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『安全保障の今日的課題』(その1) [読書日記]

安全保障の今日的課題―人間の安全保障委員会報告書

安全保障の今日的課題―人間の安全保障委員会報告書

  • 作者: 人間の安全保障委員会
  • 出版社/メーカー: 朝日新聞社
  • 発売日: 2003/11
  • メディア: 単行本
内容(「BOOK」データベースより)
西暦2000年の国連ミレニアム・サミットで「人間の安全保障」に関する独立委員会の理念が上程されたとき、「欠乏からの自由」と「恐怖からの自由」が重要であるということには、一定の理解が得られていた。だが3年後の現在、恐怖と不安は残念ながら深刻さを増している。本書は、既知の問題と新しい不安に取り組み、そしてそれらの根底にある要因に対応しようとする試みである。
「人間の安全保障」を勉強するなら必読書中の必読書である。訳本が出る前に原書『Human Security Now』の方で1章読んだことがあるが、英語が難しかったのか、或いは内容が難しかったのかはわからないが、正直あまり理解できなかった。訳本が出た直後に読まなかったのは、原書で玉砕したトラウマもあったが、もう1つ、ブログでは書けないが心理的な抵抗感が「人間の安全保障」という言葉自体に対してあったことも相当大きい。

いずれ読もう読もうと思いながら、なんと7年が経過してしまった。10月に思い立って図書館で借りたが、そこからもダラダラしていて、読み切ったのが12月半ばを過ぎてからのことだった。読みにくかったわけではない。むしろ翻訳としては非常によくできていて、原書と比べたらかなり読みやすいと思う。なんとなく後回しにしただけのことだが、年内になんとか整理しておきたかったので本日記事にしておきたい。

今読もうと考えた最大の理由は2つある。読み始めるにあたって設定した2つの質問は次の通りだ。
①人間の安全保障は、「高齢者」を直接的に保護やエンパワーメントの対象としているか?
②人間の安全保障は、今は「高齢者」ではなくなんとか収入を得ている現役世代の人々が、歳をとった時に直面するリスクまで考慮しているものなのか?
この2つについて、「人間の安全保障」と絡めて論じている論客は意外と多くない。2006年頃には、上記①について「高齢者支援は人間の安全保障上の課題だ」と論じようとした方が、「やっぱ時期尚早かな」というので「人間の安全保障」という言葉を引っ込めたことがあるのを知っている。今僕は東南アジアの人間の安全保障実現に向けた取組み上の課題について検討している研究者グループと接する機会があるが、この方々も「人間の安全保障」を用いている割には①や②については殆ど言及していない。

結論から言うと、本書では①も②も人間の安全保障の対象としてカバーされている。但し、②に関しては、今も脆弱な生活基盤の下での生活を強いられている人のソーシャル・セーフティネットについては言及があるものの、今は取りあえずなんとか生活できている人が、結果的に長生きしてしまうことで生じる生活基盤の脆弱化に対するセーフティ・ネットについては明確な言及がない。

おそらく最もこれに近い記述は次の箇所だろう。
 国連人口部は、21世紀中に開発途上国の4分の3で、出生率が女性1人あたり2.1人以下にまで減少すると推定している。2.1人という数値は、長期的な人口補充水準を確保するのに必要な出生率である。この減少の結果、60歳以上の人口は2000年の6億600万人から2050年には3倍の19億人に増加することになる。高齢化する人口についての議論は主に先進国を対象としたものだったが、開発途上国の高齢者数も、2000年の8%から2050年には20%にまで増加すると予測されている。
 こういった人口構造の変化は、「人間の安全保障」に重要なかかわりを持ってくる。そして、人々が貧困から抜け出し危機に立ち向かう能力にも影響を及ぼす。とくに、サハラ砂漠以南のアフリカ諸国の若い扶養家族を多く抱える家計にとって、その影響は大きい。先進国では、人口の高齢化によって保健医療と退職制度が締め付けを受けつつある。開発途上国では、HIVエイズの危機が人口のもっとも生産的な部分に壊滅的な打撃をもたらし、家計の構成に大きな変化を引き起こしている。教育と技術訓練に対する長年の投資が無駄になり、孤児の数と女性が家長の世帯数が増加している。負担の多くは女性が負うこととなり、安全と尊厳の意識がいっそうむしばまれていく。
 「人間の安全保障」戦略を立案する場合には、こういった人口構造上の長期的な推移を考慮するべきである。人口の高齢化に伴い、高齢者のためになる保護と能力強化の戦略がいっそう重視されなければならない。それは、保健医療と教育の戦略、そして最低限の社会的セーフティネット構築に必要な資源にも、大きくかかわってくる。人口のもっとも生産的な部分を健康な状態に保つことが、最大の課題の1つとなるだろう。(p.41)
ここだけを読むと、現在の現役世代――将来の高齢者予備軍のソーシャル・セーフティネットの話をしているではないかとなるが、ここで言われているのは現役世代を「健康な状態」に保つことに主眼が置かれており、保健医療は含まれるだろうし、教育機会も含まれるだろうが、雇用の確保や長期的な貯蓄手段の提供といったことまでは意味していないような気がする。

