだ。しかし、その時私は悟ったのだった。苦しみを味わってきた彼の学者としての心は今は安息の時を迎え、穏やかに亡くなられたのだと。私は彼に少しだけ幸せを感じる時を与えることができ、嬉しい気持ちになった。
  
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