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『内発的発展論の展開』 [読書日記]

内発的発展論の展開

内発的発展論の展開

  • 作者: 鶴見 和子
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 1996/04
  • メディア: 単行本

内容(「MARC」データベースより)
それぞれの文化の伝統と生態系に根ざした、多様な発展としての内発的発展論を、国際的視野・学際的考察から追究、構築する、画期的な研究書。近代化論を超越する発展理論。
12月10日のシンポジウムで発表を行なった際、最初に主催者から依頼を受けたのは「『内発的発展と国際協力』という論題で話してくれそうな人」を探してほしいというものだった。

「内発的発展」―――僕にとっては非常に懐かしい言葉である。大学で僕は国際関係を副専攻で取っていたが、そこでお世話になったのがK先生であり、そのK先生が鶴見先生と共著で1989年に東大出版会から出したのが有名な『内発的発展論』だった。僕は確かこの本を購入したことがあり、田舎の蔵書の中に紛れ込んでいるに違いない。一方でシンポジウムでの発表は刻一刻と迫っていた。そこで、鶴見先生が書かれた本書を図書館で借りて、ウォーミングアップとして最初の2つほどの章を読んでみることにした。

上記の囲み記事にもある通り、内発的発展は近代化論との対比で描かれる。近代化論、あるいは外生的発展論では全ての社会が前近代的状況から、近代的な状況へと発展すると考え、そのために後進地域は先進地域と接触することにより引き上げられるとするものである。自ずとそこには、前近代段階から近代的な成長を経て、大量生産・大量消費へと繋がるという、直線的かつ一元的な発展経路が想定されていた。また、ここでの主要アクターは国家や企業である。

一方、「内発的発展」とは、「各地域固有の資源をベースとして、それぞれの地域固有の伝統、文化に基づきつつ、地域住民の主導により進められる発展パターン」と定義され、そこでは歴史の発展は一元的なものというよりも、むしろ多元的で多面的であると見る。そしてそこでの発展のアクターは、国家、企業と並んで、非営利的な市民社会も含まれる。(西川潤著「内発的発展の理論と政策―中国内陸部への適用を考える―」、『早稲田政治経済学雑誌』No.354、2004年)

ついでの話を脱線させると、西川前掲書では、内発的発展論に基づく諸政策として、次の4つを挙げている。
(1)地域の経済循環を創る。
(2)地域のイニシアチブが重要であり、そのためには主導的な人物(リーダー、キーパーソン)を育成・確保する。
(3)地域独自の文化やイベントを重視する。
(4)環境保全を図る。

だが、これだけやっていれば内発的発展を促す政策だと認められるわけでもない。というのは、内発的発展とは一見無関係な政策であっても、実は内発的発展の阻害要因となっているケースも考えられるからだ。例えば、和田・中田『途上国の人々との話し方』や中田『人間性未来論』には次のような指摘がある。

◆地方政府の農業局や農村開発局は、近代的農法や品種を奨励する。ところが、このような品種を採用するということは在来種を放棄することであり、すなわち、毎年タネを購入し、肥料を購入するというサイクルに入っていくことを意味する。ということは、農民は自覚することなしに、否応なく市場経済に組み込まれていっている。

◆教育支援が行なわれ、子供達が学校に通うようになると、世代間を通じて地域の自然資源の用途について知識の移転が行なわれる機会が失われていく。自ずと若い世代になるほど地域資源の利用価値について十分認識を持たないようになる可能性がある。

◆伝統的農村が市場経済に組み込まれていく過程でよく起こるのは、入って来るお金の管理ができなくて、せっかく稼げたものを笊に水を注ぐようにして使ってしまうことである。財務管理ができないのである。こうしたことは、それ以前の伝統的農村社会では必要なかったのだから、できないのが当たり前であり、そのことについてのトレーニングなしに、市場経済に向き合うことなどできない。

鶴見先生の著書に戻って強調しておきたいのは、内発的発展が、「発展の政策ないしは戦略という巨視の側面と、より日常的な、暮らしのスタイルに関わる微視面が、わかちがたくむすびついている」という点である。また、本書では、ブラジルの従属理論の経済学者セルソ・フルタードを引用し、「生活のスタイルにおける近代化は、進歩の指標ではなく、従属と低開発の誘因となり、国内の社会的不平等を増大させる」と警鐘も鳴らしている。

言い換えれば、僕らが意図せずにマクロ・コンテキストから導入推進を図ろうとする政策――例えば正規教育の普及や「緑の革命」の推進などが、結果的には地域での住民生活のようなミクロ面でどのような影響を及ぼすのかについて、僕らはもっと想像力を働かせなければいけないと言われているような気がするのである。途上国の農村に住む人々は、残念ながらそうした大きな動きが自分たちの生活に及ぼしている影響について十分な理解をしているとは言い難い。また、森林保全のような途上国では政府が旗を振れども振れどもなかなか地域レベルでの実績には繋がっていないとしたら、「森は重要」というようなマクロ・コンテキストで農民にはなかなか理解しにくいことを、その地域のコンテキストに落とし込んで農民に説明できるかどうかを僕らはもっと気にするべきだ。

要すれば、何のために地域レベル、コミュニティ・レベルでの内発的発展を考えなければいけないのかを、我々自身がちゃんと理解していなければいけないということなのではないかと思う。
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