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マディアプラデシュ州の養蚕 [シルク・コットン]

先日、ふと思い立ってインドの隔週刊誌『Down To Earth』で過去に養蚕について何か記事が載っていないか調べてみたことがある。この雑誌は開発事業の環境や社会への影響についてかなり辛口の論調を常に展開するとして評価が高い。しかも独自の調査研究チームを持っていて、その論調は科学的根拠に基づくものが多く、専門性が高い。それだけに、養蚕振興が環境や社会にどのようなインパクトをもたらすと見ているのかには興味が湧いた。

幾つか記事がヒットした。インドでの養蚕業に限定したらもう少し検索結果は少なくなると思うがまあそれはともかく、比較的上位に上がってきたのが、1999年3月15日付で同誌のウェブサイトに掲載された「成功への絹の道(Silk route to success)」で、Nishat Waseemさんという、フリーランスのライターが書いた記事である。マディア・プラデシュ州ヴィディーシャ(Vidisha)県で新しい養蚕プロジェクトが始まり、農村女性の生活スタイルが変化の兆しを見せ始めているという趣旨のことが書かれている。
*英語の記事全文は下記URLからダウンロードできます。
 http://www.downtoearth.org.in/node/19499

Mabushi.jpg インドの農村女性のイメージは変わろうとしている。よく言われている寡黙で従順な妻などではもはやなく、自分のアイデンティティを探し求め、家長制のくびきから飛び出そうと状況を注意深く見守っているのが農村女性だ。
 マディア・プラデシュ州ヴィディーシャ県の農村女性もこうした変化の途中にある。しかし、彼女達の取組みは州政府が1994年に立ちあげたラジブ・ガンジー農村産業振興プログラム(Rajiv Gandhi Mission for Rural Industries)のお陰でより実現可能なものとなりつつある。このプログラムは、農村地域の小規模未組織セクターのより急速な成長を促進することを目的として導入されたものである。この県では、シローンジ(Sironj)、ラテリ(Lateri)両郡において、州政府とユニセフが共同で1995年12月から開始した養蚕プロジェクトが行なわれている。女性のエンパワーメントに向けた取り組みとして、州養蚕局は、女性のリーダーシップの向上と企業家としての潜在性を高める取組みを開始している。
 プロジェクトでは、最初のフェーズでの取組みとして、57ヵ村にある政府の所有地を桑栽培のために利用できるよう改装された。加えて、約600人の女性受益者がシルク生産の様々な工程に関われるようになった。中央政府も3,000万ルピーをかけて、フェンス、灌漑施設、桑の植林、蚕室の建設などにかかる費用をカバーする予算投入を行なった。
 州養蚕局の取組みも見逃すわけにはいかない。今日、女性達は自分の持つ権利について意識を高め、自分達が行なっていることに喜びを見出し、新たに得た生活スタイルを断固として守ろうとし始めた。「私達のグループは、政府から桑園用にと配分を受けた土地を占拠しようとする村の人々との闘いでも成功を収めました」――こう言うのは受益者の1人であるシャンティだ。「この土地は政府から私達に与えられたものです。他の人が私達から奪うことなどどうして認められるでしょうか。」
 それは蚕の飼育だけに限らなかった。彼女達は桑園の灌漑用に井戸を掘り、ディーゼルポンプの操作方法も学んだ。彼女達は、蚕室を建てるのに石工にも頼らないようになった。彼女達自身が石工として労働提供したからだ。
 ヴィディーシャのような農業に依存した県では、人々に代替所得獲得手段を提供することは喫緊の課題であった。州養蚕局の局長補佐であるR.K.シュリヴァスタヴァによれば、「こうしたプログラムは、ターゲットグループの人々に所得補填の機会を与え、意思決定過程への女性の積極的な参加を促進します。」
 農村産業プログラムの首席事務官であるアニータ・ダスは、プロジェクトの今後について楽観的な見方を示す。「女性達は節約を始め、自分達の貯蓄を用いた小口融資制度を作りました。」受益者の1人であるラム・スーキーによれば、「20の受益者グループがあり、総額で14万7,628ルピーを貯蓄として積み立てました。」加えて、彼女達の収入の一部は直接銀行口座にも入金されている。
 マディア・プラデシュ州は伝統的には養蚕が行なわれる州ではない。しかし、ヴィディーシャの養蚕プロジェクトの開始に伴い、養蚕による収入は毎年1エーカー当たり15,000~20,000ルピーを上回るまでに至っている。「より優れた技術を用いれば、収入はもっと改善されるでしょう」――養蚕局のティノー・ジョシ・コミッショナーはこう述べる。受益者の1人であるスーキーは、ヴィディーシャ県では同様のプロジェクトをもっと多く立ち上げるべきだと感じている。「それは私達の子供達の世代を助けることに繋がると思います。」

僕が今回この記事に注目したのは、この養蚕プロジェクトがマディア・プラデシュ(MP)州のような、これまで桑しか食べない家蚕の飼育が盛んではなかった地域で始まっているという点である。これまでも再三ご紹介してきた通り、インドの養蚕が最も盛んなのはカルナタカ州南部と、同州に隣接するアンドラ・プラデシュ州、タミル・ナドゥ州といった地域である。記事で出てくるヴィディーシャというのはMP州最大の都市ボパールから東に行った、サンチーの仏教遺跡のさらに少し先にある。昨年サンチーを訪れた方が書かれた「亜細亜の街角」という旅の日記サイトに、桑畑があったという言及があったので、今も養蚕は行なわれているのであろう。僕も2008年の年末に一度サンチーの遺跡を訪ね、その高台から東方に広がる農地を眺めて意外に農地に緑が多いのが印象に残っているが、ひょっとしたら桑畑だったのかもしれない。12月といえば丁度飼育が行なわれている時期でもあっただろう。
http://www.geocities.jp/msakurakoji/200Southasia/294Sanchi/P01.htm

IMGP2409.JPG
《遠方の緑の農地は桑畑だったのかもしれない…》

因みに、日本はJBIC(現在のJICA)の円借款を通じて「マディヤ・プラデシュ州養蚕計画」への融資承諾を1997年に行なっている。しかし、MP州でもこの円借款の事業支援対象地域は東部のヴィラスプール地方であり、その後MP州東部が分離されてチャッティスガル州として独立した際、対象地域は全てチャッティスガル州に含まれていた。この地域では桑蚕ではなく「タサール蚕」と呼ばれる、沙羅双樹のような木の葉を食べる野蚕の吐く繭の産地として有名である。この円借款事業については、関わっておられた日本のコンサルティング会社のプロジェクトマネージャーの方が作られた報告書がウェブで閲覧できるのでご参照下さい。
http://www.myc.co.jp/houkokushutou/report/sanoyreport0106.htm

場所的には野蚕ではないと思うし、MP州で二化性養蚕が行なわれている話など聞いたことがないので、僕が想像するにはマイソールの多化×二化のクロスブリード(交雑種)が使用されているのではないかと思われる。
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