他にも、次のような記述がある。
貧しい人々がもっともおそれるのは突然の事故や病気である。また、教育が受けられなければ、「人間の安全保障」を実現することはきわめて難しい。働く者としても、親としても、社会を変えていこうとする市民としても、教育を受けられなければ人は大きな不利益を被る。これはとくに女性に顕著である。さらに、なんらかの社会的保護を受けられなければ、けがをしたり経済的に破綻した場合には、その家族がすぐに貧困と絶望の淵に立たされる。このように、人々が自らを守る力は生活が破壊されれば削がれていく。(pp.14-15)

こうした取組みはその場しのぎであってはならず、縦割りであってはならず、人々に危険が生じてからようやく対処するものであってはならない。それとは逆に、包括的で一貫した理念に基づき、かつ危険を予防するため先手先手を打つような取り組みを行なえば、現存の制度の欠陥を見いだし、これを強化改善することも可能となる。(p.19)

「人間の安全保障」の概念は、「状況が悪化する危険性(downside risks)」に直接関心を向けることによって、楽観的に拡大していく人間開発の性質を補う。人間の生存と日々の暮らしの安全を脅かし、男女が生まれながらに有する尊厳を冒し、人間を病気や疫病の不安にさらし、そして立場の弱い人々を経済状況の悪化に伴う急激な困窮に追いやる種々の要因に対処するためには、突然襲いくる困窮の危険にとくに注意する必要がある。(p.32)

 人々の暮らしが著しく脅かされるとき(どこで次の食事をとることができるのかも知れず、老後の蓄えの価値が突然に急落するおそれがあり、農作物の収穫が落ち込み貯蓄がなくなる可能性があるような場合)に、「人間の安全保障」は後退する。(中略)しかし極度の貧困状態にある人だけがそのような脆弱さや安全・安定の欠如を経験するわけではない。仕事はあっても、基本的な処方薬や安全な生活条件、子どもを学校に行かせるための制服や昼食そして交通費などの経費をまかなうことができない人もいる。また、災害が起きると代替する所得を得る方法がない人もいる。
 こうしてみると、個人や世帯が所得を得る能力、そしてこれを管理する能力を改善しても、それによってもたらされる「人間の安全保障」とは部分的なものにすぎないことがわかる。(pp.137-138)

 経済的な安全と安定が欠如しているときに見られる3つの状況は、どれもが「人間の安全保障」を損ねる。その状況とは経済的資源が不十分であること、経済の流れが不安定であること、そして資産が失われることである。貯蓄能力・投資能力および資源を活用する能力もまた「人間の安全保障」を実現する手段である。人は貯蓄を行うとともに、物質的、財政的そして人的な資産(貯金口座、健康保険、教育など)に投資することで自らの安全と安定を確保する。(p.139)
――こうして見ていくと、やっぱり②も明示的に言われているような気もするなぁ。

それがわかっただけでも本日は可とすることにしたいと思う。次回は、①や②を視野に入れた「人間の安全保障」実現に向けた取組みについて、本書で何が言われているのかを、幾つかの箇所を言及することで紹介してみたい。

Human Security Now

Human Security Now

  • 作者: United Nations
  • 出版社/メーカー: United Nations
  • 発売日: 2003/11/18
  • メディア: ペーパーバック
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