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『フードバンクという挑戦』 [読書日記]

フードバンクという挑戦  貧困と飽食のあいだで

フードバンクという挑戦  貧困と飽食のあいだで

  • 作者: 大原 悦子
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2008/07/18
  • メディア: 単行本
内容紹介
缶づめが少しへこんだ、運送用ダンボールが破損した、ラベルが少し曲がってる……。賞味期限内なのに「完全でない」からと捨てられる大量の食べ物。そのかげで増える、困窮する人びと。これ、なんとかならない? 両者をつなぐフードバンクは新しい「もったいない」の形。いま、各地でフードバンクの挑戦がはじまっている。
以前、「「人間の安全保障」は外向けか?」という記事を書いた際、セカンドハーベスト・ジャパン(2HJ)の取組みを紹介し、日本国内でも人間の安全保障への取組みが必要とされている状況があると指摘したことがある。テレビでも紹介され、マクジルトンさんは国内各地に呼ばれて講演もこなしておられるので、誰かが本に纏めているのではないかと直感的に思ったが、案の定だったわけだ。ジャーナリストが書いているんだから構成も文章もわかりやすく、それなりに包括的に理解ができる読み物になっている。が、もしこの印税が著者にだけ入って2HJにとっては何のメリットもないのだとすれば(その辺の決めごとは1冊1冊の本によって異なるのでわからない)、そのうちにマクジルトンさんか2HJのスタッフのどなたかが自分達で本を纏めることもあるかもしれない。フードバンクの取組みに関する本は、これからも登場するのだろう。

最初にマクジルトンさんの講演を聴いて2HJについて知った時、幾つかわからないポイントがあった。最大の疑問は、「仕入値がタダの食材を別の消費者にタダで届けるといっても、集配と運送にはコストがかかるし、人件費も発生する、採算がとれるのか」ということだった。たとえ無償のボランティアを大量動員するとしても、平日もボランティアができる人は限られており、多くは平日に時間があるような主婦や学生、定年退職した元会社員といった人たちだろう。平日の事業運営には支障もあるのではないかと考えた。これば米国ならこうした事業にかかるコストをカバーするには多額の寄付を受けたりすることで採算がとりやすいかもしれないが、日本は寄付文化がないので、米国で行なわれているようなコストリカバリーはできない。

そのあたりの難しさは本書でも率直に指摘されている。巷間言われているほど万能のビジネスモデルであるわけではない、それが持続可能なモデルとなるためには、僕ら市民がその必要性を認め、今以上に積極的にその取り組みを支援していく姿勢を示さないといけない。

第2に、食材を提供する企業側ではこうした歩留まりを軽減するよう努力しているので、長期的には食材は増えていかないかむしろ減っていくのではないか、そうすると仕入れられる食材の供給量が減るので、それを必要とする消費者に届ける活動のスケールアップは難しいのではないかという疑問だった。勿論、この歩留まりは流通の過程でどう努力しても出てしまうものだというのも理解はするが、もし消費者側の意識が変わり、「多少形が悪くても質が変わらず値段が安ければ買う」という人が増えてきたら、企業はタダで2HJに食材を提供するよりも、売ってコストリカバリーを図るだろう。

ここまで明示的には述べられていないが、こうした可能性については関係者の間では既に認識が共有されているようだ。そこで、食品製造会社へのアプローチだけではなく、生産農家への直接的なアプローチだとか、いろいろ新たな取組みが試行されていることも本書では紹介されていた。

第3に、2HJの食材供給が全国に及んでいるというマクジルトンさんの講演での説明を聞き、そんなことが可能なのかと疑問に思った。本書には、よく似た取組みが関西でも行なわれているという話が書かれており、「日本のフードバンク=2HJ」というわけでもないというのがわかった。地域で出た余剰食材を地域内で供給する域内資源循環ができるのが本当はいいことで、補給ラインが伸び過ぎるとその分コストもかさむのではないかと思ったからだ。

ただ、そもそもこういうサービスを必要とする人々が、減るどころか増えつつあるという現実は悲しい。必要性は理解するものの、究極の目標は、こんなサービスが必要とされない社会を実現させることだろう。
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